誰にも責められない
混沌の角笛



その日、京の都を熱気が包んだ。




元治元年6月5日、新選組は沸き立っていた。
壬生の屯所に連行した、桝屋喜右衛門こと古高俊太郎により判明した事実。
不逞浪士が祇園祭にあわせて京の町に火を放とうとしているという、驚愕の計画であった。
予定は6月7日、祇園祭の宵山を狙っての行動である。
近藤は、立った。




同日、新選組隊士は三々五々、屯所を後にした。
向かうは祇園会所。
不逞浪士達に悟られぬよう、普段通りの姿でそこに集合し、探索を行おうという作戦だった。
風は数日前から強く、日差しは夏のものになり激しい。
隊士達は汗をだらだらと流しながら、それぞれ屯所を後にする。
もしかしたら、戻る事の無いかも知れない出発だが、そのどの顏にも憂いや迷いは無かった。
そして町へ出た彼らを出迎えるもの。
それは、祇園祭に沸き立つうねるような人込みであった。




「…あっつ…」

頬から顎に伝う汗を、左之が手の甲で拭う。
すると、脇からぬっと手拭いが差し出された。

「………ども」

「やる」

左之は差しだされた手拭いで盛大に顏を拭ってから、隣りを歩く男を見た。
その汗一つかいていない顏と手拭いを交互に見て、尋ねる。

「良いんですか?貰っちゃって」

「手拭いの一つくらい持ってろよ」

「……売れるかな?」

「何?」

左之の言葉に険しい顏を向ける相手に、左之は暑さで締まらない顏のまま笑った。

「いや、土方さんの手拭いなら、欲しがる女がいるかもなぁって」

その説明を聞いた途端、隣りを歩く土方の拳が左之の脳天を突いた。

「痛って!!」

突然の衝撃に左之は喚いたが、その声も空気にかき消された。
土方は辺りを見回す。
彼らを取り囲むのは、巨大な山鉾と暑さに負けない大勢の人々であった。






手拭いを頭に巻いて、左之も土方同様に辺りを見回す。
右を見ても左を見ても、人人人。これまでの人生で、これほどの人込みを見たことがない。
左之は思わず声を上げていた。

「ふわぁ〜すげぇな、新八っつぁん!」

そう言って、傍らを歩く人の袖を引いて。
しかし、すぐに「しまった」と気付く。
その左之が握った袖を、土方が感情の読めない目で見つめていたからだ。

「す、すんません」

慌てて手を引っ込めた左之を見ずに、土方は前を向く。

「どうして、新八と屯所を出なかったんだ?」

気まずげに自分の手を見つめていた左之は、その言葉に少し首を傾げて笑った。

「さぁ…何ででしょうね。つい、総司と行けって送りだしちまった」

ポンッと肩を叩いた左之に、訝しげな視線を寄越した新八の顔を、彼は思いだしていた。
目前に迫る戦いの気配に、ほの見えた新八と総司から発せられる気のようなもの。
二人のそれはとても酷似していて、つい、一緒に出る事をためらっていた。

「そうゆう土方さんこそ、近藤さんと一緒じゃないんすか?」

人込みで土方とはぐれないように気を付けながら、左之は聞き返した。
土方はやはり左之を見ずに、前を向いたまま呟く。

「俺は死神だからな」

その言葉に、左之は返す言葉が見つからなかった。






動乱の時代にあって、人々は逞しい。
この人込みを歩いているとそう実感する、左之はその光景を眩しそうに見つめた。

「守れると、思うか?」

「…え?」

ふいにかけられた言葉に、左之は目を丸くした。
目の前には土方の背中がある。
いつになく緊張した、孤独な影を落とす背中。
何故この背中を見て、孤独だと思うのだろう。
左之は自分の感想に理由が見つけられない。

「守れるって…」

「この町をだ」

「守る為に、これから戦うんでしょう?」

一体何を言いだすのか、左之は背中を睨んだ。
すると、土方の歩みが止まり、いきなり左之を振り返る。
その土方の目を見た瞬間、左之はぞっとした。

「……俺は、英雄になれない男だ」

そう呟く彼の、暗い夜の闇のような瞳から、左之は目が離せなくなる。

「英雄って…」

「近藤さんは、英雄になれる男だよ。あの人を見ている度に、俺はそう思う」

笑うでなく、怒るでもなく、ただじっと左之を見つめ、土方はそう言った。
一体何が言いたいのだろう。左之はゴクリと唾を飲み込むほどに緊張しながら考えた。
近藤の輝き…それは確かに感じる事がある。
成り上がりと人は言うかも知れないが、それでも他の人間にはそう感じない
一種の気を持っているのは確かなはずだ。
そう、今日の新八や総司のような。

「俺の夢は、近藤さんを英雄にする事でもある。その為ならば…」

ちらっと土方の目が、自身を取り囲むように練り歩く群衆に向いた。
その視線で、左之ははっと思いだした。

「死神」…そうだ、今日捉えた古高に対する土方の施した拷問は、
確かに死神に値するかもしれない。
その為ならば、この群衆をも利用するのか。
守るべき対象も、目的のためならば利用する道具に過ぎないのか。
ならば、仲間も同様なのか。
「土方さん…あんた」

左之は立ち止まり、人の流れをせき止め、土方を睨んだ。
土方もまた、その左之の視線を受けて立ち止まる。
大勢の人が行き交う中で立ち止まった二人を、人々は流れる川の如く避けて行く。
二人が止まっても、その大きな流れが止まる事はなかった。
土方は左之の強い視線を暫く受けてから、いきなりフッと…笑った。




え?と思うくらいに優しい笑みに、左之から力が抜ける。

「ほらな、俺はやっぱり英雄にはなれない」

いつの間にかその笑顔は、寂しげなものに変わっていた。
余りの変貌ぶりに、左之が慌てる。

「ちょ、ちょっと待った!ワケが判らないっすよ…」

元来考える事は得意じゃないんだ、と左之が付け足す。

「そんなお前でも、俺は……疑わしく映るだろう?」

左之の言葉に、土方は納得したように尋ねた。
疑わしい…確かに一瞬疑った。
いくら京を守るという使命の為とはいえ、古高への拷問には顏をしかめる隊士も多かった。
この人ならば、目的のためなら仲間にさえも同じことを…そう思った事は否定できない。

だが。

「………土方さん、あんたもしかして…」

土方は少し眩しげに空を見上げ、そしてくるりと背中を向けた。

「行くぞ」

短く告げる背中は、やはり寂しい。
そう思った瞬間、左之は悟っていた。



土方は、孤独な寂しさと戦っているのだ…と。
近藤の為に、京の為に、仲間の為に、古高に拷問をくわえ情報を引きだした。
だが皮肉な事に、その姿は残虐な鬼としてしか認知されない。
いくら京の町を守る為だったと言っても、人々はそう思わないかもしれない。

「守れると思うか?」

守ったと思ってくれると思うか?
それは、土方の切ない呟きだったのかも知れない。
だがそれでも、土方は鬼となるのだ。
全ては近藤を英雄にするために。
自身はその影になり、光を引き立てていく役に徹する…。
口で言うのは簡単だが、そう出来る事ではない。

「あんたほどの人が…」

そう、優れた者であれば、なおさらの覚悟がいるのだろう。
土方は、傷ついている。
古高を鞭で打った分、土方もまた傷ついていたのだ。




ふと、左之は新八を思いだしていた。
今日感じたあの気、あの近寄りがたかった輝き。
正直左之は、悔しさと焦りのようなものを胸に抱いたのだ。
だから、一緒には出られなかった。
後に控える大舞台を前に、この男に俺は辿り着けるのか? と、そんな事を思ったのだ。

死が怖いわけじゃない、それは覚悟して日々の業務に挑んでいる。
だが、日々を共に過ごせば過ごすほどに、思い知らさせる
近藤や沖田、新八や斎藤という屈指の使い手達の実力。
いつかその輝きを自分も持てるのでは…という期待を抱くことにも、
疲れてきていたのかもしれない。

つぅ…と新たな汗が頬から首へ滴り落ちる。
土方もまた、そうだったというのか。
土方の背中に感じた孤独、あれは自分と同じものを感じていたものだったのか。
輝きを前に、影に徹する精神力。

「………すげぇな…」

それに比べて俺は…小せぇな。
手拭いを貰っていた事も忘れ、左之は手の甲で汗をぬぐい取った。
そして、もう随分と先を歩く土方に向かい、走り出した。



道行く人々が行く手を遮っても、左之は走り続けた。
右に避け、左に避け、左之は走った。
土方の背中に向かって。

あの背中に、一言言ってやらねば。
あんたは間違っちゃいないし、死神でも無い、と。
俺なんかに言われて腹が立つかも知れないが。
いや…もしかしたら、土方に言う事によって、自分にもそう
言い聞かせようとしているだけかもしれない。

お前は間違っていない。

焦るのも悔しいのも、ごく普通の事なのだと。
そして、それも立派な役に立っているのだと…。
誰かに、言って欲しかっただけなのだ。




「あっ!」

ゼイゼイと噎せ返るような暑さの中、走っていた左之の足がもつれた。
小石か何かに足がつまづいたのか。
ぐらっと傾いた体に、左之は「しまった!」と唸った。
大勝負を前にして、こけるなんて縁起の悪い…
そう思った瞬間に、左之は誰かに支えられていた。

「あっぶねぇな」

「…ぱ、ぱっつぁん…」

驚いて見上げると、やはり暑そうに汗をかいた新八が左之を支えてくれていたのである。
いつもと変わらぬ顏で自分を支え起こしてくれる新八を見て、左之は言葉に詰る。
つい今まで劣等感に似た思いを勝手に抱いていた相手に、
何を言っていいのか困ってしまったからだ。

だが、新八はそうと知ってか知らずか、ある物を左之に示した。

「ほれ」

突然の事に、左之が目を点にする。
それは、ゆらゆらと新八の手で揺れる…小さなお守りであった。

「…何だ、これ」

「護符だよ、護符!浄妙山の勝ち守り!」

にかっと笑う新八からそのお守りを手渡され、左之は暫くそのお守りを見つめた。
それから左之は土方の姿を追う。
すると、土方も土方で、新八と同様に突然現れた総司から、同じような物を受け取っていた。

その姿を見つめていると、土方も左之の方を見た。
そして、目が合った二人は…。



少しだけ、笑った。



その様子に、新八と総司が奇妙な顏をした。
二人には判らないだろう。
だが、たったこれだけの事が、土方と左之の心を救ったのだ。
少なくとも左之にはそう思えた。
いつもと変わらない笑顔。言葉。対応。
勝手に孤独の淵に沈み、焦燥の闇に沈みかけていた心が、たったこれだけの事で救われる。
「やっぱ仲間だよなぁ」

呟く左之に、やはり新八は奇妙な顔をする。
左之はお守りをギュッと手に握りしめ、そして土方の元へ歩いた。
近づいてみると、土方の額に首筋に、先ほどまでは無かった汗が浮かび上がっている。
心が、元に戻ったのだろうか。



左之は土方から貰った手拭いを、彼に返した。

「暑くなりますよ、もっと」

土方も素直にそれを受け取り、笑った。

「暑くしてやるのさ、俺達が」

そして二人は、くっくっくと静かに笑いあった。
新八と総司が首を傾げても、笑い続けたのだった。






この夜、世に有名な池田屋襲撃が行われた。
総司と新八は近藤と共に一線に立ち戦い、
土方と左之は別動隊として後にこれに加わった。
後の世で、これがどんな評価を受けるのか、彼らは知らない。
そしてそんな事も、気にはしていなかっただろう。
彼らは己の信ずる道を生きたまで。
短い一行の中に、彼らの様々な戦いが込められている。




ごく当たり前の人間が、そこに確かに生きていたのである。




祭りが始まる。
真の動乱が、始まる。

時間が生みだす時代のカラクリ
来夢






【狼斬・新選組】一万HIT記念に来夢さんから贈って頂きましたv
まさかそんな申し出をして下さるなんて思ってもみなかったのでD×I感激っ!
記念ということだったので、ここは大好きな土方さんと左之助でv
季節柄、祇園祭で綴っていただきましたvvv コンチキチン。。。

あの日、あの時、一人一人が闘っていたのですね。敵と、己と。
京都の街で治安維持に戦っていた彼ら。
けれど京の人達に彼らが受け入れられていたわけではなく。
そこにも孤独な戦いがあったわけで、「守ったと思ってくれるだろうか?」
という言葉に、彼らの寂しさを感じました。
けれど、振り向けばそこに友がいて。「やっぱ仲間だよなぁ」

今回も素敵な物語をありがとうございましたvvv
浄妙山の勝ち守り。きっと彼等も持っていたでしょうねv
D×Iは去年は鯉山の登竜門守を購入。
効き目遅かったですが就職出来たので(笑)今年は保昌山にしようかな?
縁結びの護符が授与される山です(^―^)
土方さんみたいな素敵な方と出会えますようにvvv

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