巡察



← 2003.3.18



AM6:00★ 昨朝と同じく『だだだだ〜ん♪』の目覚まし音で起床★
全力で二日間を過ごし、少々バテ気味で三日目の朝を迎えました★
早起きは三文の得と申します★ 拙者達は朝風呂の為に早起きした次第★
眠い目をこすりつつ、昨日廻れなかった(一日に二度三度の入浴が限界)
岩の湯という城の御堀のような湯殿に浸かってきました(~―~)>
拙者達より前に先客が御一方いましたが、丁度入れ替わりで
朝風呂も拙者達の貸切状態★ 温泉の朝風呂なんて贅沢しちゃいましたv

さて、一っ風呂浴びて目を覚まし、
昨晩の夕食にまだ踊っている胃を宥めつつ朝食★
…朝食も凄かった。。。朝から豪勢…っていうか
贅沢しすぎだぞ自分っ(@_@;)と頭抱えそうなくらい★
本当に美味しくて味を噛み締めながら食しました★
が、胃のキャパオーバーで拙者は全部食べられませんでした(泣
皆さんは完食★ そら太さんなんかあの小さな体の何処に
収められるのか? もしや四次元胃袋!?(笑

と、食事に驚嘆しつつも、この朝食は食堂で頂いたのですが、
ここの食堂も凄いんです★ 奥には夜開店しているのでしょうか、
ラウンジバーがあるのですが、食堂正面のガラスケースの中には
錦の御旗に長州旗が★ 因みにラウンジバーはその名も「錦旗」★
竜馬さんや晋作さんの像もあったかなぁ? とにかく幕末モード(笑
寝ても覚めても幕末モードって凄いことです★ 贅沢だわ〜★
また、『街道をゆく』でこの松田屋を綴られた司馬遼太郎先生の
写真なども展示されていました★ 

で、司馬先生が綴られた松田屋自慢の庭園を散策★
夜は暗くてはっきり見えなかったのですが、
見つけましたよv 鯉ですっ鯉×2vvv そしてばっちり写真撮影→
こちら仲居さんに伺いましたら「鰭長鯉」というもので、
ヒレが長い特別な鯉だとのこと★ デメキンの鯉版みたいで
ひらひらのヒレが綺麗でした★ とても釣れる代物ではありません(笑

そしてそして、庭園奥に控えている西郷、木戸、大久保会見所★
坂本龍馬が薩摩・長州間を奔走仲介して薩長連合の手がかりを
つける為に再三長州山口へ来ては松田屋に滞泊したそうです★

そして慶応三年(1867)9月西郷、大久保らが山口に入り、
これを木戸や伊藤が迎えて、松田屋へ清遊にことよせて来駕し、
ここで薩長の盟約確認と連合軍の討幕出陣の具体的協議を
完結させたのだそうです★ ほほう。。。ここでそんな話を…(-_-)*

彼らが見たであろう景色を拙者も会見所の椅子に腰掛けて
見てきました★ 煙管箱なんかが置いてあって雰囲気抜群(笑
ここで難しい顔をつき合わせて協議したのでしょうか★
庭を鑑賞して楽しむ余裕はあったかなぁ? 美しかったですよ★

また七卿落遺跡として三条実美の手植松と遺墨碑があります★
八月十八日の政変で京都を追われた三条実美らは長州へ落ちのび、
山口湯田の何遠亭(かえんてい)に迎えられました★
が、何遠亭は公邸的関係で堅苦しかったらしく、
七卿らは平常しばしば、民間で自由のある松田屋に来遊滞泊し、
討幕の志士らと密議を画策したのだとか★ ほうほう。。。(-_-)*

というわけで、松田屋さん。。。何から何まで凄かったです★
幕末の残り香を存分に嗅いできました(くんかくんか。。。
もう一泊でもしていきたい気分でしたが巡察は続きます★
最後に松田屋の史跡のしおりや部屋案内図などを頂き、
(部屋名を全部記してあるものだったので欲しかったんですv)
そして記念に門前で写真を撮ってもらい、別れを惜しみながら
AM8:00★ 手配してもらったタクシーに乗り込み、
山口日本レンタカーへ★ そうです。今日はレンタカーで史跡巡り★
ドライバーはQouさん★ (カズキさんと拙者はペーパードライバー、
そら太さんは無免許だったのでQouさんに全てをお任せすることに…)

高速に乗って大移動★ 下関でまずはじめに向ったのは東行庵★
高杉晋作の墓守を志したおうの(後の梅処尼)の為に明治十七年
山縣有朋、伊藤博文、井上馨などが発起人となって浄財を募り、
おうのに贈った庵です★ 拙者は梅が好きだったという晋作さんを想い、
梅処尼と名乗られたおうのさんに感動★ もう一人の梅好きを想い
ほえほえ〜っと胸を熱くしておりました(~〜~≠アこまで来て自分ったら★

AM9:30★ 東行庵手前、駐車場脇の売店で『晋作餅』を購入★
確か¥80★ 梅の餡が入ったお餅で甘さ控えめ★ 美味★
日持ちするなら御土産に買って帰りたかったところ。。。残念(~_~)

そして事前に伺っていた情報通り、
東行庵内の資料館は閉鎖されてました★
それでもダメもとで入館★ 一階の売店は開いてたので、
御土産物等を購入しつつ、窓口の方に
「資料館にはもう何も残っていないのですか?」と伺えば、
「内緒ね?」と、こっそり二階を見せて頂けることに!!
「え、え、いいんですか!?」とドキドキしながら二階へ突撃★
史料関係はほとんどが萩の方に移されてしまった後で、
あまり残されてはいなかったのですが、それでも感激★
しかも私達だけの為にビデオや音声解説のテープ等まで
セットしてくださって。。。ありがとうございます―――(T▼T)v

思う存分資料館を堪能してきました★
そしてそして晋作さんのお墓参り★
総督のお墓、すごく立派でした★
日当たりの良い場所でしたよ(~―~)>
→は高杉東行晋作顕彰碑と像★
ここから晋作さんの像を探して廻ることになります(笑

また奇兵隊をはじめに遊撃隊などの方々の
お墓が山の斜面にずらっと勢揃いしていたので
お参りしてきました★

それに「おくれても おくれても
又 君たちにちかいし言を 吾 忘れめや」
(後礼天毛 後れても又 君た知尓
誓志言を 吾忘れ女哉)の詩が刻まれた岩があったり、
東行庵麓には梅園が広がっていて素敵でした★

AM11:00★ 東行庵を後にして、奇兵隊の屯所として
使われたという吉田裁判勧場へ足を伸ばしてきました★
吉田の代官所だったところなんですって?
東行庵からさほど離れていない場所に在るのですが、
今はくずれかけた土塀が残っているだけでした★
が、戻り際「晋作橋」なる橋を見つけましたよ→
はしゃぎながらも、さすがに皆疲労を覚えつつ次へ★

AM11:50★ 長府に出て訪れたのは功山寺★
高杉晋作決起の場です(@◆@)」
寺に潜居していた三条実美ら五卿に
『これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す』と
決起表明して、晋作は雪中を駈け抜けた…という
あの場所です★ 丁度、この長州旅行に来る前に
NHK「その時歴史が動いた」で松陰先生、
久坂玄瑞、高杉晋作、が紹介され、
そこで予習できていたのでドッキドキで訪問してきました★

元治元年(1864)12月15日雪の夜、
高杉晋作は功山寺に潜居していた三条実美ら五卿に
藩論統一のため蜂起の決意を述べ、
石川小五郎率いる遊撃隊と伊藤俊輔の力士隊を合わせ
総勢約80名で下関新地の萩本藩会所を襲撃しました★
長州藩の倒幕への帰趨を決めた、これが「回天義挙」★

これですっこれっ→!!すごくカッコイイ晋作像★
高杉晋作回天義拳像 ★ もうこれだけで胸一杯(笑
この像★ 桃型の兜を頸に掛け紺糸威の小具足に身を固め、
今まさに決起しようとする高杉の“等身大”の銅像なんですって★

で、功山寺ついでに長府博物館にも行ってきました★
入館料¥100★ 長府のマップや資料のしおりを
沢山貰ってきました★ 「城下町 長府」というしおりはオススメ★

→は万骨塔★
この隣に在る尊攘堂と共に吉田松陰・品川弥二郎の
遺志を継いで桂弥一により建設されたものだそうで、
全国の有名無名の勤王の士を出身府県毎に祀った慰霊塔★
また、この周囲の霊石は各府県の尊攘運動
縁の地の石を取り寄せたものなんですって★

AM12:00★ 長府毛利邸に足を向けるも、
この後の史跡巡りとの兼ね合いで時間が惜しまれ
中には入らず外から覗き見する程度に済ませ、
拙者は乃木神社も楽しみにしていたのですが諦めて
次に足を運んだ先は唐子市場★ 昼食に河豚を食べに★

PM1:00★ 新鮮海鮮市場ですので新鮮な河豚の
刺身を頂きたいところでしたが、御目当ての
寿司屋が大入満員だったので御食事処に予定変更★
拙者は河豚天丼を★ 河豚のてんぷらv
昨晩から河豚三昧…(~_~)あきれるくらい…(笑
「武蔵はまだか?」「河豚食べたい―!」の
JR西日本のCMが頭を掠めました(笑
美味しかったです★ 河豚って淡白でさっぱり味★

→は先に述べましたザビエルの下関上陸の記念碑★
PM1:30★ これを後に腹を満たした後
向った先は旧下関英国領事館★
唐子市場から徒歩10分程度のところにあります★

古くから下関は海運と商業が栄えており、明治時代には
東アジアに近い立地条件で外交・経済・交通の拠点として
国内外で重要な位置をしめ、明治半ばから昭和初期にかけて
この付近一帯には八カ国の領事館が開かれたそうです★
英国領事館が開かれたのは明治34年(1901)で、
この下関に領事館を開く必要性を強く説いたのは、幕末
下関戦争に従軍した英国人アーネスト・サトウですって★

外観は煉瓦塀で取り囲まれており、赤茶の可愛らしい建物★
この煉瓦、英国製の赤煉瓦が使用されているんですって★
見学は自由★ 入り口入ってすぐのところに記念スタンプがありますよv
室内は間取りが建てられた時とほぼ同じ状態だそうで
設えられた暖炉やマントルピースやタイルなどが素敵でした★

で、領事館から徒歩5分程度、旧秋田商会ビル★ 下関観光情報センターへ★
こちらでは今ウワサの武蔵展が催されておりました★ そして下関観光のしおりをGET★
巌流島への定期船の運航情報や、巌流島決闘寸劇の予定情報など★
武蔵FANには嬉しい情報提供の場でしょう★ 他にも博物館や宿泊施設情報も
提供してもらえるので、下関旅行の際には利用されると良いかと思います(~―~)

そして幕末モードに切り換えて、そこから徒歩15分程度(少々迷いました)
教法寺★ 萩本藩の門閥士族で結成された先鋒隊の宿舎だった場所です★
先鋒隊と奇兵隊はことあるごとに衝突していたといいます。そしてとうとう
この場で先鋒隊の隊士が切り殺されてしまいました★ この事件で高杉晋作は
奇兵隊総督を免ぜられて奇兵隊の本拠を小郡に移動させられたのでした★

こういった事件のあった場所ですので
当時の面影が少しでもないだろうかと
期待するも。。。全く気配すらありませんでした★
これにはいと興醒め。。。
因みに御隣の本行寺には小倉戦争で戦死した
山田鵬輔ら奇兵隊士のお墓があるそうです★

PM2:15★ 気分を取り戻して9号線を戻り「春帆楼」へ★
日清講和記念館です★ 春帆楼は明治28年(1895)に日清戦争の
講和会議が開かれた場所で、清国の李鴻章と日本の伊藤博文の間で
日清講和条約、いわゆる下関条約が締結された場所です★

坂の上に位置しているのですが、突き当りが旅館(ホテル?)みたいで
その門の内側に記念館の建物があるので「入っていいかなぁ?」と
そろりそろり訪問してきました(笑 こちらも見学自由★
講和会議で使用された調度品や資料などがガラスケース張りの中に
部屋がそのまま展示されてありました★ 雰囲気で怖気づきました(笑

そしてそのまま御隣りの赤間神宮へ★
壇ノ浦の合戦で入水した安徳天皇を祭神とする新宮だそうで
なにやら御伽噺に出てくる竜宮城のようなところでした(驚
「長門平家物語」や「源平合戦図」など貴重な資料の在る宝物館等も
あるそうなのですが、拙者達の御目当ては幕末期の阿弥陀寺★
奇兵隊屯所跡の碑があるという情報をもとに行ったのです★ が
見つかりませんでした。。。どこにあるんだろう?はて??(T_T)?

残念に思いながら車に乗り込み、関門橋を右手に
目と鼻の先に九州を見やりながら(ホント近いんですね。。。
これなら貿易船狙い撃ちできますよ★ ←馬関戦争
ううう…ここまで来たら長崎・鹿児島にも行きたかったにょ〜★
因みにこの9号線沿いで関門橋手前に源平壇ノ浦合戦の
古戦場跡の碑を来しなに車から見つけました★
教科書で学んだ「あの壇ノ浦の合戦があった場所にいるんだなぁ」と
感慨を覚えるもやっぱり気分は幕末モードへ(笑 閑話休題↓)

車を走らせること30分★ 日和山公園へ★
…これがまた大変な場所にありました。。。
公園の一角に高杉晋作像ということで行ったのですが…
道が狭い上に一車線の袋小路で進退極まりました(疲労
そそくさと一瞬の降車の隙に写真を撮ってUターン(笑
ドライバーのQouさん頑張ってくれました★
もうひと頑張りですっ★ 長州旅行もいよいよ大詰ですよ★

そして、もうひとっ走り(10分程度)して光明寺へ★
奇兵隊の母体となった光明時党の本陣です★
会津本陣の黒谷さん、金戒“光明寺”と一緒。。。
なにやら複雑…(笑 急な階段の上にあったのですが
表っ側だけで中に入ること適わず…残念★
加えてこの周辺もこれまた道が細い上にごちゃごちゃしてて
道脇に駐車することも出来ず。が、御誂え向きに光明寺
正面にP(有料)がありましたよ★ 計られてる!?

この時点でPM3:30★ もう15分程、9号線を西へ
車を進め、道成りに191号線を一気に北上★
向うは桜山神社★ 先に述べた「その時」でも紹介されて
いたので、「ここは逃せないっ」と息巻いていったのです★
。。。が、これがまずかった★ 後で気付いたのですが、
191号線沿いには重要なあったのです〜★ いや〜ん★
白石正一郎旧宅跡(奇兵隊結成の地)に、高杉晋作療養・終焉地★
行きそびれた〜。。。NO〜〜〜〜〜(0■0;)間諜失格★

とまぁ、嘆いたのは帰ってからだったので
ショックも2割増しだったのですが(嘆
桜山神社★ こっそり手前の病院の
駐車場に車を置かせてもらって参ってきました★
PM3:45★ 鳥居を潜って階段を上がってゆけば
中ほどに七卿史跡の碑がありました★

文久三年(1863)の八月十八日の政変で
長州に下った三條実美卿等が
翌元治元年3月26日、馬関砲台を
巡視した際、錦小路が病を発した為に
29日、彦島巡視の予定を延ばして
五卿方が招魂場に立ち寄ったのだそうで★

で、その招魂場は、階段を上りきって左手側奥★
元治元年(1864)一月、高杉晋作の発議から創建された招魂場★
慶応元年(1865)八月には社殿も造営され、招魂社としては
日本最初のものといわれているそうです★

創建当初は、文久三年(1863)5月10日に始まる下関攘夷戦で戦死した
奇兵隊士の霊を弔うものでしたが、後の小倉戦争(四境戦争)や
北越戦争(戊辰の役)で戦死した者、加えて長州の尊王討幕運動に
奔走した吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞らの霊も加えて、
今日では390余の志士がここに祀られているそうです★

この招魂場は、吉田松陰や高杉晋作といった
有名志士から奇兵隊小者といった名もない者にいたるまで
等しく祀られていて、そこに、奇兵隊における
武士・町人の身分を越えた理念が伺えました★
因みに招魂場となって後に桜を植えたことから、
桜山と呼ばれるようになったんですって★

さてさてPM4:30過ぎ★ 拙者は皆さんより一日御先に帰阪する為
桜山神社を後にして新下関駅まで送ってもらいました★
大学の卒業式を明日に控えていた為にどうしても帰らねばならず
念願の巌流島上陸を果すことが出来ないままに帰途につくことに。。。
なので、ちゃっかりウワサの「おそいぞ武蔵」なる特性どら焼きを
駅の御土産物屋さんで買い求め、がっちり買い込んだ土産の重さに
重力を感じつつ新幹線に乗り込んで3時間★ 無事帰阪★
到着の連絡をそら太さんにメールで入れれば、皆さんはこの日の宿泊先
火の山で夜景を楽しみながら河豚のステーキを食しているところだとの返信が。。。
うお〜拙者も最後までご一緒したかったでござる〜(0_0;)

そんなこんなで、この長州旅行は全力疾走で駆け抜けました★
巡察のその時は必死で、一日が短く感じたものでしたが、
こうやって改めて振り返ってみると、身震いするくらい内容の濃い旅行でした(笑
今回こうやって長州の風に触れる機会を拙者に与えてくれたそら太さん、
そして新たに親交を深めることが出来たカズキさん、Qouさんに
感謝の意をこめて「旅行、御疲れ様でした(~―~)v」また御一緒しましょう♪



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