巡察

2006.08.16

佐賀の役+西南戦争(4) : 熊本→ 俵山→ 南阿蘇・白水→ 阿蘇・草千里→ 二重峠→ 湯布院→ 別府


今朝も早起き!快眠快調で今日もいい天気!いざ出発!
今日は佐川官兵衛さんを訪ねるのがメインですが、
それこそ観光地としてはメジャーではない場所を巡ります。
なので行けるかどうか心配だったのですが、、、
ご親切にそんな不安を見越して、
きららとんぼさんがお手製のポイントマップを下さったので(大感謝!!
今日はカーナビ半分、マニュアル半分で移動しますv

さて、名残惜しさに後ろ髪ひかれる思いで熊本城を背に
AM8:15、国道36号線を東へ走ります。
立派なクスノキの並木道が続きます。

これと北側に並行している県道337号線沿いに杉並木があります。
日本の道百選に選ばれている大津街道なのだそうですが、
その杉並木は清正公さんが植えたそうです。

なぜ街道に並木道を作ったのか。これも戦術上、計算されたものなんですって。
ひとつは、熊本城を修築する際に必要となる木材としての植栽、
そしてもうひとつは外敵を迎え撃つ際の備えだというのです。
杉を切り倒すことで街道を塞ぎ、敵の足を封じる目的があったんですって。

景観を楽しみながら県道206号線を経て、県道28号線に乗ったところで
AM9:35、俵山へ。
もうここまで来ると景色が一変します。
何がって、木がない山ってなんだか不思議。。。
山の峰に並ぶ風力発電の風車が風を受けて
ゆっくり回っているのを見て癒されましたv

そしてきららとんぼさんに頂いたお手製のポイントマップがここから大活躍ですv
俵山トンネル手前のX橋を過ぎたら、トンネルには向かわず
俵山峠を目指して右手の脇道を登ります。
この先はカーブの連続で本当の山道(慎重にブイブイ。

カーナビにも道は表示されるのですが前後に続く車がなかったので
ちょっと心細く思いながらも前進していると、そのうちに俵山山頂へ。
清々しい空気を窓から誘い入れながら、今度は下る下る。

この先に西南戦争関係の碑があると、きららとんぼさんに教えて頂いたので
ハンドルを切って切って、走る走る。。。
が、走れども走れども。なかなかみあたらず。
一本道だったのですが「道、間違っ…た??」と不安にかられ始めたとこで
ありましたー!!

西南役慰霊碑俵山峠開通記念碑が並んでありました。
熊本へ進出しようとする警視隊は、
この一帯に陣を張った薩軍に阻まれたそうです。
西南役慰霊碑の台座には、郡内殉難者をはじめ
官軍、薩軍の戦死者の名が刻まれてありました。

それにしても景色抜群の場所で、鎮魂には気持のよい所です。
しかも後続車がいないので思う存分路駐して見れました。

さてさて、車は更に下る下る。
途中、開けた場所で向かう先の南郷谷の素晴らしい眺めと
阿蘇火口が遠くに見え、心躍らせて麓にたどり着き、
県道28号線をちょろちょろ前進。

…と、ここで迷子になりました(うぇぇぇん。
というのも、古い資料には白水村とあるのですが
南阿蘇村と村名を変更しているので要注意です。

AM10:05、しかし方向はあってたので
近くの役場で場所を尋ねて足を運んだのは、白水小学校前の長門屋さん。
白水郵便局の斜め前で、建屋の脇に
南郷有志隊留魂碑佐川官兵衛足跡碑が並んで立っていました。

西南戦争に際し、官兵衛さんは豊後口警視隊として阿蘇入りし、
この白水村で蛭子屋という商家に陣を構えました。
その時に阿蘇南郷谷の有志を集め、組織させのが南郷有志隊です。

残念ながら蛭子屋はすでに取り壊されて残っていないのですが、
南郷有志隊は蛭子屋の斜向かいにあったこの長門屋に居を構えて、
隊長の長野一誠と度々議論を交わし、官兵衛さんもそこへ出向いたそうです。

ちょっと急ぎ足の旅でで事前にお伺いもできなかったので
お訪ねはしなかったのですが、こちらの長門屋さんはご在住です。
会合がなされたお座敷などが残っているそうですよ。

さて、そのままちょっと移動してAM10:10、明神池名水公園へ。
明神池という湧水池があるのですが、
群塚神社という産神を祀った神社があることから
ここの水を飲むと子宝に恵まれるという言い伝えがあるそうで。

子宝祈願でなくともすごくきれいな水が湧き出しているので
拙者たちも喉を潤していると、ご近所さんも水を汲みに来られてました。
しかも驚きだったのが、
今でも約750平方メートルもある大きな湧水池なのですが
もとは約5000平方メートルの湖面を持つ湖だたというのです。へぇぇ!!

昭和28年に起きた大水害のために今の形になったということなのですが、
それでも池のあちこちから清水がわき出て、
池を泳ぐ魚が遠くからでも見える透明度100%の綺麗な池になっています。

そしてここにも官兵衛さんがv
官兵衛さんもここの清水で身を清め、群塚神社に勝利祈願されたそうなのです。
大きな碑には親しみを込めて官兵衛さんが大好きなお酒が供えられていました。

そして池の向う側にあるのが鬼官兵衛記念館
事前に今日お訪ねする旨連絡していたのですが、
残念ながらタイミング合わず館長さんはご不在でした。
が、記念館の中は見ることができたので、一人おずおず入館すると
無人なのに突然アナウンスが流れたのにはビックリ(笑

官兵衛さん愛用の徳利や刀、また当時の生活用具など
数百点が展示されてありました。
まさか阿蘇の地に官兵衛さんの資料館があるだなんて
この巡察を計画するまで知りませんでしたよ。
多くの碑が建てられているのも、
それだけ地元の方に親しまれたということですよね。

当然最初は戦争でやってきたということで地元の人々は、
官軍も略奪を働くのではないかと恐れたそうです。
しかし官兵衛さんは不正の行為がないよう巡査を戒め、
物資を買うための資金も充分に渡してあったので、不祥事は起きず、
村人達は官兵衛さんのことを親しみをこめて込めて
「鬼さま」と呼んだそうです。なんとも微笑ましいことで。鬼さまv

熱い太陽を避けて日陰で涼める公園だったのでここで小休憩。
そして無事、阿蘇まで辿り着いたことをきららとんぼさんに電話でご報告v
今回は残念ながらお会いすることができなかったのですが、
電話越しながらもお話できてとても嬉しかったです。
とてもお優しい声でドキドキしました(照

この巡察の為に事前準備から沢山ご協力下さったので
すごく嬉しかったです。ありがとうございます!
そして、これからの行き先も確認させて頂けて助かりました^▼^>

白水より国道325号線を京都大学火山研究所を目指して進めば
左手に西南ノ役公園の立て看板が見えてきます。

AM11:25、上方に大きな碑が立ち並んでいました。
南郷有志隊之碑西南ノ役慰霊碑鬼官兵衛惜哀賦
西南戦争豊後口警視隊戦死者之碑薩軍故山恋哭碑

そして佐川官兵衛殉難之碑という大きな碑があるのですが、
これが官兵衛さんの碑で一番最初に作られたものだそうです。

また坂をそのまま登ればその先に見えてきた会津の旗。
佐川官兵衛隊(首塚)佐川官兵衛討死之地の碑がありました。
碑の側面には官兵衛さんの辞世の句も刻まれてあり、
やはりお好きだったお酒がお供えしてありました。

君が為都の空を打ちいでて阿蘇山麓に身は露となる

三月十七日、豊後口警視隊副指揮長として長門門を出陣し、
黒川口まで出撃したところで薩軍の銃撃により戦死。
その官兵衛さんのお墓は現在、
大分の西南戦争戦没警察官墓地にあります。
明日お参りに行きますね><。首塚に合掌。

さて、そのまま県道111号線を上って阿蘇山へ。
AM12:05、草千里ヶ浜に到着v
牛や馬がのんびり闊歩していていきなり開けた視界に面食らいました。
思わず遠くまで走りだしそうなノリだったのですが、←子供や。
無謀なことはせずに、、、
手前の食堂が開いていたので軽く昼食を済ませ、
意気揚揚と中岳火口へ!

…と思ったら。
この時、ガス発生の為入山規制中で見学不可でした。残念!!><。
広大な草原でもすごい感動でしたが、
火口はまたこの世のものとは思えない感動があると聞いていたので
是非探検してみたかったのですが。くぅぅ〜。
遠目にも煙が噴き出していて「生きてる山だ…」と感じました。

と、ここでちょっと気にかかったことがありました。
「…どっかで見たような車が??」
そう、なぜか視界に飛び込んできてギクッとしたのが
拙者が勤務している会社の社長の車。なぜこんな所に!?

幸い(?)車には誰も乗車していなかったので
「いやいやいや。車なんて同車種同色のものは何千台もあるんだから…。うん。ありえナイナイナイ」
と、思いっきり動揺しながらお土産を買いこんで即移動っ。
←何も後ろめたいことはない(ハズ)なのに、、、(ドキドキ。

というわけで。さっきのは気付かなかったことにして、AM12:55。
草千里ヶ原で売られていた焼きとうもろこしの芳しい香りに
食い気は引き留められながらも、山道の県道298号線をくだりつつ
国道57号線を経て赤水から山道に入って目指した先は二重峠。PM1:50。

当時の阿蘇地方は役人の不正に怒った農民一揆が起き、
薩軍は一揆軍も取り込んで二重峠に砦を築くなどし、
警視隊は不利な展開となって撤退。
官兵衛さんはは早期攻撃を進言していましたが受け入れられず、
命令が下されたときにはすでに機を逸し、二重峠の砦攻撃隊は敗れました。

二重峠には今も加藤清正が敷設した当時の石畳が残っています。
高所より涅槃像と呼ばれる阿蘇五岳の眺めがいい場所ですが、
今のように舗装されいても峠まではかなり険しい道のりです。
こんなところで戦闘をしただなんて、両軍共に相当苦しかったと思います。

さらに道を進むとPM2:05、二重峠西南之役戦跡に碑が立っています。
二重峠から黒川口まで、激戦は早朝から7時間。
ここで壮絶な戦いが展開されていたのですね。

さて、西南戦争の回想もそこそこに県道339号を別府に向けて進みます。
ここから先は景観を楽しみながらミルクロードを滑走v

PM2:25、途中、ミルクロードかぶと岩展望所に立ち寄りました。
降車すると、とたんに鼻をくすぐる芳しい香りv
そしてここでもありましたよっ!焼きとうもろこし♪
近くの農家の方がワゴンで運んできて炭火で焼いてくれているのです。

草千里ヶ浜で食べそこなったので、絶景を楽しみながら頂きましたv
¥200安い!それにとっても甘くて美味v
備え付けの特製甘たれをつけると、また一層美味しく頂けました
御馳走様でした><v

さらに車を進めてPM2:50、今度はミルクロード大観望に立ち寄りました。
ここには沢山観光客が集まっていて、駐車場は満車状態。
なにがそんなに賑わっているのかと思えば、かぶと岩展望所で見た絶景とは
また一味違った大パノラマが展開されていて息をのむ迫力でした。

膝上位まで丈のある草むらをかき分けていくと、
遠く広がる景色がつかめそうでした。
燦々と降り注ぐ夏の太陽に、青い空と、緑の大地、
どこを見渡しても絵になる眺めです。

展望所を後にしてミルクロードを快走します。
運転していても景観を楽しめるドライブウェイです。

途中から、やまなみハイウェイに変わり、
さらに進んでPM3:30、阿蘇くじゅう国立公園牧ノ戸峠で小休憩。
標高1330m、やまなみファイウェイでもっとも高地に位置する峠です。

で、道々、放牧中の牛や馬をみましたが
それだけに食べたくなったのがソフトクリーム♪

って、一口食べてびっくり。あまりの美味しさにペロッと完食。
これまでに口にしたことのない食感で、
ソフトクリームと一言で言ってしまうには、あまりにもソフトなクリームで、、、
阿蘇ジャージー、恐るべし。

他にも味わっておきたくなって、
飲むヨーグルトとくじゅう連山の湧水も頂きましたv
こちらも体に沁み入る美味しさ。純度100%、御馳走様でした!

人心地ついて、さらに車を進めてPM4:35、なだらかに下りながら、
県道216号線を経て、やってきました湯布院
もうちょっと早く着いていたら金鱗湖だとか狭霧台だとか覗きに行きたかったのですが、
残念ながら今回は目的地ではないのでスルー。
←明るいうちに別府まで出たいっ(目標。
憧れの湯布院…また今度いつか必ず温泉浸かりに行きまーす。

そんなわけで車窓から湯布院を楽しんで、そのまま日田往還へ。
また山道を登ります。うねうね上って上って、
途中、ゆふいん狭霧台で降車して湯布院を一望v PM4:40。
ここからの眺めもまたいい絵です。
少し曇っているのが残念かな、と思いつつ
北側にそびえたつ由布岳、別名豊後富士を仰ぎ見ていると
ぱらぱらと小雨が降ってきちゃいました。

どうやら日中の晴れっぷりに夕立ちがきたようで、
慌てて車内に避難するも、しばらくするとまた晴れてきたので
そのまま車を進めて九州横断道路(やまなみハイウェイ)を滑走し、
県道11号線から別府入り。

目標通り日の入り前に到着v
今日は気持ちよくひた走ったので早々にチェックイン。
PM6:30、今日のお宿は別府温泉シーサイドホテル美松。

あれだけ食べたのに、美味しいものは即消化されるようで
親子二人してすでにお腹ぺこぺこ。
荷物を紐解く前に仲居さんにお願いして夕食を用意してもらって
いただきまーす♪と勢いよく箸をつけようとしたら、
「台風が迫って来てるみたいで、明日はまだ大丈夫かしら?」
と仲居さん。

え゛ぇぇぇえ!?明日の夜、海路で帰阪の予定なんですけど、、、
「…船は〜、出ますかねぇ?」( ̄▼ ̄;( ̄ε ̄;
「波が高いから、無理かもしれませんねぇ?」(^.^)?
ってそんな笑顔で〜っ(汗;

そう。一昨日から気にはかけていた台風。
天気予報とにらめっこし続けてきたのですが、
どうやら九州をかすめるコースに進路をとったようで(泣

夕食をつまみつつダイヤモンドフェリーに出港予定を問い合わせるも
まだ現時点では如何ともし難く。
最悪、船が出ないとなれば、陸路を帰る覚悟を決めなければならず、、、
って、そんな走り屋じゃないんだから…そんな、ありえないからっっ><。

とまぁ、ここでジタバタしても結局は台風の機嫌次第。
なるようになれ〜と腹を括って就寝。←諦めた。

さぁ!明日はこの旅の最後の締めです。
油断せずに行こう!


2006.08.16

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