巡察

長州潜入調査
平成十五年三月十六〜十九日
今回の長州ツアーはオンラインで知り合ったそら太さんを幹事に、
カズキさん、Qouさんの御三方と御一緒して、
長州は山口県へ史跡巡りの旅に行ってまいりました★
間諜として長州事情を潜入調査です(笑

長州事情に疎い拙者は、先の京都巡察の折にそら太さんから借り受けた
資料で長州事情を猛勉強!勉強の成果を試す機会でございます★
が、付け焼刃の知識で心細い拙者にはありがたいことに、
そら太さんは「長州ツアー旅のしおり」を作成して下さいました★
史跡リストはもちろん地図や帰りの新幹線の時刻表なども
冊子にまとめた立派なアンチョコ★ 強気に長州へGO×3★

十六日、夜行バスに乗り込み大坂を出発★
前日まで天気が思わしくなく、週間予報では連日雨の予報だったので
空模様を窺いながらの道のりでした★
携帯でネットの天気予報をCHECK×3!「晴れてちょ〜」(念×3!
明けて一七日、AM8:30萩バスセンター到着★
曇り空ではありましたが、なんとか雨は踏み止まってくれたお天気★
「この調子なら自転車(レンタル)で回れそうだね」と早々に息巻く面々★

まずはバスセンターから今夜の宿である萩ユースホテルに向かう為、
萩循環まぁーるバス「晋作くん(西回りコース)」に乗り込む★
東回りコースは「松陰先生」★ バスのネーミングもさることながら
アナウンスで流れる各バス停の名前や史跡の解説に一喜一憂★

この萩循環まぁーるバスは30分間隔で運行されているループバス★
料金は何処まで乗ろうと一回¥100★
拙者たちは今回レンタルサイクルで史跡巡りを決行しましたが、
雨の場合などには一日乗車券¥500がお得ですよ★

バス停「萩城跡・指定公園入口」で下車★
萩城の目の前に位置するユースホテルで荷物を降ろし、
ユースのおじさんに萩観光のあれこれを教えてもらって地図も貰い、
自転車をユースで借り受け(一日¥500)早速、萩の町へGO!

まず初めに行ったのは萩史料館★ユースの斜向かい★
入館料¥500★ 藩政時代から明治にかけての資料が沢山展示されてありました★
美術工芸品や絵図などはそこそこに、拙者達が目を輝かせたのは
藩主、維新志士の写真に解説資料、吉田松陰の書や書簡等★
武具とかも歴史の一場面を彷彿させるものばかりでした★ 因みに館内撮影禁止(悔っ

次に東へ自転車を転がして辿り着いた田中義一銅像前★
写真を撮ってサクサク次へ★ ←予定いっぱい×2の為、時間節約★
も少し東へ転がすこと5分程度★
江戸屋横丁手前の自転車駐輪所で自転車を停めて
徒歩で向った先は木戸孝允旧宅★
言わずとも知れた桂小五郎さんの家です★
もともとは藩医和田昌の長男だったものが
桂家の養子となって桂小五郎を名乗り、
この家には20歳まで住んでいたのだそうです★
←今回の潜入調査、順調なすべりだし(笑

居内は見学自由★ この入り口はもとは患者用の玄関として使われていたのでしょうか?
家には道標を辿って庭を回りこみ、裏側から上がることが出来ます★

玄関に記念スタンプ発見★ こんなこともあろうかと拙者は集印帳を携帯★
観光地巡りには欠かせません(~―~)v で上がりこんでみれば壁のいたるところに
額入り写真の数々!殆どが明治以降のものですが、桂さんって写真好き?
「絶対、自分好きだよね。桂さんって」の科白に一同頷く…(笑

仏間には京都ホテル前にある銅像のミニチュア版が飾られており、
落書きをしたという柱の一部も展示されてありました★
もう目を凝らさないと読み取れないぐらいのものですが、
「死して後已む」とあります→ 右から書いてあります★
が、落書きとはいうもののレベルの高い落書きですね(汗っ

次に御邪魔したのは御隣の青木周弼旧宅★
青木周弼さんというのは高杉新作の天然痘を治療したという名医★
こちらも見学自由★ ちょうど季節柄か、
お雛様の展示会が催されていました★
江戸・明治・大正・昭和初期のお雛様がぞろり★
そこで教えてもらったのですが、雛祭りって平安時代に
「ひひな」という遊びからはじまって、
室町時代に部屋で鑑賞するお雛様が登場し、
町人文化が栄えた江戸時代に庶民の間で
「雛祭り」の行事が盛んになったんですって★

萩では新暦になってから4/3に雛祭りがされるらしく、
また8/1の八朔(はっさく)の日を祝う行事には
八朔雛なる土人形もあるんですって★
ここにも記念スタンプありますよ★ 桂小五郎旧宅とセット★

お雛様の煌びやかさにウキウキさせられつつ、
次にむかったのは円政寺★
「高杉晋作、伊藤博文 両公幼年勉学之所」★
…晋作君は遊び場かな?
訪問費用に¥200でしゃれたイラストMAPがもらえます★
ここで伊藤さんは住職に諭され読み書きに
精を出していたのですね★ お寺で御勉強★

「ここでどんな遊びをしていたのかなぁ」と想像を巡らせつつ、
境内、右手を見やれば馬を発見★
またがって遊んだりしていたのでしょうね★

視線を上に向ければ大きな天狗の面!
どうも子供の頃、臆病だった晋作が
度胸を付けられたというお面なんだとか★
ふむふむ。臆病だったのか(微笑v
因みに円政寺の記念スタンプはこの天狗面★

帰り際、門の裏右手側におもしろい方便表を発見★
一例を紹介しますと、「へーから」は“それから”、
「へーたら」は“そしたら”、「へーでも」は“それでも”★
“おしゃべり”を「かばち」と言ったりするようです(゚▼゚)

晋作さんや博文さん達もそう喋っていたのでしょうねぇ★
土産物屋で見かけたのですが、
この方便を連ねた湯のみなんかも売られてますよ(笑

続けて高杉晋作誕生地に向かう途中、菊屋横丁を北上すれば
左手側の家の塀に面白いものを発見!竹を半分に割ったものに
栄太(稔麿)や久坂さんの歌が綴られてあるナイスな飾り★
思わず足をとめて写真を撮ってきてしまいましたよ(笑

Qouさんと拙者がそれでもたもたしている間にそら太さんとカズキさんは
高杉晋作誕生地へ早くも到着。。。拙者達も急ぎ駆けつけ、
¥100で訪問★ 高杉晋作略伝の綴りを頂けます★
受け付けのお婆さんがとても気の良い方で、
まるで身内のことを語るかのように晋作さんのことや
御子孫の活動のことやらを話して聞かせてくれました★
そして家屋を庭にも回りこんで見学★ 中には写真などが飾ってあって、
GOODSなんかも展示されてありました★ 天気が良かったので庭で
のほほんティーでもしていきたい気分でしたよ★
きっと高杉さんも庭でひなたぼっことかしたでしょうね★

因みに誕生地の記念スタンプの晋作さんは…
ちょっと顔がつぶれてます(嘆
いえ、決して御本人の顔がつぶれているからとかではなくっ★
オンラインでは飛蝗だとか馬面だとか言っていたのですが(失敬っ
スタンプは二種類あるのですが
両方共…見た感じ松陰先生に似てるような。。。ぼ〜ん。。。

高杉晋作誕生地を後にして、
田中義一誕生の地を右手側に覗き見てからぐるっと一周★
この時点でAM11:30★昼前でしたが昼食を食べることに★
・・・実は朝食抜きで史跡巡りをしていたので
もうお腹ぺこぺこ★ 木戸孝允旧宅の向かいにある
そば屋さん、「がんこ庵」に突撃★ 入口一番、驚いた注意書き。。。
「躾を放棄されたお子様同伴者おことわり」の表示。。。
すげ〜かっこいい〜。。。しばし感心★
窓際の席に陣取って、早速拙者とカズキさんは小五郎そば、
そら太さんとQouさんは毛利家そばを注文★

待つこと10分★ これですっこれ→手前右と奥左が小五郎そば、
手前左と奥右が毛利家そば★ なんとこれらのお皿はすべて萩焼き★
それに、お茶ではなくそば湯でもてなしてくれましたよ★
空きっ腹に染み入る美味しさでした〜vvv

腹を満たしてから次に向かったのは藩校明倫館跡★
現在は小学校になっています★
萩の明倫館といえば、水戸の弘道館、
薩摩の造士館などと並ぶ全国有数の藩校★
もとは享保4年(1719)五代藩主毛利吉元により開かれ、
家臣や子弟などが英才教育を受けた名門校だったのですが、
幕末嘉永2年(1849)に現在の位置に移築されたそうです★
当時の敷地面積は約5万u★ 拙者達は自転車のまま
乗り込んでいったのですが、やはり広い。。。
小学校の校舎が木造で、これまた粋な雰囲気でしたよ★
(きっと生徒達には不評だろうなぁと思いながら…)★

「だいじょうぶかなぁ?」と思いながらも
小学校の敷地内を散策★ ←怪しいっ(怯っ
裏手に槍剣術道場の有備館、水練池などがありました★
「ほうほう…」と感心していると明倫小学校の生徒
(多分1・2年生くらいの男の子)とすれ違いました★
そしたら「こんにちは!」と元気に礼儀正しく挨拶してくれたんです★
「こんにちはv」と挨拶を交わすものの、
教育レベルの高さを肌で感じた瞬間でした(笑
皆さんの身近な子供さん達は、ちゃんと挨拶できますか?

で、次は262号線を南下して萩駅舎へ★
洋館駅の傑作として大正14年に建設されてから
何度目かの改築工事を経て、
平成8年12月20に文化庁の登録文化財に指定されたとか★
ほとんど当時の姿を残しているらしく、
ミルクエメラルドのかわいらしい駅です★ 舎内見学自由★

ここで「日本の鉄道の父」と呼ばれる井上勝さんをお勉強★
伊藤博文や井上馨らと共にイギリスに密航し、
ロンドン大学で鉱山・鉄道の技術等を学び、
明治元年(1868)に帰国★ 明治5年(1872)9月12日、
日本初の鉄道、新橋⇔横浜間を開通させた方なんですって★
因みにその時の列車は時速35キロ程度の9両編成列車★
文明開化!ってかんじですね★ るるる〜(゚_゚)

そんな明治の空気を感じてから次に自転車を転がしたのは
「歴史の道、萩往還」★ その昔、毛利藩主や維新の志士たちも
通ったという道だということだったので、
本当は直に足で歩いてみたいところだったのですが…
時間を惜しんで走り抜けました(涙

萩駅より南下すること約五分★ ゆるやかな上り坂に差し掛かり、
息があがり始めるまでこぎ続けること約10分。。。
「涙松」前到着★ ぜいぜい…(苦 はぁはぁ…←運動不足

ここは、旅立つものが松の大木の間から涙ながらに
城下に別れを告げるという風習があったという場所で、
あの安政の大獄で江戸に送還される吉田松陰が
門下生達に別れを告げたというところ★
しばし感傷に浸りつつ、あがった息を整え(はぁはぁ…苦
まだまだ南へ続く上り坂をひたすら上がること10分★
折から快晴に続き気温も急上昇★ 流れ出る汗を拭いつつ
上着をぬぎぬぎ…(冬のロングコートだったので暑い×2★
立ちこぎすることもできず自転車をおして上ること15分★

ひいこら辿り着いた先は「道の駅、萩往還公園」★
はからずしも(笑)自分の足で歩きましたよ。。。

萩有料道路の料金所に面した公園なので、
車でぶいーんと行けばすぐなのでしょうが
自転車で山道を上がるのは骨が折れまくりです★
上るごとに山の峰が近く感じられていくというのには
すがすがしさを覚えましたよ(笑

で、その道の駅に何があるのかというと、松陰記念館★
入館自由★ 館内では村塾の風景を模したセットや
人物紹介のパネル等があり、アナウンスで村塾気分が味わえます★
「先生、私は物覚えが悪いのですが…」のコメントに
拙者も悪いので教えを請いたいっ!と耳を傾ければ、
「繰り返し励みなさい」のアドバイス★ ほぅ。と溜息。

一通り記念館を見終わって外に出れば、そこには奴らが!
高杉さん、久坂さんが両脇を固めた松陰先生→
他にも天野清三郎、野村和作★品川弥次郎、山田顕義★
山縣有朋、木戸孝允、伊藤博文★←これには異様な反応(笑

汗もひいてきたところで、今度は苦労して上ってきた道を
262号線沿いに急滑降(泣) 出だしからおかしかったのですが、
怖かったことにカズキさんの自転車はブレーキがきかない!?
拙者の自転車はブレーキの音が五月蝿かった。。。
油さして下さいよ…。。。皆さん、借り自転車には気を付けて下さい(汗

上った時間の1/4で橋本川まで戻って橋本橋を渡って右折★
山縣有朋誕生地へ行ってきました★
…ネットで窺い知っていたのですが、
ズバリ山縣さんって好かれていないのですか?
史跡紹介の看板は傷だらけ…
ちょっと痛かったです。。。そんなわけでサクサク次へ★

262号線を北へ戻り、191号線を超えてから東へ右折★
品川弥次郎誕生地の碑を公園脇に発見★

写真を撮って、ふと空を見上げれば怪しい雲行き。。。
「……(゚_゚;)」「……(-_-;)」一同顔を見合わせ、
(天に祈りつつ…念っ)そのまま東へころがすこと5分★
松陰神社の大きな鳥居を目にして、神社手前右側、
松浦松洞旧宅跡・誕生地の碑をバス停裏に発見★

改めて鳥居をくぐって松陰神社へ★鳥居奥の駐輪所に
自転車を停めて、まずは鳥居を入って左手に位置する
吉田松陰歴史館へ★ 朝、ユースのおじさんに貰ていた
割引件を利用して¥600で入館(¥50割引でいた)★
中は松陰先生の人生を辿ってエピソードを蝋人形紹介★
とってもリアルでびっくり。。。怖いくらい(゚◆゚;)
あの松陰先生の肖像画(松浦松洞画)のまんま★

リアルな情景に目をみはりながら写真をぱちぱち★
館内撮影可(だったはず。。。思いっきり撮りまくってました)
出口で周辺観光ガイドも付いた吉田松陰歴史館の
パンフレット¥200を購入★説明文が添えられているので
記憶が新しいうちに情景を振り返りながら勉強×2っ★

ちょっと吉田松陰歴史館は(ユースのおじさんにも言われるくらい)
値段的にちょっと高いなぁと思わせる入館料ですが、
それなりに強烈なインパクトを残してくれるものでしたので、
松陰神社に訪ねられる折には覗いて見ては如何でしょうか?
色んなところ(宿泊施設など)で割引券が発行されているようなので
利用させてもらったら¥50御得ですしね★サービスは有効利用★

松陰神社は奥に広くなっており、歴史館を出て歩を進めれば
ありました!松下村塾★上がりこむことは出来ませんが
その広さを目にして村塾のアットホームさを感じました(~―~)>

萩を観光していると(何処ででもそうですが)、
観光地スポットであれば団体旅行客がガイドさん付きで
訪ねているので、それにこっそり混じって案内してもらうと便利です★
史跡説明の看板読む手間が省けますしね(笑
拙者、この手でよく団体旅行客に混じって行動する為、
今回もまたこっそり潜り込んでいたのですが
気付けばそら太さん達と逸れていたのには慌てました(うわ〜んっ

そして村塾の奥に松陰神社★先生が神様なのですね。。。
御参りをして御神籤(販売機¥30)があったので皆でひいてきました★

カズキさんは一度に二つ出てきてしまいワタワタっ(笑
拙者…吉でございましたが、
いささか悪い暗示がつらつら…(びくびく
なので神木に括りつけようとしましたところ、
「ぶちっ」(+■+;)ひえっ!?
御払い×2…と思って括っていたら
余計に力が入ってしまったのでしょう。。。
みごとにちぎれてしまった御神籤を手に嫌な予感を覚えつつ、
無理やり括りつけてきました。。。……間諜だとばれた!?(笑

神社正面にあった松陰幽囚旧宅の三畳間を見学してから
少し小腹を満たそうということで神社手前の売店で、
拙者とカズキさんとQouさんは松陰団子(¥320)を★
結構ボリュームのある味噌団子でした→
そら太さんは“納豆入り”晋作うどんを★チャレンジャー!!
その名の通り納豆が入っているのです★
ネーミングからして、晋作さんのイメージが
納豆だということなのでしょうか? …ねばっこい?
拙者らも味見をしてみたのですが、
摩訶不思議な味でした(笑 ねばねばはなかったのですが、
やはり口に残る味は納豆でした★ 晋作さんの味かしら?

小腹を適当に満たしてから自転車を転がして
松陰神社を右裏手に5分弱★
吉田稔麿誕生地へ★ 左手脇にあります★
事前に資料で伺っていた通り稔麿の字が
稔丸に。。。これは単純に間違っているのですか?ほえ?

今、某漫画で彼は大活躍(?)しているので
拙者も興味を持っていたのですが、
今は稔麿でなくて栄太の頃の彼を知りたいところ★
やはり敵情視察はウキウキしますね(~◇~)

そして、もうちょっと先に進んで伊藤博文旧宅・別邸へ★
脇の公園には立派な博文の像が★
拙者達は外見だけ見てきたのですが、別宅には上がれるらしく、
ちょうど椿展(?)が催されている様子でした★

そこからまたもうちょっと先に進めば玉木文之旧宅が★
拙者勉強不足でしたのでそら太さんのしおりで確認いたしますれば
玉木文之さんとは松陰先生の御師匠さんとか★

さてここで時間はPM3:42★次に向う先を検討するため立ち会議★
そのまま北へ進路を向け山道を700m上がって顕義園
(山市公園、銅像あり)へ向うか、高杉晋作草庵・東光寺方面へ向うか★

先程の道の駅の坂道のダメージもあり、
山道は嫌だ…という雰囲気が勝り後者へ向うことに★
が!こっちもやっぱ山道だった―――!!(泣
しかも道の駅の坂道なんか目じゃない急勾配!!坂道初っ端から
断念して自転車を押して上がりました。。。へろへろ。。。
頑張って上ること10分★ めっちゃ高い位置で見晴らし最高!!

上がりきった息を整えようと駐輪していると、「ぽつ…」。。。(゚_゚;)>
「はわっ」と思った途端に「ぽつぽつぽつ――」と雨が降ってきた!!
御神籤通り嫌な予感的中!!呪い!?ひ〜んっ(泣

が、「ここまで来て引き返せるか!」「これぐらいの雨平気×2っ」と
雨からカメラをタオルで守りつつ松陰先生をはじめ、
高杉さんや久坂さん、吉田さんらのお墓参りをし、
坂の正面に位置する松陰先生の像を写真に収め、
吉田松陰誕生地で産湯に使ったという井戸を確認し、
この傍に高杉晋作草庵の碑を確認★
庵自体はもっと山奥にあるのだそうで★

10分ばかりここで雨に降られていたのですが
この時点でPM4:00★

萩の空にかかる厚い雲を目にして
降り続ける雨の勢いが増していることに
一同眉をひそめ、悔しい気持ちながら東光寺を諦め、
一旦、松陰神社に撤退することに。。。

今度もまた苦い思いで上った坂を一気に急滑降!!
本降りになった冷たい雨に打たれつつ
松陰神社へ立ち返り、しばし様子を見るために雨宿り★

拙者はロングコートだったのでタオルハンカチで雨に濡れた
コートや髪をぬぐいぬぐいしていたのですが、
そのハンカチがジョ―――…っと搾れるくらいでしたので
かなりの雨だったということが想像していただけるかと。。。

ちょうど松陰先生が行ったという場所の
写真展が催されている間があったので
そこを見学して時間をつぶすこと20分★
晴れた!!奇跡だっラッキ〜(゚▼゚)(゚▼゚)vvv
自転車を残してバスで帰るわけにもいかなかったので
天候回復には助かりました(ほっ

というわけで巡察再開!
西へ戻り入江九一・野村和作兄弟誕生地へ★
九一さんといえば久坂さんの影で
ちょっと存在が薄い(?)彼★
拙者は蛤御門の変で久坂さんと
ワンセットな感覚なのですが、
実直だったという彼のイメージに
好感を覚えています★

で、入江兄弟誕生地の手前には
周布政之助旧宅跡★
共に民家の前に碑が立っています★

もう少し西へ進んで井上勝旧宅へ★
上記“鉄道の父”の井上さんです★
こちらは外観のみ見学可★

そして北へ進路を変えて前原一誠旧宅へ★
こちらも外観のみ見学可★ 当時のまま現存しているとか★
前原一誠といえば萩の乱★ 無念の死を遂げた彼が
死に際に「松陰先生へ告げ口してやる〜」と言ったエピソードが
印象的で、詳しく知らないながらも興味のある方です(笑

萩橋手前でまた進路を西へかえて野山獄・岩倉獄跡へ★
野村獄には松陰先生や総督が、
岩倉獄には入江兄弟らが入ったとか★
もう獄舎っぽいものは残ってないのですが、
六角獄舎同様…やっぱりぞくりとしました(゚_゚;)

獄舎を後にして次に向ったのは長寿寺★
こちら河上弥市と入江九一のお墓があるということなのですが、
入って手前にあった河上さんのお墓は確認できたのですが、
すでにPM5:00をまわってしまってお寺の方に会うことも出来ず、
入江さんのお墓は見つけることが出来ず終いでした。。。とほ〜★

しょぼしょぼしながら次に向ったのは(まだ行くよっ)女台場★
海に近いのだろうと思ってちゃりを転がして行ったのですが、
どこをどうやっていったらよいのやら。。。道がわからず難儀。。。
地図を見直し何度か袋小路に突き当たり×2…
標識を見つけてやっと辿り着くことができました(へろり
わからなかったものだから松林も自転車でのぼったよ(笑

武士の妻たちが土塁を積み上げたという女台場★
海からはちょっと遠め。。。
ちっちゃい公園の奥に碑がありました★

時間帯で夕日が海に沈むのが見れるかもv
と期待していたのですが、
生憎の曇り空にベストショットは狙えず(悔)
海を右手に次へ向ったのは(ラストスパートよっ)

久坂玄瑞旧宅跡★ 碑だけが残っているのですが、
ちょうど久坂玄瑞旧宅跡バス亭の真ん前★
まぁーるバス「晋作くん」に乗って行ったら
迷いません(迷いようがない)★

そこからユースホテルに帰還すべく進路を北に向けて
立ち寄ることが出来た堀内鍵曲★
敵を迷わせ、あるいは追い詰めやすいように
工夫して造られた鍵曲★

別名「追廻し筋」とも呼ばれ、道が鍵の手に曲がり、
左右を高い土塀で囲むなどしてわざと見通しを悪くした道★
他の場所にもいくつか鍵曲があるようなのですが、
ここの鍵曲は未舗装なので往時を彷彿とさせます(゚■゚)

残念だったことに、このすぐ近くの口羽家住宅(見学無料)は
PM5:00までということで見ることが出来ませんでした(無念っ★

なので最後の最後、日も暮れてから天樹院墓所に立ち寄ってから
ユースホテルに帰還しました★ もう最後は何がなんだか。。。

一日中ちゃりで萩を巡察してくったくた。。。ぷらす…自転車のサドルが
硬かった為にお尻が痛い痛い…(T▼T)うう〜ん。。。
お尻をさすりさすり、結構豪勢な夕食を頂いて明日の天気をTVで確認★
曇り後晴れということでホッと一息ついて、持ち寄ったお菓子を貪りながら
トランプしたりして部屋でまったり時間を過ごし、「納豆入り晋作うどん」の写メールが
Qouさんから届けられたりと、皆してイイ具合に壊れていました。。。(笑
また並行して今日一日を振り返る暇もなく明日のプランを練り練り★

そうそう★ 御風呂は皆別々だったのですが、拙者は共同風呂を利用しましたら
丁度一緒に泊まっている方々と一緒になりまして、御風呂で旅話を伺いました★
ユースの醍醐味ですねv 拙者らのように史跡巡りをされていた方はいなかったのですが、
焼き物の旅をされている方や食の旅をされてる方、中には一人旅で
日本北上の旅をされている方がいたのには驚かされました!女性ながらに天晴れ!!

ホットな一時を過ごして部屋に戻れば、やはり一日の疲労からか
枕投げして遊ぶ余力もなく床に体半分突っ込んだ状態の面々★
明日に備えて早めに就寝することとしました ZZZ…m( ̄▼ ̄)m

  
2003.3.18 ⇒

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