巡察



← 2003.3.16-17



明けて十八日★ Qouさんがセットしてくれた携帯の目覚まし『運命(ダダダダーン♪)』で
AM7:00起床(目覚め爽快っ)(+■+;) 朝から皆して朝食はおかわりしてモリモリ食べて
AM7:30早速、朝一の巡察開始!昨日、行きそびれていた萩城へ!ユースの目の前★

と、堀を覗き見て思わずシャッター切りました!
いつかの姫路城の時と同様!ここにもいましたよ主が!!
写真は残念ながらタイミングを外してしまったようで、
はっきり映っていなかったのが残念無念(+▲+)く〜(悔っ

入城門の所で係りのおじさんに観光目安時間を伺えば、
30分程度で見て廻れるとのことだったので
早速入城チケット購入(¥210…だったかな?)★
このチケット、旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋の入場券も
兼ねている物だったのですが…
残念ながら時間に余裕がなく、拙者達は萩城のみ
観光してきました★ 長屋も見たかったなぁ(T▼T)

さて萩城(~―~) →は天守閣石垣から城下を見たもの★
関ヶ原の戦に破れ中国地8カ国の領地を削られて
周防・長門の2カ国36万石9千余石の領主に
移封された毛利氏★ そこで輝元が萩指月山麓に築城し、
居城としたのが萩城で、文久三年(1863)
第13代藩主敬親が藩府を山口に移転するまでの
260年間政治の中心地でした★

が、城のシンボル天守閣は明治7年に解体されてしまい、
今は天守の土台が残るのみ★
高さ14.4m、下層は東西19.8m×南北16.2mの
五層構造だったそうです★
最上層は勾欄をめぐらした桃山初期の形式を示す
白亜のもので初層が石垣の外に張り出してあって
俯射装置として利用できるようになっていたんですって★

天守閣がなくなってしまったのは残念でしたが、
他に茶室や書院なんかが残されており、嬉しかったのが
花の江茶亭(自在庵)★ もと藩主毛利敬親の別邸に
あった茶室を明治20年頃移築したもので、幕末の頃、
敬親が茶事にことよせて家臣と共に国事の密議をこらした場所です★
「益次郎さんとか通っていたのかなぁ?」とかドキドキしながら
表から覗き見てきました。。。上がれないようだったので残念★

また、歩を進めれば志都岐山神社が奥まった所にあって、
毛利輝元を主祭、元就、敬親二公を配祀とし、
他の代々の藩主は合祀して、明治12年萩の有志が山口にある
豊栄・野田両神社の分社として建てたものなのだそうです★

一通り見て廻れたのでそろそろ時間も気になり引き上げることに★
が、耳を澄ませば「ざざ〜ん。。。ざぱ。。。」と波の音が★
もしやっ!と思って脇道を覗けば砂浜が目の前に!!
「え〜!?お城の脇がもう海になってるなんて!!」と驚きながら
砂浜に駆け込む面々★ ←普段海と無縁なので大興奮(笑
「こんだけ外に近いと危機感も実感できるものだよね…」と
攘夷気勢が高まった長州の地理的要因を見た気がしました★

水遊びとかしそうな勢いだったのですが(笑)ある程度海に感動してから
萩城を後にし、御土産物屋さんを見つけたので訪問★
萩名産の夏蜜柑(ホント…萩はあっちもこっちも庭まで夏蜜柑畑で凄かったです)
専門店の「萩夏みかん工房」★ ←萩城を出て橋を渡ってすぐの所★
お店の人にすすめられて夏蜜柑のジャムやジュースを
試食で御馳走になり、どれもこれも美味しくて、
迷った挙句拙者は濃縮ジュースを購入★
その名も「村塾」★ 水などで4倍に薄めて飲むというもの★
帰ってから美味しく頂きましたよ★
水で薄めるだけでも美味しかったですが、
御湯で割ったらホットオレンジv 色々試してみたのですが、
拙者的にクリティカルヒットは炭酸で割った夏蜜柑サイダーでしたv
アレンジできる濃縮ジュースだったので、おすすめです(~▼~)

が、御土産購入に少々手間取り、バスの時間が迫っていたので
急いでお店を出てユースに荷物回収に走りました★
朝方は曇り空だったのですが天気予報どおり快晴へと天候は回復★
さぁっ!長州旅行二日目の次なる行き先は山口市★
AM9:25の「晋作くん」で一旦バスセンターまでもどってそこから改めて山口市内へ★

と、その前に。。。AM10:00★
昨日、訪ね忘れた山県有朋の新しい像、略して「にゅ〜ガタ像」を
見に行きました★ 場所は明倫小学校横の市民球場の西
191号線に面したところ★ 立派なブロンズ像!!
そこで一同「ははん…昨日訪ね損ねたから機嫌を損ねて雨を降らせたな?」
「今日は朝一に訪ねたものだから機嫌よくして晴らせたな?」などと
昨日の最悪の雨をガタの呪いとして鼻をならす面々。。。ぐは〜( ̄■ ̄;)

そんなこんなでへろへろしながらバスセンターに向かい、
山口市行きバスに乗り込みAM10:35バスセンターを出発★
昨日必死になって汗して上った「道の駅、萩往還公園」を通り過ぎ、
そこの松陰先生や晋作さん達に見送られて…所要時間約1時間★
疲労からか皆して寝て行ったのですぐに到着しました(-■-)ふぁぁぁぁ(欠伸

丁度、本日の宿前のバス亭「湯田温泉前」下車★
二日目の宿はちょいと奮発(~―~)v 旅館「松田屋」さんに早速訪問★
この松田屋さん★ こちらも史跡の一つだというのが拙者達が魅せられた理由★
というのも、幕末期に志士達が集ったという宿だから★
はやる気持ちを抑えて、まずは荷物を下ろしに★
そして部屋には上がらずそのまま市中探索へ★ 松田屋さんは後のお楽しみ(~―~)v

AM12:20★ まず向ったのは「おおすみ歴史美術館」★
美術館…というイメージとはちょっと食い違った印象でした★
というのも観光バスセンター(?)ぽい建物の二階が
美術館になっていたので★ しかも入り口が左脇の
狭い階段をのぼるようになっているので、ちょっとわかりにくいかな?
一人で入るのはちょっと勇気がいるような雰囲気。。。

が、階段脇からしてもう展示物がv
上ったら右手の受付で¥200(入館料)★
正面から「明治の三筆」野村素介・杉孫七郎・長三州の名筆が迎えてくれ、
さして広くはないものの刀剣や長州鍔、松陰先生をはじめ木戸孝允、高杉晋作、
久坂玄瑞、大村益次郎、伊藤博文、山県有朋、井上馨らの書状の数々が★
また腰をおろせるスペースには維新書籍がずら〜。。。(新撰組はなかったわ)

所狭しと並べられる史料の数々に目を光らせていると、
副館長さん(?)が出てきてくださり、
色々説明してくださった上に山口市観光のパンフレットをはじめ、
解説資料の数々を頂戴してしまいました★
しかも後で知ったのですが、別所で¥600程で販売されていた
「山口県の博物館」という冊子までくださって(゚■゚)
加えてQouさんが赤根武人→FANということを告白すると、
ここの館長さんも赤根さんに思い入れのある方だということで
話が弾み、この後予定していた史跡巡りのことを話すと
タクシーを用意してくれるということに★ ←1Fの大隈観光★
館長さんがいたら自家用車で連れて行ってくれるということだったのですが
生憎この日は不在とのことで★ Qouさんがっかり★

副館長さんには大変良くしてもらって、
手配してもらったタクシーに4人満員で乗り込み
美術館を後にしてまず向ったのは「井上馨遭難之地碑」がある場所★
とっても大きな碑でした。。。そこまで大きな意味がある碑かなぁ?
道に面してあったのですが一車線でしたので
サクサク写真をとってすぐに移動★
なにやら今日も忙しい巡察になる模様(笑

その間、運転手のおじさんも歴史通で
(仕事柄観光紹介が御上手)史跡ごとにエピソードを紹介してくれました★
そら太さんとQouさんに至っては熟知していることだったようですが、
付け焼刃の知識しか持っていない拙者やカズキさんにとっては
ありがたい解説でした★ 観光ツアーでないのに特別解説でしたよ(T▼T)

そして次に向ったのは赤根武人の首が晒されたという「重岩」へ★
この事情をおじさんは知らなかったのでしょうか、
「あまり来る人いないよ?」とのコメントに
一同「…そ〜ですよね〜」と苦笑い★

そうこうしながら次に瑠璃光寺向う途中、
ザビエル記念聖堂に立ち寄りました★
おじさんが解説がてら立ち寄ってくれたのですが、
こちらのザビエル記念聖堂。。。昭和27年(1952)に
ザビエルの山口来訪400年を記念して献堂されたものが、
平成3年(1991)の火事で昔の様式が失われてしまい、
平成10年4月の再建で近代的な造りになってしまったとのこと★
前はザビエルのキリスト教布教の経緯を示した
ステンドグラスなどが飾られていたのに、今はただのインテリアなのだとか。。。
それじゃぁ記念聖堂の意味ないじゃないですか…ねぇ?

この折にキリスト教布教の経緯を解説してくださったのですが、
日本に一番最初にキリスト教が布教された場所ってご存知ですか?
拙者達はイメージ(天草四郎とか)的に長崎かなぁ?と思っていたのですが、
なんとここ山口が日本最初のキリスト教布教地なんですって★
あまり知られてませんよね?なのでちょっと御勉強(~―~)v
(聞いただけでメモらなかった為、拙者の記憶した限りの解説です↓)

日本にはじめてキリスト教を伝えたスペイン人宣教師、
フランシスコ・ザビエル★ これは教科書でも教えられるので常識ですね★
天文18年(1549)鹿児島に上陸したザビエルは、まずは天皇に
布教許可を得る為、上京しました★ が、応仁の乱で荒廃した京で
布教活動をすることは出来ず断念。。。そこで、西の京と謳われた山口に
的を移し、西国一の実力大名だった大内義隆に布教願いを請うたのでした★

…あってるかな?あってるよね?…どうかな??自信ない(゚_゚;)
ま、そんな御話と一緒に津和野のことも聞いたのですが、
津和野って今じゃ観光地化していますが、当時は姥捨て山だったんですって?
また処刑場でもあったとか?…なにやら血生臭い御話を伺いました★
ちょっと津和野のイメージが変わった瞬間でしたね。。。

さて、そんなこんなで瑠璃光寺へ★ PM1:30★
山の上にあるのですが、今回はタクシーだったので楽ちんでした(笑)
こちら幕末とは関係ないのですが、山口観光として有名処だということで★
大内氏隆盛期の貴重な遺構で、山口のシンボル★ 国宝ですって★
この瑠璃光寺五重塔は大内氏25代義弘の菩提を弔う為に、
弟の26代盛見(もりはる)が建立に着手し、その後40年かけて
嘉吉2年(1442)、28代教弘(のりひろ)の世にようやく完成したもの★

大内氏というのは山口の発展に貢献した西国一の大名★
14世紀中頃、周防・長門二国の守護大名となった24代弘世→が、
この地に居館を置き、憧れていた京の都に模した街造りを進めたのが
山口が西の京となったきっかけ★ 憧れから造られたんですね(~_~)v
碁盤目状の街区を築き、八坂神社など京の神社を歓請し、
京言葉まで広めたそうな。。。すごいこだわったんですねぇ★

後に応仁の乱を逃れた公家や文人が、この雅な西の京に移り住むと
山口には大内文化と呼ばれる都さながらの文化が栄えたそうで★
が、大名なのに公家ムードでいたものだから約200年で繁栄は潰え、
戦国期に毛利氏にのっとられてしまったわけ。。。
それでも、今尚「西の京」と謳われるのだから凄いですよね★

瑠璃光寺から徒歩3分★
場所を移した先は香山公園★

そしてこちら「枕流亭」★
幕末薩長連合を推進するために、慶応3年(1867)9月
薩摩藩の重臣小松帯刀、西郷隆盛などが山口に来て会見し、
盟約がなって、幕府を倒す連合討幕軍の結成を誓ったという場所★
会見は2階で行われたそうな★
ということでさっそく上がりこんできました(見学自由)★

丸い窓枠から入る明かりと微風を感じながらドキドキ見学★
「ここで倒幕の密議がされたのか…」と、その情景を思い描けば、
ピンと張り詰めた空気を感じた思いがしましたよ★
とっても静かなところなので、ちょっと小休憩するのもいい処かもね(~_~)

でもってお隣りの「露山堂」★ この建物も香山公園内★
毛利敬親が藩庁を山口に移鎮した際、
今の県庁内の一露山の麓に建てられた茶室で、
藩主敬親が茶事にことよせ、家来らと討幕の密議をこらした建物で、
明治24年にここに移築されましたとか…ってどっかで聞いた話だなぁ(-_-)?
ん?萩城にあった花の江茶亭(自在庵)と同じ由来ですねぇ★
敬親さんって御茶室いっぱいもってたのかしら?

露山堂を背にもう少し行けば毛利家墓所★
で、その手前で面白いものを発見★ 「うぐいす張りの石畳」★
手を叩いたり足を踏むと妙音が反響するというもの★
作為的に造られたのではないらしく、
墓所参道の石畳でこの妙音を楽しむ一同★
お墓の前でゴメンナサイ(謝)

で一通り見終えて、ふと気が付けば。。。
また昼食ほったらかしでした(-◆-)腹の虫が鳴いとるよ…ぐぉ〜★
ということで、瑠璃光寺から下ってきて山口藩庁門に向う前に
腹を満たす為、道の向かいのファミレスに雪崩れ込みっ★
もうPM3:00でした★ が、ここで歴史話に花を咲かせるも、
今更ながらに自己紹介っぽい話題で盛り上がりました(ヘンなの★

そら太さんとは一度京都巡察をご一緒した時やチャットなどで
身辺話をしていたので、この春から就職して勤め先がわりと
御互い近い場所なのだということを窺い知っていたのですがっ★
なんとカズキさんと拙者とは通勤に利用する駅も同じなら、
出口番号も一番違い(同じでも可)というではあ〜りませんか(゚◆゚)」(゚◆゚)」
なにやらいきなり親密度UP(笑)長い付き合いになりそうな予感(笑)

そんなんで、拙者は牛玉丼を、カズキさんは天丼を、
そら太さんとQouさんは定食をたいらげて、いざ巡察再開★

まずは山口藩庁門手前の山口県政資料館へ★ 入館無料★
大正5年(1916)に完成した山口県旧県庁舎(重文)を保存、活用した
後期ルネッサンス様式風の大正期の名建築★ 各部屋に県政の歴史を示す
資料が展示されていたのですが拙者には何が何やらさっぱり。。。(恥)
とにかく部屋数が多くて、ぼんやりしていたら、そら太さん達とはぐれそうになり
迷子にならないように絶えず皆の姿を確認しながら見学してました(笑
こちら、資料冊子と記念スタンプもあるので入り口で貰うといいですよ(~―~)

で、資料館を見終わってから藩庁門へ★
手前にちょっとした池があったのですが
そこに鳥小屋(大きかったから小屋じゃないかも)があって、
二羽の白鳥が羽を休めていたのにはたまげました。。。
なんで白鳥がこんな所に!?(謎)

白鳥に驚きつつ、この藩庁門★ PM3:35★
幕末の文久3年(1863)、長州藩藩庁が萩から山口に
移された際に、その表門として建造されたもの★
松とケヤキを使った切妻造りの門ということだったのですが、
大正建築とのギャップになにやら脇腹の痒い思いをしました(~_~)

藩庁門から徒歩10分程度★ 次は普門寺★
大村益次郎が西洋学兵学教授となって
この普門寺塾で兵学を教えていた場所★
当時は大きな庫裡があって、そこが塾生の
宿舎になっていたそうなのですが、改築などで
もうその面影はないらしく。。。が、今の観音堂で
講義が行われたといいます★ が、戸が閉まってて
中が見れなかったよ―――開けて下さい〜(T▼T)

普門寺からまた西へ徒歩15分程度進めば、
そこには木戸神社が★ 松陰先生に続き桂さんの神社だ★
文武両道の神と謳っているようですね★
で。。。ここにきて拙者大ピンチ!!
この潜入調査でここまで追い詰められようとはっ(@◆@;)
というのは…目の前に広がる杉林っ!!
拙者重度の花粉症でござって。。。ぐはぁっ★
もう鳥居を潜ったとたんに目がぐしゅっ。。。鼻がずびっ。。。
立て続けにくしゃみ連発っ!!はっくしょ×8★

穏便に任務遂行するつもりがえらく目立ってしまい
間諜だと見破られまいかとヒヤヒヤ(笑
。。。と実際笑う余裕すらなくひたすら耐えるのみ★
神社参拝もしてきましたが、もう「うらめしや花粉症(嘆」
としか。。。ぶえくしぇっ×3(TゝT)★

木戸神社は荒れているとHP等で窺い知っていたのですが、
言われるほど荒らされてはいなかったですよ?
普通の神社程度に落ち葉が掃除されてないくらいで
特にゴミとか散らかってませんでしたし(~―~)

でもちょっと寂しいところかな?
他の神社なら神社の風格で
静けさの中にも品があるのですが、
こちらはちょっと寂しかったです★

で、隣に木戸公園なるちょっとしたグランドがあるのですが、
そちらの方に足を向ければ「木戸孝允舊邸跡」★
この右手側に川が流れているのですが、その土手沿いに
桜が植わっていましたので、きっと春には綺麗だと思います★
この時にはまだちょっと早かったですが代わりに梅がv

で、あらかた山口市北側の史跡巡りを遂行できたので
湯田温泉に戻ろうとバス停を探して西へもう15分程度歩くも…
湯田温泉前まで行くバスが見つからず(-◆-)
途中見つけたバス停でバスを捕まえて運転手さんに
訪ねれば、降りてきたおばさんと口を揃えて「歩いたら?」
と言われてしまい。。。もう瑠璃光寺から歩いた分程度を
歩いて帰ることに(~_~) いやぁ、やっぱ拙者の巡察は歩きますね★

ということで湯田温泉まで戻ってから
あと一つ史跡に行こうv ということになり、高田公園へ★

高田公園は明治維新の元勲の一人、
井上馨の生家跡に造られた公園で別名井上公園★
こちら公園中程にあります井上馨の銅像(左)

他に公園正面にあるでっかい碑(右)は「七卿の碑」★
文久3年(1863)の八月十八日の政変で
退京を命じられた三条実美らを迎え、井上家を増築して
そこに彼らを住まわせ明治維新に向けて邁進した彼ら
七卿の忠誠を偲び遺跡を記念する碑だとか★
…それにしても大きいよ★

また「所郁太郎顕彰碑」があります★ 所郁太郎とは
元治元年九月、井上馨の袖解橋の遭難に直ちに馳せ付け
数箇所の刀傷を五十数針縫い合わせる大手術でもって
瀕死の井上を奇跡的に救ったという方★
また慶応元年正月の高杉晋作挙兵にも迎えられ、
遊撃隊の参謀となって晋作に協力しました★

さてさて、宿に戻る前にちょっと買い物をば★
山口銘菓の外郎をv 外郎って名古屋だとおもってましたよ?
で、有名だという「御堀堂」で御土産に購入¥420★
ついでに外郎のことをちょっとばかし御勉強(~―~)

外郎の起源は将軍足利義満の頃来朝した元の陳宗敬の伝えた
霊方により、その子が作った「透頂香(とうちんこう)」という妙薬に
始まるといいます★ これを「外郎薬(ういろうぐすり)」と改めたのは
その父が礼部員外郎の職にあったからだと伝えられているようで★
次第に外郎薬は諸国に広まり「外郎餅」という菓子となって
大内氏の時代には山口城下の御堀に伝わったということです★

外郎って元は薬だったんですね。。。外郎は大内氏、毛利の殿様も
食され、江戸参勤の土産品として持参されてもいたそうですよ★

さて、お待ちかねっ「松田屋」さん★ ドキドキしながら
早速部屋に通してもらい、部屋に入る前で大興奮(笑
なんと部屋の名前が「長州」とな★ 長州旅行で長州とは出来すぎv
素敵な和室で5Fだった為に見晴らしも良くv うっきうき(~―~)

そして御茶菓子を頂いて一服してから早速、館内探索に繰り出す面々★
目指すは「維新の湯」★ もう名前からして掴みはOKって感じですね(笑
「維新の湯」の浴槽は、万延1年(1860)建造のもので、当時、
長州、薩摩、土佐の勤王の志士、高杉晋作・桂小五郎・西郷隆盛・
大久保利通・坂本龍馬・伊藤博文・大村益次郎・山県有朋・井上馨らや
七卿落ちの公卿三条実美らがしばしば松田屋で密会して、
倒幕・王政復古の密議をした時に入浴使用した歴史的文化財★

「それいけ―――v」と突撃!するも…残念ながら丁度別の方が使用中★
この「維新の湯」は鍵付きで独占入浴できるようになっているので
空くのを待つ為、別の「花柏の湯」と、その隣の「露天風呂」に★
こっちは誰もいなかったので私たちの独占(~〜~)(~_~)(~―~)(~〜~)v
露天風呂では雨天用に備え付けてあった番傘を雨も降っていないのに
広げてみたりして、ちょっと雰囲気を味わってみたり(子供や。。。

因みにこの湯田温泉★ 足を負傷した白狐が、
当地のお寺にある池で、傷を癒したことから
温泉が発見されたという「白狐伝説」が言い伝えられており、
いたる所に白狐の像が★ 花柏の湯の露天風呂は
別名「白狐の湯」★ ちゃっかり狐がおりました★

  温泉なんて久しぶりだったので見も心もぽっかぽか♪
一っ風呂浴びてご機嫌のところに押しかけた先は「維新資料室」★
旅館の中に資料館があるんです★ なんて素敵なんでしょうvvv
幕末関係(新撰組もあった!)の書籍の数々が本棚にぎっしり★
加えて『歴史読本』もバックナンバーがラックにぎっしり二つ★
そしてその一つ一つの表紙に「お持ち帰り厳禁」の張り紙が。。。(笑
いやホント、部屋に持て行ってしまったら読み耽って一日終わりそう★
また当時使用されていた食器等も展示されてあり、
「あ、こんなの使っていたのかなぁ?」なんて想像を巡らせ、
手にとりたいところでしたが残念ながらガラスケースの向こう側★

そしてそしてv ありましたっ高杉晋作・憂国の楓★
高杉さんがが松田屋玄関横にあった楓の幹に所感を刻み込んだ
というもので、大正時代になってから偶然発見されたんですって★
盡国家之秋在焉(国家ニ盡スノトキナリ)とあります★

「維新資料室」でしばらく粘るも、
なかなか「維新の湯」が空きそうでなかったので
「松田屋」自慢の日本庭園を散歩することに★
もう暗かったので写真撮影は明日の朝に回して散策★
この庭にも足湯を楽しむ所が在るということだったので
行ってみたのですが、丁度御湯を抜いてしまったばかりで
足湯は外(湯田温泉街のいたるところにあります)で楽しむことに(残念

ですが、一先ず部屋に戻って夕食を頂くことに★
さ〜どんな料理が出てくるやらv
が、普段こんな贅沢しないので、もてなしに
どう応えればよいのやら、わたわた(恥

出だしはこんなかんじ→
まだこれからどかどか続きます★
御刺身やステーキなどv あと河豚飯★ 美味しかったです★
…けど悔しかったのは河豚の身が小さかったこと。。。(贅沢言うな。
が、何やら見たことのない品も並び、庶民の食ではなかったです(笑
一同揃って子供だと味わえないものだと思いました(~_~)大人の味★

しかも、こういった食事は一つ一つ料理が運ばれてくるまでに間がある
ものですが、気づけば2時間近くかけて夕食を楽しんでいました★
これにはびっくり。。。もう待っている間にもお腹一杯になってきて、
最期のデザートなんか詰め込むのがやっとってくらいでした(勿体無い。

そうそう、食事に加えて松田屋さんから
とっても素敵なプレゼントを頂きました★
松陰先生や晋作さん達のサイン(?)の
入った“手拭い”を記念にくださったんです★
感動いたしました★ 仲居さんの説明付きですよv

そして私たちの部屋を担当してくださった
仲居さんに写真を撮ってもらいました→
前列左が拙者で右がそら太さん、
後列左がカズキさん、右がQouさんです★
そうそう!この長州旅行の為に拙者髪を切ったんですよ★
それも40cm(のばしすぎ←切りに行く暇なくてずるずると)
旅行で邪魔かなぁ?と思い突発的に切ってしまった為に
大失敗!!これじゃぁちょんまげができ――――ん(」T■T)」
着物でちょんまげして遊ぶのが楽しみだったというのに(笑
また伸びるまで辛抱せねば。。。くぅぅ〜★

ある程度お腹をおちつかせてから、再度「維新の湯」へ!
先行部隊として拙者とQouさんが探りに行くと丁度空きv
早速携帯で合図を送って「維新の湯」独占★
湯殿を直撃してまずは写真撮影をば(笑
床と天井が当時のままだということでしたので★ こちら→

早速、湯殿にだ〜いぶ★ 貸切だからこそ出来るのよv
「ここらへん晋作さん達触ったかもv」 さわさわ
「風呂嫌いの竜馬さんも入ったのかしら?」 さわさわ
「天井も触っていきたいなぁ…」 無理。。。
なんて馬鹿丸出しで楽しみました★
湯殿で大変盛り上がった為に皆のぼせぎみ★
もっと長く入っていたいところでしたが体が先にギブアップ(笑
温泉も長湯は体に毒なのでほどほどに(教訓

ということで存分に「維新の湯」を楽しんでからちょっと外にお出かけ★
「足湯」を楽しみに★ 松田屋さんの脇にある足湯へ行きました★
先客でカップルがいらしたのでちょっと談笑(~▼~)
足湯って熱泉を5mくらいの溝を通して適温に冷やしてから
湯場に溜めているものなんですね★ 熱泉の近く程温度が高くて★

カップルの男の方が「友達同士でどこまで溝を進めるか競争をした」
というので「じゃぁ拙者もチャレンジしてみよう」と思いちゃぷちゃぷ前進★
が、1歩進むだけでもうあっちんちん(+■+)で、すぐリタイア(笑
カズキさんも3歩がやっとで、結局言い出しっぺが最高記録8歩でした★
※火傷や転倒の危険が在るので良い子は真似をしてはいけません。

そんな感じで足湯でも楽しい時間を過ごして旅館に戻り、
売店で御土産をちょいちょい買占め、部屋に戻ってから一杯やりました(笑
朝、夏蜜柑専門店でカズキさんが「村塾ビール」をボトルで4本購入していたので
その内の一本を開けてくれたのです(~_~)下戸ですが頂きましたv
それに売店で買ったモナカをぱくつき★ ヘンな組合せ(笑
二日目も一日無事に史跡巡りできたことに感謝しつつ、乾杯★

2003.3.19⇒

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