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2006.08.14
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■佐賀の役+西南戦争(2) : 有田→ 長崎 |
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![]() 以前の画像記録がすべて無に…号泣。可能ならば復元したいと思います。 |
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今朝も早起き。AM7:00からモリモリ朝食を食べてエネルギー充填! 今日も移動距離を稼ぐ為、AM8:00、御船山観光ホテルを出発。 と、せっかくご当地をかすめるのだからと、進路を西へとり有田へ。 AM9:00、有田焼直売会館にて有田焼のお茶碗とカップを購入v 母上へのお土産〜GET。 我ら親子は焼き物の目利きなどできませんが、 素人目にも良いな〜と思ったものはやはり相当のお値段でした。さすが芸術。 さて。寄り道もそこそこに、いざ長崎へ。 波左見有田ICから西九州自動車道(武雄佐世保道路)に乗り、 武雄JCTから長崎自動車道で一気にブイ〜ン。 長崎芒塚ICでおりて国道34号線で市内へ。 まず最初に訪ねたのは上野彦馬邸跡。 新大工町の近くということで、渋滞に巻き込まれて車が二進も三進もいかないうちに 拙者だけ下車してあたりを散策してみたのですが、、、何も見当たらず。 今は何もないのかな?…あるのかな? まぁここらへんだったのだろうと思いだけ馳せて 車に戻り渋滞を抜けるまで待つこと10分。 馬町の交差点を慣れない路面電車を掻い潜って右折し、 県道235号線を少し行ったところにある料亭富貴楼へ。 もともと三百年の歴史を持つ長崎の料理屋ということなのですが、 明治期に伊藤博文が富貴楼と名付けられて料亭となったとか。 ガイドブックで確認したところ、こちらのご予算はランチでも五千円〜v 卓袱料理で南蛮・中国料理チックな宴席なのだとか。 親子二人ではちょっと勿体ないので今回はパスしましたが、 元禄初期に築かれた石垣の上に佇む純和風の建物を仰ぎ見て、 次に足を向けたのは風頭公園。山の頂にある大きな公園のようです。 山の東側からカーナビで探ってもどこから入ったらよいのか分からず、 周辺の細道をぐるぐる行ったり来たり(ほぼ迷子状態。 手元の地図を頼りに民家の裏手から延びる細道から徒歩でお邪魔して、 ズンズン公園道を進めば長崎港を一望できる高台に龍馬さんの銅像がv 有志による全国への募金活動で寄せられた資金で平成元年に建立されたそうで、 桂浜を臨む龍馬さんの象とは違って、手を伸ばせば届く龍馬さんです。 両腕を組んで堂々とした凛々しい面立ちの龍馬さんと一緒に記念撮影して、 長崎港を眺めつつ潮風に吹かれて一息。気持ちいい風が吹き抜けています。 そして公園道を少し戻れば、手前に墓地があり、 上野彦馬さんのお墓参りをば。 写真家が写真に撮られるのはどんな感じかな?とか思いながら 腕が悪いのを恥じつつ南無南無撮影。 さてそこから、また車で下山して西側の八幡町で駐車場に車をとめて 次に目指すのは亀山社中跡。 ←後で知ったのですが、風頭公園から500メートルの場所だそうで、、、 風頭山周辺でどれだけウロウロしたことか…(迷路です。 そんなわけで麓から坂道を上ってえっちらおっちら。 龍馬通りと名付けられた石畳の道をえっちらおっちら。 いい加減あがりはじめた息に悩まされつつ、 励ましの言葉が綴られた粋な看板が続く急な階段をえっちらおっちら。。。 真夏の日中、照り付ける灼熱の太陽、流れ落ちる滝の汗、上がり続ける息、、、、 流石に湯治目的だった父上は途中で階段登りをリタイア。(ここまで来てっ+▼+; フラフラしつつも諦めるのが癪だったので 一緒に登っていた兄チャン達ともうひと踏ん張り。 重くなった足を引きずりつつ、ついに登頂!!(笑 調べて行ったので分かってはいたのですが、 残念ながらこの日は亀山社中跡の資料館は休館。 以前は個人所有だったので非公開だったそうなのですが、 今はボランティアによって運営されていて、土・日・祝日のみの公開だそうです。 家屋の内塀や廊下、床の間などは当時のままだそうで、 一目見てみたかったですね。残念。 にしても、よくこんな山奥にカンパニーを設立したもので。関心。 幕末当時、長崎の町はずれで人家もまばらだったようなので、 コソコソするにはうってつけだったと思います。 そんな具合だったので時代が移ると長く地元でも足跡は忘れられたそうなのですが、 この亀山社中跡が脚光を浴びるきっかけになったのは、 あの司馬遼太郎著『龍馬がゆく』だったそうです。へぇぇー。 視界を転じると民家の屋根越しに長崎港が望めるのですが、 展望台となった一角に面白いオブジェがv 龍馬さんのブーツ象(笑 おっきいので実際に履いてみることができます。 例にもれず記念に履いてきました(龍馬さん気分?? また、近くには龍馬さんたちが参詣したことから 「勤王稲荷」といわれた若宮稲荷神社や 五代才助さんご贔屓の西洋料理店、良林亭跡があるというのでぷらぷら散策。 ←亀山社中まで登りきってしまえば他は急な坂などないので楽に歩けますよv と、じっくり堪能して下山。階段途中で父上を拾い、長崎港を鑑賞しつつ休息。 人心地ついてから車でもう少し南に移動し、次に訪ねたのは皓台寺。 寺務所で墓所の地図をいただきました。 地図を頼りに改めて風頭山の斜面に設けられた墓所の石段を上って、上って、、、 近藤長次郎さんのお墓参りをしてきました。 近藤長次郎さんといえば饅頭屋の倅ながら亀山社中一の営業マン。 伊藤俊輔からきいたイギリスの話に魅了されて、 社中の仲間に内緒で英国密航を企てた盟約違反により腹を切らされた気の毒な方。 出世欲が身を滅ぼしたといっても享年二十九歳というのだから悔やまれますね。 その長次郎さんの墓碑は龍馬さんの筆だそうで。 また墓碑は小曾根乾堂家墓地に小曾根英四郎墓と並んでいます。 小曾根乾堂という方は亀山社中や土佐海援隊のスポンサーだった方で、 その弟英四郎は海援隊士。一緒に手を合わさせていただきました。 で。頂いた皓台寺墓地地図を見てわかったのですが、 先にお参りした上野彦馬さんのお墓も皓台寺墓地だったんですねー+▼+; もう今日は同じ所をあっちからこっちから出たり入ったりしているようです。 それだけに広大な敷地であることは体感できました(笑 と、ふと一雨降ってきたので車で待機しつつ、 次に尋ねたのは料亭一力。 昼間は営業していないのか、この日はお休みだったのか、 門が閉まっていたのでどんな建物か見えなかったのですが、 高杉晋作など志士が多く訪ねたという、 創業は文化十年(1813年)、長崎で一番古い老舗の料亭ですv つづけて料亭花月へ。 こちらは龍馬さんたち志士が数多く訪ねた料亭ということで、 玄関は江戸情緒のある趣で、日本最古の洋間や、 龍馬さんが残した刀傷がある広間などが保存されているそうです。 一力、花月、ともに富貴楼と同じく卓袱料理の料亭だそうで、 一番敷居が高そうなのは花月でしたぜ。 無論昼食には勿体なくてパスです。ぅぅ…いつか贅沢してやるぅTεT。 またここは丸山遊郭があり、当時は吉原・島原に次いで 全国に名高い遊郭だったそうです。 亀山社中・土佐海援隊の隊士達も通ったことでしょう。 龍馬さんにもお元さんという馴染みがいたとかなんとか。 さて、進路は市内に向けて賑橋を行ったり来たり。 というのも小曾根邸跡を訪ねようとして場所が分から、 方向転換もできないので興善町周辺をぐるぐるぐるぐる。 海援隊本部であり、近藤長次郎さん自刃の地なわけですが、 見つけるのに苦労しましたよ。 そんなこんなで行ったり来たりしていた賑橋より川下の 鐵橋袂に碑が立つ土佐商会跡へ。 街中で車窓から写真を撮ってたので、行きかう人達に 奇異の目で見られて恥ずかしかったですよよよ(笑 土佐商工会というのは、土佐藩の開成館のなかで貨殖局があり、 その長崎出張所として設置された機関。 運営には後藤象二郎、岩崎弥太郎があたっていました。 と、進路を北へ返して次に長崎奉行所西役所跡へ。 長崎県庁内に碑があったのでお邪魔してきました。 そそくさと退出して、長崎出島ワーフで昼食。 ここはやはりご当地ラーメン、長崎ちゃんぽんでしょう♪ 玉は並ながら、盛ってある具材の量に大満足。 日ごろ運動不足な体を酷使した後だけに美味しく完食!即全部吸収(笑 お腹具合も落ち着いて、次に遊びに行ったのは出島オランダ商館跡。 やはり長崎って言ったら出島ですよねv 大人500円で入場できます。 というのも、明治以降は出島周辺が埋め立てられてしまい、 後年になって文化遺産として国の史跡に指定されてから 復元整備されて、人工の島として改めて出島そのものが造られた次第。 19世紀初頭の建造物や石垣も当時の工法で復元されて、 その建屋を利用して当時の輸入品の展示や、出島の当時の再現がなされていますv んが、実際にその場に立って驚いたのは意外なほどの狭さ。 歴史の授業などで聞かされてイメージしていた出島の広さは いくら狭いといっても街の2ブロックくらいあるのかと思っていたのですが、、、 この猫の額が鎖国当時に唯一外国に開かれた場所だったというのですから 外国への窓口の制限っぷりに驚きました。 んが。ここでトラブル発生! 展示されていがオルゴール時計が面白くて しきりにデジカメのシャッターをきっていたのですが、 突如シャッターから異音が、、、 え?え?えぇぇ??とたじろぎつつ騙し騙し使っていたのですが、とうとうご臨終><。。。 ←どうやらレンズのピントを合わせる為の調整ネジが摩耗して寿命だった模様。 まだまだこれから活躍してくれなきゃ困るのにっっっ(泣。 泣く泣くインスタントカメラで今日は乗り切ることに。 釈然としないまま車を走らせて向かった先は松が枝埠頭。 埠頭の駐車場に車を止めて振り返れば、 岬に大きなフェリーが停泊していて、警笛が鳴るたびに驚きながら 足を向けた先は坂の上。大浦天生堂へv 大浦天主堂は現存する日本最古の木造ゴシック様式の教会v 拝観料300円。 フランス人宣教師によって建造されたのでフランス寺とも呼ばれるそうなのですが、 正式名称は日本26聖人殉教者天主堂といって、慶長二年(1597年)に処刑された 26聖人の霊に捧げる為に作られた教会だそうです。 内部を臨めば、教会正面に掲げられたフランス製のステンドグラスは 幕末に飾られたもので、日本で唯一の国宝建築物に指定されています。 時代もののロザリオなども展示されており、 キリスト教信者ではありませんが、厳粛な気分になりました><。 ←汚れた人間なので、訪ねただけで清められた感じです(笑 そのまま坂を登って次にグラバー園へ。 こちらは入園料600円。 死の商人と名高いトーマス・ブレーク・グラバーのお住まいですね。 これまで一日坂を登り続け、とにかく暑くてさすがにもうクタクタだったので、 動く歩道はすごくありがたかったです(笑 そんなわけでボチボチ、幕末から明治にかけて建てられた洋館9つを網羅。 件のメイソンマークをしっかり確認し、噂のハートストーンも発見v 気を良くして旧グラバー住宅に向かうと、 当時では珍しい透明度の高い窓ガラスが今も活躍しているということで ボランティアの方が説明してくださいました。 今のガラスと違って射光が歪む可笑しなガラスでした。 長崎港に夕日が傾くのを楽しみながら異国情緒のある坂を下りて、 とりあえず今日の宿、ホテルニュータンダにチェックイン。 それから今日最後の散策でオランダ坂へ。 日本三大がっかり名所と言われていますが、 そう言われると確かにそうでした(がっくし。 もっと大きくて長い坂だと思っていたら、、、ほんの一角だけで イメージとのギャップを楽しむのによいと思います(楽しみ方間違ってますョ。 とはいえ、日本の道百選に数えられる石畳の坂。 昔、長崎人が西洋人を「オランダさん」と呼んだことにちなんで この坂をオランダ坂と呼んだそうです。 いい具合に日暮れとなり、ホテルに引き返すも、 気がかりなのはカメラ(ずーん。。。 壊れたデジカメを抱えて逡巡。 まだまだ旅は前半戦。このままデジカメなしに旅を続けられるか…。 否!←旅先では写真撮ってなんぼだろ! 腹を括って新しいデジカメを買いに向かった先は夢彩都。 駆け込んだ電気店で店員さんに泣きついて(関西人や。。。 いろいろサービスしてもらって最新モデルのデジカメを購入。 臨時用にヘソクリ持ってきてて助かりましたT▼T。あいたたた。 夜な夜な取説とにらめっこして明日に控えて就寝。 いよいよ明日は熊本入りv 待ってろ熊本城!! |
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2006.08.14
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