十一月十五日と十六日は坂本竜馬一色。
というのも竜馬さんの誕生日&御命日。
高知空港が竜馬空港と名前まで変わってしまう勢いです(笑
で、今回拙者は京都は伏見の竜馬通り商店街で行われた
竜馬祭りのパレードに参加してきました。新撰組で(笑
先の幕末ONLYイベントに竜馬さんで参加されていた
ひとしさんのお誘いで参加することに(^―^)>
実は去年からこの御話は伺っていたので密かに
新撰組の衣装を買い揃えていたのですよ(笑
ダンダラの羽織は去年、京都新選組同好会の奈良副長に
特別注文して頂いた純壬生製の羽織。同好会の方達のものとおそろいですv
池田屋パレードの時に同好会の皆さんの勇姿に惚れてしまい、
「同じのが欲しいんです(0◆0;)」と、無茶を言ってしまいました。。。
が、そんな拙者の我侭にも親切に応じてくださり、「同好会の魂です」と
同好会の皆さんの新撰組への情熱と一緒に羽織を届けてくださいました。
それだけに思い入れもあり、特別な時にしか羽織れない代物ですので
大切に大切に桐箪笥に保管してました。なので今回が初御披露目ですv
週間天気予報ではずっと当日が雨ということでハラハラしていたのですが
前々日になって天気回復の予報と相成り、当日は快晴の小春日和!
ということで、朝AM9:30に伏見に入り京阪・中書島駅下車。
竜馬通り商店街は駅から徒歩5分程度です。
ひとしさんとAM10:00に竜馬館で待ち合わせをしてましたので
ゆっくり商店街の方へ歩いていくと途中で面白い物を発見♪
竜馬通り商店街周辺でのスタンプラリー。伏見夢通信とあり、
十一月十五日〜二十四日までの期間で、「とっくり」や「くんだり」など
渋い素敵なプレゼントが用意されていたので早速参加してきました(笑
因みにスタンプラリーのスタンプは以下八名の顔スタンプv
坂本竜馬、中岡慎太郎、勝海舟、西郷隆盛、大久保利通、
近藤勇、土方歳三、沖田総司v 自分用にも押して回りましたv
そんな具合に道草してたら約束の時間で、ひとしさんと合流。
今日もいつものように先輩隊士の東氏を誘っていたので、
ひとしさんに竜馬館に控え室を借りてもらい、
東氏に着替えを手伝ってもらって新撰組隊士に扮装♪
(因みに東氏は「着物大変やもん」ということで参加しませんでした…むぅ。
が。まんざらでもなさそうだったので、来年は一緒に参加しようねv)
ひとしさんの着替えを待つ間、商店街を一足御先に散策。
下駄を履くのが初めてだったので感覚を掴もうと歩いていたのですが、
慣れないうちは怖かったです(マジ。足袋が滑って…あれで走るなんて無理!
それでも鼻緒ズレは思いのほか大丈夫でしたのでカッポラカッポラ
音を立てながら下駄歩きを楽しみました♪←一人で楽しんでました(恥
ある程度下駄の感覚も掴めて竜馬館の前に戻ると
ひとしさんが竜馬さんに変身してました。
そして、ひとしさんと一緒に談笑してらしたのが劇団「夢援隊」の方々。
そう伺って、もう一日中ドキドキしっぱなしでしたよ(焦
十五日に霊山の墓前祭りに参列された時に
ひとしさんがナンパしてきたということでした(笑
夢援隊といえば東京がメインな劇団だということで、
拙者も聞き知ってはいたのですが、まさかこんな機会に
役者さんと御一緒できるだなんて思いもしなくって(焦っ
つい先日まで神戸の方で「美しき狼たち 龍馬VS新撰組」の公演が
あったということで、チラシも頂いちゃいましたv
写真は左から夢援隊の団長河本由彦さん、団員さん、拙者、ひとしさん。
で、団長の河本さんが12月公開予定の「ラストサムライ」に
日本人通訳官の役で出演されているとのこと!CHECKですよv
頂いたチラシにはトム・クルーズさんと一緒に撮られた写真がv 羨ましっv
また、控え室の方で準備をしていた時に隣で着替えをされてた
大奈さんとも御話する機会がありましたv 商店街の応援歌
「ALIVE ROAD商店街」をつくられたシンガーソングライターさんで、
今日は沖田総司に扮してライブをするということだったんですが
めっちゃ美人な沖田さんでした(うっとりv プロマイドとか見せてもらって素敵でしたvvv
どうも何年か前に新撰組の映画を撮るということで大奈さんは
沖田役が予定されていたらしいのですが、急遽ぽしゃってしまったのだとか。
大奈さんの沖田さんだったらきっと美麗隊士揃いな映画になったでしょうね。
さてパレードですが、京阪・伏見桃山駅の前から伏見大手筋商店街、
納屋街商店街、竜馬通り商店街をブラスバンドを筆頭に練り歩きました。
拙者は刀を用意できなかったので扇子を差していったのですが、
ひとしさんが「新撰組が丸腰じゃだめだ」と差料を貸して下さいました。
これまた初体験で刀を腰にさしたのですが、、、重い。
加えて拙者には長刀で、不意に動くと鞘当しそうでハラハラもの。
でもやっぱり刀があるとビシッとしますね。いつか二刀揃えよっ(^―^)
(着物着るだけでも勉強大変だったのに…←帯の結び方とか。
刀持つなら刀もまたしっかり勉強しなくちゃね!)
河本団長は竜馬に扮し、人力車に乗ってのパレードで、私はその前を
歩かせてもらいました。…というかチラシを配る仕事を手伝っていたら
列からどんどん遅れてしまって(笑 龍馬さんを先導する新撰組隊士って…(笑
竜馬通りを過ぎて十石船がはしる川を超えて公園前の広場にまで移動してから
ブラスバンドの演奏会だったのですが、その前に「夢援隊」の方々が
寸劇を披露してくださいましたvvv 竜馬さんに沖田さんが投げ飛ばされましたよっ!
そんな具合にパレードを楽しんだ後、伏見は拙者は初訪問の地だったので
早速史跡巡りにくりだしました。新撰組の格好のまま(笑
行くところ×2で「あv新撰組だv」と、沢山の人達と御話できて楽しかったです(^―^)
月桂冠の資料館を見て歩いていると手前に
「明治期の伏見の町屋復元しました 古美術・生活骨董 伏見」という
看板が出ていて、興味を引かれた拙者は東氏を引っ張って行ってみることに。
ところどころにある道案内の看板を頼りに行けば、
京阪の線路沿いの一角にありました。
玄関口で声を掛けると応対に出てくださった奥様が
中に招き入れてくださったので御邪魔してきました。
町屋に上がらせてくださるなんて思ってもいなかったので感動っ(0◆0;
御主人が骨董収集を趣味にされているということで、
三十年掛けて集められたという骨董品の数々が展示されてあり、
昔の町屋が再現されてあるふうでした。さりげなくおかれている
箪笥や棚などの殆どが当時のものといったものばかりで驚くばかり。
二階にも上がらせてもらったのですが、
鉄砲(国友鉄砲かな?)なんかも飾られてあって、
雰囲気に酔いながら撮影会をしてきました(笑
昔はガラスが貴重だったということで少し割れても継ぎはぎをして
使っていたということで、二階にはその継いだガラス窓もそのまま
残されてあって、今じゃそうそう見られないものも拝見してきました。
で、町屋の階段ですが、めちゃ急っ。んでもって狭いっ。人一人分の幅。
あんなの駆け降りたり上ったりできません!(慣れても怖いと思うよっ?
町屋でも色々あったでしょうが、あんな階段で戦闘とか無理です。
ましてや刀を振るなんて無理です。天井が凄く低いんです。
屋内戦では「突き」とはいうものの、体感して納得しました。
手を伸ばせば肘が曲がる状態で天井に手が届く程度です。
そんな屋内の構造を見て当時の感じを想像していましたら
外に出てらした御主人が戻られ、御茶を御馳走してくださいました。
当時の掘り炬燵を囲炉裏に改造された居間に招いてくださり、
一緒に居合わせた月桂冠の総務の方も一緒に御菓子まで頂いてきました。
拙者がこんな格好で出歩いていたからでしょうが、
幕末期に二軒茶屋(中村屋)で引き出物で出されたという香炉(?)を
出してきてくださり、手にとらせて見せてくださいました。
他にも平然と居間に飾られた焼き物なんかも当時のものだということで
当たり前に置かれているだけにタイムスリップしたような感じでした(感動っ。
因みにこちらではシー・ズーを二匹飼われていて、その名も小太郎と二郎が
御主人と談笑中にまわりをテケテケ駆け回ってまして愛くるしかったですv
御茶と御菓子を御馳走になって、こちらの「伏見」のポストカードまで頂いて
再び史跡巡り再開。月桂冠でもらった伏見のMAPを片手に、
まずは伏見奉行所跡へ。こちらには石垣が住宅地の下に残っています。
先の京都国立博物館で催された新撰組特別陳列展での講演会で
教えて頂いた鳥羽伏見の戦いの史料の絵に残されていた伏見奉行所の
松の木がまだ残っていないだろうかと見に行きまいた。
ありましたよっ松。が、位置的にどうなんだろ?って感じでよくわかりませんでした。
が、碑の隣に説明書きがあったのですが奉行所って結構広かったんですね。
歩いてみてかなりの広さだったので驚きました。。。
続いて鳥羽伏見の戦いの時の弾痕が格子に残る魚三楼へ。
シュバッと魂が掠っていった跡が格子にくっきり残っていました。
お店の暖簾が掛けられた入り口の右脇に鳥羽伏見の戦いの
説明書きもあるので、弾痕が一層リアルに感じられます。
そのまま北上してパレードで通った伏見桃山駅の方まで出て、
記念にvということで東氏と一緒にプリクラ撮って行きました(笑
ゲームセンターに仮装のまま入っていったので皆に振り向かれ
ちょいと恥かしかったです…ぼ―――ん。( ̄▼ ̄)ははは(乾笑
で、なんだかんだでもう夕方四時半過ぎ。
閉館ギリギリに寺田屋に入ってきました。
…てか一番最初に行くべきですよね(笑
寺田屋は竜馬通り商店街のすぐ横の通り。
で、見学料金¥400で、窓口でパンフレットと参観券を頂くのですが
参観券が粋v 土佐圏銀札の印刷紙で金五両御銀方とありました(笑
寺田屋といえば竜馬さんで有名ですが寺田屋騒動は御存知でしょうか?
文久二年(1862)四月二十三日。島津久光が一千の薩摩藩兵を率いて
上京したことに乗じて、関白九条尚忠と所司代酒井忠義を襲撃して、
相国寺獅子王院に幽閉された尊融法親王をお助けし、
島津久光に詔りを賜り幕府を誅伐するという過激な計画を実行しようと
急進派の薩摩藩士を含む尊攘派志士が寺田屋に集まっていました。
そこに、公家方よりの通報を聞いた島津久光が計画を中止させるために
藩の鎮撫使を派遣し、説得して計画を中止させるよう命じました。
が、鎮撫使側は上意討ちの許可が出ていたので、藩邸への同行を拒否した
急進派藩士有馬新七以下八名をその場で斬殺せんと及んだ為に乱闘となり、
鎮撫使側も一名死亡、多数の負傷者を出し、急進派側の藩士も六名が死亡、
二名の重症者(翌日藩命に背いた罪で切 腹)を出し、四月二十七日には、
一名が自刀して果て、これを加えて九名の死者を数えることになりました。
これが寺田屋騒動。竜馬襲撃の寺田屋事件はこの四年後。
で、小説などで有名なお竜さんが竜馬の危機に風呂から素っ裸で
二階に駆け上がり「竜馬っ、捕り方!」と継げた寺田屋事件。
…なんちゅう説明じゃ。。。↑(ーдー;)
薩長同盟を成立させた二日後。
慶応二年(1866年)一月二十三日深夜。
史書によれば、竜馬到着時刻は深夜零時頃で、
風呂に入った後、竜馬は二階の奥の間で
三吉と酒を飲みながら、話しをしていたといいます。
伏見奉行所の捕吏は寺田屋周辺を固めて、
女将のお登勢を門口に呼び出していました。
物陰に潜み宿を取り巻く捕吏の気配に気づいたのは、
階下裏手の風呂で入浴していたお竜で、
彼女は素っ裸のまま裏手の階段を駆け上がり
竜馬に急を告げたのでした。…びっくりしたろうなぁ(二重で。
で、そのお竜さんの御風呂と階段がこちら→
実際に建物の構造を見て実感。今、御風呂から表は
伺えないのですが、御風呂を出たらすぐ左手が階段。
これは裏手の階段で人が一人半くらいの幅なんですが、
寺田屋の表の階段は先程の町屋の階段とは違って
人が二人すれ違えるくらい幅のある階段。
きっと旅館だから食事とか運んだりするのに
人とすれ違えるくらいのゆとりを持たせて
創ってあるんでしょうね。踏み板の幅も広かったです。
二階の竜馬さんが使っていたという部屋には
竜馬さんの絵が描かれた掛け軸が掛けられていました。
寺田屋の女将お登勢が嫌がる竜馬を奨めて
街の画家に描かせたものだということです。
京都円山公園の銅像のモデルがこれだそうですよ。
そんなんで閉館時間いっぱいまで寺田屋検分をして、
それから正面の河原に降りて行って撮影会(笑
柳が立ち並ぶ川で雰囲気を楽しみました。
時間があれば十石舟にも乗りたかったのですが
往復小一時間かかるというので次回のお楽しみとしました。
橋の上から何度か写真を撮っていたら舟からお客さん達が
「あ、新撰組や〜!」「うお〜い!新撰組〜!」と
手を振ってくれたりして楽しかったです(^▼^)サービス×2v
日中は小春日和も暑すぎるくらいでしたが、←冬物の羽織はおっていたので。
夕暮れにもなると冷え込み始め、秋を感じさせられました。
めいいっぱい遊び倒してPM5:00。竜馬館で着替えを済ませて
(着る時には時間かかったけど、脱ぐのは早かったなぁ…名残惜しかった(笑)
御世話になった竜馬館の方達と商店街の方々とひとしさんに御挨拶。
そして帰路に…はつかず、もうひと歩き!(笑 鳥羽街道付近を散策。
とはいっても、もうPM5:30を回れば真っ暗で何処を歩いているのやら…
東氏に先導してもらう形で歩いていたらいつの間にやら迷子状態(コラ。
それでも一時間半ほどで中書島まで戻って帰路につきました。
一日中歩きっぱなしで、さすがにくたびれました。。。が、
今回も沢山素敵な出会いがあったので充実した一日でしたv
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