巡察

平成十六年 二月十一日

前日に京阪沿線駅構内で配布していた霊山歴史館「大新撰組展」のチラシをGET。
即、京都行きを決定して今回もまた京都洛中を練り歩いてきました(笑)

今回の巡察は母上と一緒。拙者がなんのかんのと新撰組を無差別布教しているので
それに中てられて母上も最近では話が分かるようになってきました。してやったり。
そんなこんなで、AM10:30。母上と京都駅から史跡巡りSTARTです。

京都駅に降り立って、すぐに見つけて駆け込んだのが大河「新撰組!」のパネル展。
駅の一角で催されていたのですが、早々に素敵なチラシをGET。
新撰組史跡MAP。あるだろうなと思ってはいたものの、結構詳しく載っていたので
みっけものでした(笑)東山界隈で割引が利くしおりも一緒にGET。

で、最近、京都の史跡巡りで利用する「一日市バス乗車券」を購入。
¥500なので一日にあっちゃこっちゃ行くならメチャお得。オススメです(^―^)
(バス内でも販売していますが、京都駅などで購入すれば
 バスの運行経路図ももらえます。これがあれば凄く便利です。)
母上と自分の分を購入して、まず向ったのが不動堂村屯所跡

塩小路通を西へ徒歩10分弱。リーガロイヤルホテル京都前(陸橋手前)に
真新しい碑があります。平成15年夏に有志で建てられた「誠」碑。
朱色で山形と誠の文字が刻まれているので腕章のデザインっぽいですね。
それに近藤さんの歌が。「事あらばわれも都の村人となりてやすめん皇御心」

屯所の広さは一万u。伏見奉行所へ引き払うまでの半年間、
この場所が屯所とされたようですが、その建築費+諸経費を
すべて西本願寺が負担した(させた)ってのが凄いですね。
よっぽどお西さんとしては出て行ってもらいたかったのでしょうが、
距離的に見れば、、、あまり変わらなかったのでは。。。
ホテルから西本願寺なんて徒歩で五分もかからない距離ですし。

碑の横に説明書きがあるのですが、「移転に際し、土方歳三の指示で
吉村貫一郎が西本願寺と交渉…」の一文に母上が感動してました。
何故って、『壬生義士伝』がフラッシュバックしたそうです(笑

屯所跡を後にそのまま北上して西本願寺手前の興正寺へ。
こちらも天満屋事件と並行して土方部隊が出動のあった場所ですが
門を入ってすぐの紅梅が綺麗に咲いていたのでしばし観梅に耽りました。
梅といったら「歳さ〜〜〜ん(´〜`)vvv(総督でも可…←浮気!?)」

そして西本願寺へ。まだ大改修工事中…。あと4年ばかりかかる予定。
平成20年が待ち遠しい〜っ。はやく完成してほしいですね。
修学旅行生達も改修工事中でしょげてましたよ(残念よね。
本堂でお参りしてから参道脇の銀杏の木に挨拶をして向うは太鼓楼
新撰組本陣の看板が掲げられた600畳敷きの北集会堂があった場所です。
西本願寺での新撰組の大砲・小銃訓練は「断獄刑場にことならず
実に極楽に地獄」といわしめたほどのものだった(談:西村兼文)とのことですが、
これは嫌がらせですね。。。誰の仕業だか言わずとも分かっちゃいますね(笑。

太鼓楼を後に、花屋町通を西に抜けて向ったのは島原。
母上が一度も行ったことがないということだったので、
途中、「誠の湯」なる銭湯に誘惑されつつ、島原大門から
輪違屋、角屋を案内。そしたらツアーの団体客に遭遇。。。
その名も「新撰組観光」…うおっ(0◆0;)やっぱメジャーな場所は混雑必至っ!

てなわけでプラン変更。当初は母上に新撰組をレクチャーすべく
めちゃメジャー(壬生寺など…笑)な場所を最初に案内する予定だったので
行く順番を変えて先に食事に行くことに。向うは料亭幾松っ(^―^)
五条通に出てバスに乗り込み京都市役所前にて下車。
向かいの京都ホテルの桂小五郎像を母上に紹介しながら
AM12:30、木屋町御池上ルの幾松へ。

以前、『そら色のだんだら』のそら太さんに連れて来てもらってから
ファンになりました(笑 京らしさがいっぱいなのが良いです。
それになんといっても御膳のネーミングv
今回は母上のおごりだということで(ありがとうっ母上〜vvv)
前回よりワンランク上の(笑)佐久間象山御膳を注文!
ちょうど大河ドラマで、佐久間象山が歳さんを「木綿豆腐」と名付けた回を
見た後だったので母上も佐久間象山が印象に残っていた模様。(笑

で、食前酒に濁り酒が出されたのですが、これが美味!
親子で下戸なのですが、口当たりが優しくて苦もなく呑めてしまったのに驚き。
…とはいっても食後、親子揃って顔真っ赤にしてたんですけどね(笑
次に御作りや煮物の膳が出されて、続いて揚げたての天ぷら。
そして炊き込みご飯に御吸い物で〆て、最後にデザートのオレンジ。
京都らしい薄味が良かったですv 二時間ほど食事を楽しんで、
残すことなく平らげて御会計に奥のフロントに行ったのですが、、、
「食前酒に出された濁り酒って売ってないんですか?」
って母上ぇっ(0■0;) とうとうお店の人尋ねてしまいました。。。
…よっぽど母上は食前酒が気に入ったようで、、、確かに美味しかったけど。

「無理なこと聞いちゃ駄目じゃないさ…」と母上を嗜めていると、
こともあろうに御会計の方が「今、厨房の者に聞いてきますので…」と
早速交渉に走られてしまわれて。。。「…え!?」みたいな展開(焦。
ほどなくして戻られた御会計の方の手には酒瓶が握られてて…。
「『清酒幾松』の瓶しかなかったので、これに詰めさせて頂きましたが…」
と、特別に売って頂けることにっ(0■0;)>ひえ〜。

そんなわけで、清酒幾松ならぬ「濁り酒幾松」。買わせて頂きました。
早速、この日の夜の食卓に食前酒として添えましたよ(笑
ぐい飲みくらいのグラスに氷と一緒に注いで、冷で飲むのですが
昼の感動を夜にも味わえて、素敵な買い物が出来たと母上も御満悦でした(笑
幾松さん、ありがとうございましたー(^▼^)また伺いますね〜vvv

さて、御腹も頃合になったところで今日の主目的、霊山歴史館
「大新撰組展」を観に行くべく三条からバスに乗り込んで祗園で下車。
そこから八坂神社を抜けて維新の坂をえっちらおっちら上っていきました
ら、やはりというべきでしょうか…こちらも団体様が。。。
が、ここばかりは混雑は覚悟の上で母上も腹を括って突入!
しっかり持参したチラシを提示して団体割引で入館。

2004/1/3〜2004/3/21はT期「新撰組 誕生」ということで、
続くU期は「池田屋事件」2004/3/23〜2004/8/29、
最終V期は「竜馬と新撰組」2004/8/31〜2004/12/26
ということで予定されているようです。U期、V期も観ないとね!

で、入って正面に据えられた木砲にビビリつつ…(客を狙うとは不逞ぇ奴だ。)
木砲右脇のケースに収められた虎徹に釘付け。。。
また振り返れば捜し求めていた島田魁さんの「東将大権現」の幟が!!
戊辰戦争中、島田さんが胴に巻いて闘ったというもので、戦中に負った
銃弾傷の血痕の跡が残る代物。もう感動で涙が出ました。。。

二階に上がれば階段すぐのところに慶喜と竜馬さんの等身大パネル。
並んでみてびっくり…慶喜ってめちゃ小柄な人だったんですね。。。驚きました。
展示品には当時の錦絵や書簡などもあったのですが、目を引いたのは
池田屋の模型!!例のっ巷で噂のっ、フルタのフィギュアがそこに!!
めっちゃカッコよくて、母上も思わず嘆息をもらした程でした。
帰り際、売店でフィギュア「売り切れ」の表示に悔しかったのなんのっ(笑

とにかく人が多くて、展示物を見るのも押すな押すなの混雑ぶり。
負けずに人の間を掻い潜って新撰組を堪能してきましたが、疲れた〜。。。
そんなわけで、ぐったりしながら霊山歴史館を後に次に向ったのは壬生!
石壁小路などを通って祗園までもどり、そこからバスで大宮まで。
PM4:00。さすがに夕暮れ時なら壬生界隈も観光客は少なかろう…
とふんで行ったのですが、、、甘かった!!ありえない人の多さっ(0_0;)

さすがというべきか大河影響って凄いですね。すでに心無い観光客が
色々迷惑を掛けているという噂を聞きますが、皆さん気を付けましょうね。
娯楽施設でもテーマパークでもないので、そこらへん弁えましょう。

…といった注意を呼び掛けるよう、行くところ行くところで協力を願われるくらい
方々で深刻な問題になっているようで、ちょっと痛い現実にとほほ〜。。。
さて、そんな壬生でまずは前川邸へ。今年、玄関を改装されて新撰組グッズを
販売されるようになったんです。これまでは門前で「ここが前川邸かぁ…」と、
立ち止まることしか出来なかったので、中に入れてドキドキしました(笑

で、そこにもフルタのフィギュアを発見。…やっぱり売り切れでした(泣。
「すごい人気で入荷できない状態なんですよ…」との奥さんの言葉に
親子で肩を落とすと「3/8に関西で発売予定ですよ」と情報を頂きました。
気さくに御話して頂けて、しばし新撰組談義させて頂きました。
新撰組の映画の1シーンで前川邸の門が使われたらしく、白黒ですが
そのパネルなんかも展示されてました。ちょうどこの日、時代劇専門チャンネルで
「新撰組まつり」をしていて、そのパネルの1シーンがどの映画かチェックしましたら
どうやら1974年の草刈正雄さん演じる『沖田総司』からのもののようです。
いや〜。タイムリーで観て一層感動しましたv

前川邸の次には八木邸へ。こちらでは毎度おなじみの屯所餅を購入して
スルー。壬生寺へ足を向け、、、こちらも人の多さに面食らいました。
ついこの前までは人っ子一人いなかったのに。。。←酷い。

今日は二人とも数珠を持ち合わせていなかったのでお墓参りは
また今度、と避けて壬生塚も光縁寺も横切るだけにしました。
PM5:00、もう日も暮れてきましたが最後に黒谷へ!
大宮からバスで岡崎道下車。もうお寺も閉まっているだろうな…、
と諦め半分で行ったのですが、読経が響く境内は雰囲気満点でした(怖

また高台に位置するので境内から京の街のイルミネーションが綺麗に見えました。
で、毎回のことなんですが黒谷から祗園に再度バスで出て、茶寮都路里で
抹茶を頂いて帰路につきました。今日は母上も新撰組を満喫できたようで
(拙者は絶対手を出さない新撰組暖簾やTシャツを買おうとしたくらい…)
また次も一緒に幕末を旅しようと約束したので、手応え有りでした(ニタリ。


平成十六年 二月十四日、二十一日

ことの起こりは一本の電話。
「D×Iさん、京都駅の大階段駆け上がり大会に新撰組で出ませんか?」

御世話になってます京都龍馬会のひとしさんから唐突に連絡が入りました。
聞けば、毎年恒例のイベントで、それに今年は盛り上げ役として
時代衣装の扮装をして、新撰組PR部隊で京都観光誘客キャンペーン
パフォーマンスに龍馬会と一緒に参加しませんか?ということでした。
「大階段駆け上がり大会」がどのようなものか知らなかったのですが、
せっかくの機会でしたので二つ返事で御一緒させてもらうことにv
…無知とは怖いものです。大後悔する大会当日の一月前のことです。。。

それから二週間ほどして、またまたひとしさんより至急の連絡が。
「明後日の土曜日、大会の前取り撮影が霊山であるから参加して!」とのこと。
さ、撮影!?聞けばTV撮影ということで詳しくは現地で、ということで。。。
前日(11日↑)母上と京都に行ったばかりだったので「…どうしようかしら」
とも思ったのですが、大会参加者は出て欲しいということで、
「D×Iさん、TVに出れまっせ!」とひとしさんの御言葉に乗せられるまま(笑)
よくわからないままにも行ってきました…(^ヮ^;)うわお〜。大丈夫か私!?

14日、PM2:00。近江屋跡の真裏あたりにあたる称名寺で京都龍馬会の方々と
一緒に着替えさせてもらう為に待ち合わせという約束で伺いました。
お寺の一室で会議をされている場に通して頂き、拙者は脇で静かにしていたのですが、
その内容に驚くやら興奮するやらで、きっと目がキラキラしていたと思います(@_@)*
今年は大河「新撰組!」で新撰組が盛り上がっているところですが、
京都では今年限りの盛り上がりで終わらせずに、毎年恒例で楽しめる
幕末イベントを催せるよう、イベント企画の大風呂敷を広げていらっしゃいました。
その会議で熱弁されてる皆さんも凄く楽しそうで嬉しくなっちゃいましたvvv

会議が終わってから着替えに移り、拙者はまだ着慣れていないこともあり
手間取ってしまったのですが、PM2:45。龍馬会の皆さんとタクシーで霊山まで移動。
龍馬会からは竜馬さんはもちろん、岡田以蔵までいて(笑)、それと一緒に行動する
新撰組の拙者は、なにやら思いっきり裏切りまくってて。。。ほ〜えほえ〜(゚―゚;)>

つい先日訪ねたばかりの霊山歴史館を背に、護国神社が撮影の場ということで、
「一体これから何が始まるんだ…??」と(一応)当事者であるにもかかわらず
「???」と落ち着きなく燈籠脇で身支度を整えていると、「あのっ、写真いいですか?」と
観光客らしき親子連れに声を掛けられてしまって、、、ほ、ほえっほえ〜(0_0;)>
「息子が今新撰組に嵌ってまして。」とのお母様に御言葉に「同士だね〜♪」と
気をよくして、息子さんと一緒に写真撮影〜(笑)そうしていると「なんだなんだ?」と
異様な雰囲気(←扮装軍団集結の雰囲気)に集まりだす見物客。
霊山歴史館前でもありますし、自然、見物客は幕末FANの方々ばかり(笑)

そうこうしていると、PM3:00。KBS京都テレビの方々がいらっしゃって
境内脇の控え室で今回のイベントとTV撮影の趣旨を伝えられ、
早速撮影に移ることに。。。「…もうっ、、、なるようになれっ」とぶっつけ本番です(笑)
今回、拙者は京都龍馬会を通してこの場に参加しましたが、
大会には、去年壬生にできた『京都新撰組町作りの会』の皆さんと
一緒に参加させて頂くということになり、撮影も御一緒させて頂きました。
つ、つまり、、、会(組織)に参加していない一般人は拙者だけということで…。。。ひえ〜(焦)

で、撮影ですが、、、先に謝ります。「 申 し 訳 ご ざ い ま せ ん 。」
大変心苦しい限りなのですが、不肖ながら拙者、 沖 田 総 司 役してしまいました(T■T)
「はい〜??」って感じだったのですが。。。当初、拙者は「撮影といっても一隊士として
皆さんの端っこにちょびっと映る程度だろうから〜」といったつもりだったので、KBSの方が
「あ、女の子は沖田で決まりね。じゃぁ隊長のNさん(町作りの会)は近藤で〜…」と
サクサク決められていったので「え?え?え?…沖田さんって私がですか!?」と
驚く暇もあらばこそ。。。もう何が何やらさっぱり分からないままに、あれよあれよと撮影開始(大泣)。

まずは名乗るということで近藤さん(役名)や土方さん(役名)は
「ゲンコツがばちょ」、「投げキッス(爆笑)」などとFANサービスされてたのですが
…お、沖田は一体何をすれば…(゚―゚;) いやーん。。。
労咳で咳込むのだけはしたくなかったので(当日ネタにとっておきたかった…
わけではありません。病気を笑いのネタにはしたくなかったので、、、)
「 沖 田 総 司 !」 とだけ、威勢良く名乗ってやりました。つまんねー、ごめんよー。
んでもって、カメラマンさんは殺陣も撮りたかったようなのですが、
なにしろ素人集団でしたので、抜刀や刀を振りかぶったりする簡単な仕草を撮ることに…
なったのですが、刀を抜くところからつまづく私達。。。NO〜(T▼T)>
大変お恥ずかしながら、拙者まだ自分の大小を持っておらず、今回もまたひとしさんに
お借りして二本を腰に帯びていたのですが、抜刀するのはこの時がはじめてのことで
芝居や映画で見ている通りに「よっ」と抜いてみたのですが、、、「ぬ、抜けねぇ…。」

腕の長さにあっていないのかと刀のせいにしてみたものの、(←素人丸出しですね…御恥ずかしい。)
龍馬会の会長さんに抜刀の仕方を教わって、『鞘を引く』という行為を損じていた為に
抜けなかったことが判明(大笑)。また、龍馬会会員のKさんに、大刀のさげおを
袴に引っ掛けるという正しい刀の帯び方を教えて頂き、準備完了(笑)。
「いざっ!」、バビュッ(`■´)とカッコ良く抜刀できたのにはカメラマンさんにも誉められました♪
が、肘の内側の腱が鍛えられていないだけに刀を返すのがきつかったです。。。←なさけね〜。

新撰組側と竜馬側で撮影を区切っていったのですが、竜馬側では
居合を心得ていらっしゃる会長さんとKさんが殺陣を披露してくださり、
撮影にも熱が帯びていました!やっぱナマはいいね!素晴らしい!!
続けて、社前背後の墓所に通じる石階段での撮影ということで
護国神社の神主さんに通されて、二段目の階段折り返し地点までを
「竜馬ら志士を追う新撰組隊士の図」ということで5往復ほど駆け上がりました。
つ、疲れたよ〜(T▼T)それになにより、下駄で石段を駆け上がる行為は大変危険です。

怪我せず終えれたので良かったですが、こんな大変な撮影になろうとは。。。
また、今回の撮影で龍馬会の方々はもちろん、新撰組町作りの会の方々、
KBS京都テレビの方々…と、沢山の方々と御近付きになれて、
もう興奮のあまり緊張しっぱなしでした。。。(とほ〜。。。もっと御話したかったです〜。)

朝方から天気が怪しかったのですが、雨が降り出すのを予測して
サクサク撮影を進めた甲斐もあり、無事雨が降り出す前に撮影終了〜。
拙者もカメラを持参していったのですが、自分が動き回っていたので
撮れるはずもなく…。あらかた撮影が終わって浮かれてる皆さんをぱぱっと
記念に撮る程度しか出来なかったよ〜。。。(残念)

なにやら終わってみればバタバタとした2時間あまりのことだったのですが
凄い凝縮された濃密な時間を過ごしました。また、撮影の見学に来られた
龍馬会の方に「バレンタインだから…」と帰り際、
ロイズのチョコレートを頂いてしまいました(0◆0;)
「あ、あ、あのあのあのあの〜っ、逆なんですけど〜、、、ありがとうございます〜っっっ」
んもう、勢いなんだかなんなんだか、「落ち着け自分〜。。。」
しっかり御挨拶もできてないのに、皆さんに気に掛けて頂いてしまって、
本当にありがとうございますっm(_ _;)Ξ(;_ _)m

で、撮影の後、称名寺に戻って着替えてから御開きとなり、
ほんとうに久しぶりにお会いできたので、ひとしさんとお茶をして
龍馬会の活動や京都の新撰組ブームの動向を伺いました。
法人ということで、数多ある同好会とはちょっと気質が違うように感じたのですが
皆さんの真剣な姿勢に好感を覚えました。活動にも意欲的で素晴らしいです。

好き者同士で幕末談義にもりあがり(笑)一息ついたところでひとしさんは拙者を
刀屋さんに案内してくださいました!新京極通三条下ルの末澤南海堂さん。
もうひとしさんとは龍馬会で顔パスだったのですが、店長さんがさっそく案内してくださって、
虎徹、清光に見とれていると兼定を出してきてくださって刀談義にわきました(笑)
この日初めて二刀を帯びたのですが、やはり刀…欲しいですね〜vvv(惚)
刀屋さんで並んでいるのを見ると余計に。。。南海堂さん、やばいです!次ぎ行ったら絶対買っちゃう!!

そんなノリで、帰り際。南海堂さんが毎月出されているという「南海堂通信」という
刀のあれこれを紹介しているしおり(H13.1〜H14.2号=新撰組特集)と
商品の新撰組のお菓子を手土産に下さって、ここでも御世話になってしまいましたっ。
ありがとうございますっ、ありがとうございます〜っm(_ _;)Ξ(;_ _)m
今日は最初から最後まで感謝感激に興奮緊張三昧な一日でした。。。
そんなこんなで「大階段駆け上がり大会」は一週間後!



というわけで、あっというまに一週間。
というのも仕事がメラ忙しくって、先取りの撮影をした翌日の
日曜日からして休日出勤した挙句、一週間ぶっ続けで
帰りのバスがなくなるまで働き詰め状態。
もう大会当日は気を抜けば一寸先は霞んで見えるといったような
最悪のコンディションで大会に臨むことに…ふらり。。。

大会前日、隊長のN氏(近藤さん)より連絡が入り、
AM10:00会場に集合ということで、残業を早く切り上げることかなわず(T▼T)
結局AM2:00に就寝して、大会当日はAM7:00に家を出て京都駅にAM9:00に着
といった暴挙に及んでしまいました。ぐふぅ。。。

しかし!京都駅に降り立った途端、お祭ムードに覚醒!(笑)
さっそく足を向けた先は今日の舞台、大階段!
まだ一度も拝んだことのない大階段を一目下見しておこうと思い、
駅構内の地図で場所を確認してエスカレータで駅ビルの4階へ。

すでに階段正面の舞台周辺では大会の準備で沢山スタッフが集まっていました。
太鼓や応援旗などに目を奪われつつ、はっと階段を見上げてみれば、
「・・・・・(゚―゚;)絶句。」てな代物で、、、いきなり大後悔。。。
とりあえず頂上まで行ってみようと、階段右脇のエスカレータで
一気に上まで行ってみたんですが、、、改めて大後悔。。。
「めっちゃ怖いんですけどっ、この高さ!!」てな代物で、、、
写真→は頂上から下を見たもの。聞けばこの大階段、高低差約30メートル、
段数171段
とのこと。「これ上るんですか!?無理っしょ!!」大泣。

そうこうしていると時間になり、皆さんと合流して早速着物に着替えて
開会式と準備体操(エアロビ?)に参加。やはりだんだらは目立ちました。
大会は運動会のような雰囲気で、ジャージや運動服姿の方々ばかりで
着物でいるのが場違いのような有様でしたが、町作りの会から会長さんと
KさんとHさんが応援に掛け付けて下さり、御二人もだんだらに
扮していましたし、他チームにもだんだらの半被での参加者も多く、
会場は新撰組率が高かったです(笑)やっぱ大河影響ですかね。

そんな中、目を引いたのは東映さん。コスチュームがやはり本格的!
忍者、飛脚、新撰組、そして甲冑武者!!他チームには女豹がいたり
オヤジがいたりバニーちゃんがいたり、、、なにやら一部で
コスプレ大会でした。お祭モード全開で面白かったです♪

さてさて、本題の階段駆け上がり大会ですが、ルールは簡単。
第一走者は45歳以上の人、第二走者は女性、第三・四走者は自由。
この4人1チーム編成で個人記録とチーム記録を競うというもの。
消防士の方や競輪選手のチームも参加していて、本気で大階段を
駆け上がる姿は迫力!白髪のお爺さんも物凄いスピードで
駆け上がっていくので、マジで凄いな…と感服致しました。

次々と打ち出されていく高タイム。女性でも30秒を切る人もいて
嫌がおうにも勝負魂に火がつくところ!…でしたが、拙者は
「怪我しないで完走するのが目標!」でした。←志低い。
というのも足元は下駄。もちろん下駄でそのまま駆け上がるのは
大変危険ですので、下駄を脱いで足袋で走ることに。
なんせ、転んだら最期。下まで転げ落ちるしかないですからね、
この階段は。怪我どころの騒ぎではないでしょう。。。
だから大会参加者全員、保険掛けて大会に臨んでます(゚―゚;)

拙者達はエキシビジョンレースということで「幕末世直しレース」に参加。
参加チームは町作りの会、龍馬会、大宮商店街、竜馬通り商店街の4チーム。
町作りの会と龍馬会は時代衣装扮装組(笑)しかし商店街チームは
本気モードで運動着姿。これにはまいりました(^^;「やる気だよ、商店街。」

天候は良好。日中は春の陽気で、最高気温は19,6℃(京都地方気象台調べ)。
珍レースが始まるぞっということで沢山の見物客の見世物となりました(笑)
第一走者は隊長の近藤さん。これが早かった!ぶっちぎりでした!!
「うお〜っ(T▼T)隊長〜本気だ〜!!」
続く第二走者の沖田としては大怪我覚悟の真剣勝負か
親孝行に平穏無事勝負かの二択に悩まされる走りっぷりでした!

が、見世物レースで親不孝なことは出来ないので
「参加することに意義があり」精神で完走しましたよっ!えっへん。
スタートの合図と同時にロケットスタートな商店街Sに龍馬会Kさん。
「しょえ〜っ、やっぱ皆さん本気だよ〜(゚ヮ゚;)」
いきなり出遅れた沖田。階段半ばで「マッハマイナス5〜ぉ(よろよろ…」
などと言って余裕かましてましたが、上がりきる頃には言葉も出ませんでした。
後半、バテバテな御三方にひょこひょこ追いついて無事完走。

完走すれば通常レースの参加者達には「認定書」なるものがあったのですが
我々エキシビジョンレース参加者にはないということで、すごく残念でした。
が、拙者達の走りっぷりを観て「あれなら自分も走れそうだ!」と
応援してくださったKさん、Hさん、是非来年は走ってくださいね(^―^)

そうそう。レースは無事終えたのですが最後にとんでもない
ドジをやらかしてしまいました。。。しょぼぼん。
他のレースを観戦し終えて引き上げの際のこと。
ひとしさんにお借りしていた脇差の鯉口がゆるかったのは
承知していたのですが、ふと前屈みになった時に
脇差がスラーっとひとりで抜けてしまって(0■0;) 「ぁあっ!」
大階段で、足元に置いていた食べ残しのお弁当をひっかけて
10段くらいおかずをぶちまけながら落としてしまいました(T■T;)
ご迷惑おかけしてしいました。。。ドジしてすいませんでした〜(大泣。

そんなこんなで怒涛の大階段駆け上がり大会。怪我もなく終われたので
良かったです。それに、今回は本当に沢山の方と御近付きになれましたし。
どうぞ、また次の機会がありましたら、その時も宜しくお願いします。
今年はイベントが多いということなので楽しみにしています♪

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【報告】大階段駈け上がり大会の放送はKBS京都、サンテレビで
三月六日、土曜日に18:00〜55に放送されました。
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平成十六年 三月七日

去年の暮れあたりから家族サービスを兼ね、今回も母上と一緒に京都巡りです!
今回のテーマは観梅!!母上が今年は京都で観梅を楽しみたい!と所望しましたので
梅のメッカ!北野天満宮に行ってまいりました(^―^)

この日は連日の陽気と裏腹に酷く冷え込む気候で、天気予報では京都は
雪とのこと。観梅なだけに寒梅となってしまいました(一本!

AM11:00。阪急大宮駅にて下車。そこから毎度お馴染みの京都市バス
一日周遊券を購入して、いざ北野天満宮〜。とは行かず、まずは前川邸へ〜v
今流行の新撰組フィギュアを求めて!(笑 が、ここで酷い吹雪に!!(T■T)

雨宿りとばかりに駆け込んだ前川邸の門先で、ありました!フィギュア!
前回、霊山・前川邸で売り切れの為に購入ならなかったリベンジとばかりに
母上も乗り気で(笑)箱入り(6体)を二箱買い込み、あいかわらずの
大雪に眉をひそめながら、懐も寒くなりましたが
胸一杯で壬生を後にし、幸福堂できんつばも買占め、
改めて市バスを乗り継ぎ、いざ北野天満宮〜。

北野天満宮は御存知、「学問の神様」菅原道真公をお祀りした神社。
国を鎮め守る神として平安時代中期、北野の右近馬場に
菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされています。

で、菅原道真といえば、こちらの詩ですよねv
「東風吹かば 匂い遺せよ 梅の花  主なしとて 春を忘るな」

東風が吹いたら、匂いを配所の私のもとまで寄越してくれ、梅の花よ。
主人がいないからといって、春であることを忘れるなよ。

昌泰四年(901)、大宰権帥に左遷され、家を発つ時の歌として
伝承されている有名な詩。切ないですね(T_T)そんな道真の
北野天満宮は、この日梅の花が満開でした!!

見て下さい!すごく綺麗な梅林v 梅といえばかの殿方達も好きですよねvvv
「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」…道真公の詩と並べてはいけません。

国宝の社殿は八棟造と称されるもので、総面積約五百坪の雄大な
桧皮葺屋根の威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化の象徴。
威風堂々たる創りに感嘆しながらお参りをしようと正面を望めば、
長蛇の列!受験期でもあったので参拝客の多いことっ(0_0)
丁度、母上の国試も近かったので我等も列に並び、合格祈願をしてきました。
この頃になると雪雲に晴れ間が覗き、酷い吹雪がおさまったので助かりました。

PM1:30。天満宮正面の「この花」で昼食の雑炊と甘酒を頂き、
PM1:50。改めて繰り出したるは上七軒。

京都の五つの花街の一つであり、お茶屋が軒を連ねる静かなたたずまい。
歳さんも通った花街の一つであります。確か君菊さんとの間に一女…でしたっけ。
上七軒は室町時代初期に北野天満宮が焼失した際、その再建に充てた残り木で
七軒の茶屋を建てたのがはじまりとの事。なるほど名前の由来を知って納得。
遊女街として公許された古い花街です。

で、せっかくの花街なので芸妓さんの一人でもお目にかかれればいいな〜と
思いつつ、見つけた和菓子屋さんで京の芸術を楽しんでいると、着物姿の
女の方が一人入ってこられて、お菓子を八つほど注文されました。
御化粧こそしていませんでしたが物腰がどこかしっとりしてて「この方はもしや!」
と思いつつも遠目に窺っていると、「失礼ですが、芸者の方ですか?」と
大胆にも母上がいきなりコンタクト!!「はっ、母上〜っ(゚■゚;)」

ご存じのとおり、芸妓とは、京阪の呼び方で、芸者さんのこと。
接客業の一種ですが、あくまでも芸を見せるのが芸妓さん。
その特殊な接客業の方のことを母上にちゃんと伝えていなかったので
大失敗。

「写真を一緒に撮らせて頂けませんか?」との母上のお願いに
彼女はそっけなく「お仕事中ですので」と断られたので、
母上は大ショックだったようで不快な思いをさせてしまいました。
そうなのです、京の芸妓さんは御高いのです。

私も詳しく走りませんが、その筋の友人から話を聞くところによれば
彼女たちは、日々きびしいお稽古をかさね、
花街のきちんと決まったしきたりの中で生活しており、
自分の芸で客からお金を取る職業なので、ストレートに表現してしまえば
金を出す客にはサービスするが、無銭でサービスはしないというのが芸妓だとか。
なので、観光客に写真撮影をタダでなんてさせてもらえないものなのです。

それを母上に最初に伝えれていなかったものだから、
もう母上ったらそっけなくされたことに御立腹。はうあ〜(TヮT)
芸妓さんと遊ぶならちゃんとした御座敷じゃないといけないのですよ。
そんなわけでなんとか諭して機嫌を直してもらいつつ、
気分を切り換えて次に向かうは浄福寺!
直進できなかったので上七軒より徒歩20分程、PM2:15。

鳥羽伏見の戦の折、巨大な兵力を京都に常駐させた薩摩藩でしたが、
相国寺では収まり切れず、西に位置する浄福寺に分駐することになりました。
当時の地図を見るとわかりますが、今の25倍以上の広さがあったようです。

浄福寺に駐屯した薩摩藩兵は乱暴な振る舞いが多く、
いつしか「浄福寺党」と呼ばれるようになったそうです。
その荒くれ者達が残した刀傷が庫裏に今もあるとのことでしたので、
それを探しに行ってきました。…が、どれだかわかんない(゚ヮ゚;)

これかな?あれかも?と庫裏の周りをぐるぐるしているとどれもかれもがそれっぽく
見えてきて…「こんなに沢山傷付けて…薩摩っぽは気性が荒いなぁ」
などと感想をもらしつつ(コラ)、一番刀を打ち付けやすそうな位置にあった
「コレが、それっぽいぞ」ってのがあったので撮影してきました→

ほんと、銃弾の跡のような虫食いのような穴とかも沢山あって朽ちかけている
建物だったので確証はありません。知ってる方教えて下さい(TヮT)うえー。

さて、そのまま一条通を東に足を進め、次に向かったのは清明関係の史跡(?)
一条戻り橋、と清明神社!時代が違うよっ(^^)
浄福寺より徒歩10分程、PM2:35。
清明関係は友達が凄く詳しいのであまり下手なことは綴れないのですが、
阿部晴明は陰陽師で有名ですが、彼は実のところ天文博士。
朱雀帝(すじゃくてい)より六代の帝に天文陰陽博士として仕えました。
唐へ留学した後、わが国独特の陰陽道を確立しました。
年中行事、暦術、占法等は、この時より創られました。

「陰陽道、奇門遁甲(きもんとんこう)に通じ式神をあやつる」

清明は祈襦呪符の一つに、天地五行を象どり万物の除災清浄をあらわす
五芒星を用いました。清明神社の社紋で俗に清明桔梗と呼ばれています。
陰陽五行思想の象徴です。呪術的な要素があるために神秘的ですね。

そも陰陽五行とは……(゚―゚;)なんて解説し始めるとどんどんドツボに
嵌っていくので、ここらへんで切り上げますが(詳しくは各自で調べましょうっ)
そんな安部晴明がまつられている「清明神社」は、堀川通りに面しています。
一条通を堀川通りに抜けると、丁度一条戻り橋に出会います。

源氏物語には「ゆくはかへるの橋」と書かれている一条戻り橋。
そばに清明が式神を封じ込めたといわれる穴があるのだとか。。。
今は空掘りで、ちょうど橋の上から下を覗き込んでいると、堀の下に降りて
写真撮影している方がいて驚きました(゚ヮ゚;)式神かと思いましたよっ(驚。
現在でも、”戻る”は嫌われており、葬列や入嫁列は渡らぬ習わしだとか。

橋から100mほど北上すれば清明神社があります。ちょうど訪ねた時は
鳥居の裏手が工事中で雰囲気ぶち壊し状態で残念でした(T皿T)

ついでに神社のすぐ北の西陣織会館も覗いてみてきました。
外国人向けの御土産物が多く、観光客も外国の方たちが多かったです。
で、さらに北に歩を進め、今出川通を西に進み、京都市考古資料館を訪ねました。
平安貴族愛用の陶器だとか、伏見城跡の台所から見つかった鯛の骨…
なんかを見てきました。時代に幅があるので、拙者では勉強不足で見るだけでした(泣。

資料館を後にさらに西に歩を進め、観世稲荷社を探すも…見つからず、、、
母と一緒に周辺をぐるぐる散策するも見つからず、、、どこにあるの??
観世稲荷社の井戸の水面にはいつも波紋がえがかれており、今
観世流で用いる扇の模様にも用いられているというので観に行きたかったのですが、
PM3:20。稲荷社を探していると首途(かどで)八幡宮に辿り着きました。。。
牛若丸を奥州へ誘った金売吉次の屋敷跡でその鎮守とのこと。
牛若丸がここから旅立ったというので「かどで」というのだそうです。

さて、稲荷社は諦め、次に向かうは下鴨神社。バスで下鴨神社前まで移動。
PM4:15。空に陰りが見え始め、少々早足になる親子二人。
思ったとおり、再びちらほら雪が舞い始める始末。。。寒っ(0m0;
初めて下鴨神社を訪ねたのですが、南にのびる糺ノ森の鬱蒼としたこと。。。
かつては「糺すの納涼(ただすのすずみ)」と言われて王朝時代の
リクリエーションの場だったという話ですが、暗がりでしたのでまわれ〜右。
神社参拝のみにしてきました。下鴨神社といえば、久しく御所の外に
出たことがなかった孝明天皇が、文久三年三月十日、
宮部鼎蔵らの運動が奏功して行幸することとなったところです。
この行幸は上下加茂社、石清水八幡宮に参拝されましたが、
関白に加えて上洛中の将軍家茂や後見職、一橋慶喜も従いました。

というわけで、これはついでに行ってみようかと次に足を向けたのは
上鴨神社!バスで移動すること30分。PM5:00。
勢いを増す雪に阻まれつつ、下鴨神社同様に鮮やかな朱の鳥居を潜って
参拝してきました。厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)明神、
落雷除、電気産業の守護神として広く信仰されているそうですね。
平安遷都以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められて、
今日も建築関係等の方除祈願が多くあるとか。

二つ目の鳥居を潜れば、正面にあるのが白砂で作られた円錐形の「立砂」。
神山を模った「清めの御砂」ということで、上鴨神社の象徴ですね。
鬼門などにまく清めのお砂の起源はここにあるようですよ(゚ヮ゚)

上鴨神社を後に参道を戻り際、目に付いたのが二本の大きな枝垂桜。
ほんのり色付いたつぼみが雪と寒さに哀れでしたが、立派な枝ぶりに
「桜が満開の時期になったらまた来ようね!」と母上と約束をしてきました。
さて、あともう一踏ん張り。と日も暮れかかってなお移動する親子二人。
最後に向かうは京都御苑は蛤御門!

PM5:00。上鴨神社からバスで移動すること30分、府立医大病院前下車。
対面に当たる清和院御門より入ってまっすぐ砂利道を西へ、じゃりじゃり。
拙者などは何度も訪ねたことがある蛤御門。禁門の変の折の激戦地です。
これを母上には見せておきたいと思い連れて行ったのですが、やはり門に残る
弾痕に、母上も目を瞠っていました。また、長州の猛将来島又兵衛の
討死場所といわれる清水谷家のムクの木の処で写真を一枚。。。
撮ったところ…「何か写ってる!?」(゚ん゚;)も、もしや、、、来島さんですか!?

なんて、、、ただの白くなった息が映りこんでしまったもよう。。。だよねっ!?
↑拙者、物の怪やら幽霊やらおどろおどろしたものは苦手でござるっ(TヮT)

そんなわけで、最後に肌に感じる寒さが二割増になりましたが、、、
今回も無事旅程を終えて帰宅。そして早速紐解くお土産の数々!
父上も一緒になって熱中したのが買い込んできた新撰組フィギュア!
精巧なつくりに「凄いな〜凄いな〜」とはしゃぎつつ、出来上がったフィギュア。
が、どうも不自然で「なんか不恰好だなぁ…」と思っていたら
腕や足の向きを反対につけてしまっていたりして、家族でわたわたしながら
全部のフィギュアを組み立てるのに2時間ほど費やし…←アホ。
「まんまと嵌ってしまったな…」と御満悦。後日、さらに20体程買い込み←アホや。
土方さんの黒羽織バージョン以外は揃えましたよっ!!←アホや〜。。。

→で、一体どこに保管しているのか謎な写真ですね〜。実は寿司桶の中っす(笑。


平成十六年 四月七日

先の階段駆け上がり大会から御世話になってます
「京都新撰組町作りの会」よりお誘い頂きまして、
またもや新撰組で出動です(笑。今回は春の全国交通安全運動(^―^)

というわけで、この日は会社は有休をとって(すいませんっ)臨みました。
出動依頼は京都五条署の交通安全パレード。
京都市内の繁華街でパレードを行い、交通事故防止を訴えるというものでした。

が、またしても事前に多くは知らされず、よく分からないままに当日を向かえ、、、
AM11:15。集合は京都烏丸にあります五条署…ということだったのですが、
直接一人で警察署に乗り込むには勇気がなかったので(゚▼゚△←小心者
かねてより毎度お世話になってます龍馬会のひとしさんと待ち合わせて
手前の茶店でコーヒーを引っ掛けてから、いざっ、たーのーもー(小声。

カウンターの方に今日のパレード参加の旨を伝えて案内して頂き、
控え室に向かう道々で警察官と挨拶を交わしつつ、内心では
「うわー、、、警察署入っちゃったよ、、、警察官いっぱいだよ〜」
と、ドキドキするやらハラハラするやら…(゚■゚△
通された控え室(柔道場)にて早々と着替え、
「一体これから何が始まろうとしているんだ…??」ときょときょとしながら、
昼食は五条署の食堂でカレーを頂きました。美味しかったですv

そこで今回ご一緒する方々と改めて顔合わせをさせて頂きました。
平成新選組会の皆様。そして女性オンリーという「新選組ファンクラブ」の皆様。
ここで名古屋から馳せ参じられたファンクラブ会長、美音さんより
アイシングで「誠」と書かれたお手製のクッキーを頂きました。
これまた美味しかったですv ありがとうございます(^ヮ^)v

そんなこんなで、やはり好きな者同士、すぐに意気投合して
新撰組話でもりあがっていれば時間となり、簡単にパレードの趣旨を伺って
段取りなどの打ち合わせをして(掛け声などの練習もして)さぁ出陣です。

って、最初から凄かった。。。何が凄いって、
パレードのスタートが三条河原だというのでそこまで移動したんですが、、、
パトカーやら護送車やらで警察官方々が送って下さいましたよっ(驚!
さすがにサイレンは鳴らされませんでしたが(残念…コラ。
すれ違う車、追い越す車、沿道の人達、皆に振り向かれ……(恥。
「なんか悪いことしてるのかな私達?」「護送されてるしね…」
なんて婦警さんと御話しながら、「そうそうできる体験じゃないよね」
と、行き着いた結論に大満足しながら三条河原まで護送されました(笑。

さて、河原に降り立てば対岸からサクラの花吹雪v そして早速始まる撮影大会!(笑。
パレードを一緒に歩く商店街の方達らも続々と集結。そして一緒に記念撮影v
「これ借り物?」「自前の着物??」と時代衣装(だんだら羽織)に興味津々の皆様。
拙者などは自前でも購入したものですが、参加者の中には自作衣装の方もいて凄かったです。

なんて具合にはしゃいでいるとゾロゾロと集まりだした五条署の額兵隊…
もとい、府警音楽隊。そしてミニスカポリス…(笑)女性のフラッグ隊ですv
先頭は五条署警察隊。そして我ら見廻り隊で隊列が組まれ、
そのまま三条河原でまずはパレードの開会式。
交通課から交通安全と交通事故防止の開会の言葉があり、
音楽隊の演奏に合わせて、さぁ出発です!「応っ!」

三条通りを西へ進み、三条小橋を渡って池田屋跡の前も横切り、
河原町通りを下がって河原町三条交差点で摘発活動を行いました。
我ら見廻り隊は30名程での参加だったのですが、やはり
だんだらは数が揃うと迫力がありますね(゚■゚;ビックリしました。
沿道の人達も一体なんのパレードだか最初は分からなかったようで
「何かの撮影?」「お祭でもあるの?」といった具合で、、、
先頭には「下京中京(しちゅう)見廻り隊 」という横断幕を
掲げていたのですが、洒落です。。。おちゃめな五条警察です。

河原町三条交差点での摘発活動では「交通安全を心掛けてください」、
「交通ルールを守りましょう」などの呼び掛けと一緒に、沿道の方へ
ポケットティッシュをお配りしたのですが、これがビックリ。
配るより先に皆取りに着て下さって。。。そして一緒に写真撮影(笑。
って、京都の人ってカメラいつも常備してるんですか??
また、交通安全運動とは全く関係ない寸劇披露などもあり、
かなり盛り上がりました。皆さんエンターテイナーですねー(゚ヮ゚)

小一時間ほど摘発活動をして、その後河原町通りをさらに下がって
四条通まででて通りを西に向けて進み、烏丸通まで出てパレード終了。
あとはぞろぞろ五条署までテクテクもどり(これも異様な風景でした)
警察署正面で署長さんも一緒に集合写真を記念撮影v
後日、五条署より記念写真を送って頂きました→ありがとうございます!

時間にしてみれば三時間ばかりだったので、このまま終わるには
勿体無い!と、早速仲良くなりましたファンクラブの皆様と一緒に
羽織袴のまま壬生界隈へ繰り出すことに!勢いです勢いっ(0_0;

で、まんまと大はしゃぎ。そしてここでもやっぱり撮影大会です(笑
平日にも関わらず、今年はやはり大河の影響あってか、壬生は今日も
観光客で賑わっていて、団体観光客に捕まって私達アイドル状態でした(汗
「女の新撰組はおらんで〜」なんて言いながらも、
まんざらでもないおじ様達や、「綺麗な隊士や。沖田総司やな?」なんて
総司を「そうし」と呼ばれたことで年代が分かってしまう奥様方と一緒に
「旅の思い出になれば幸いです〜」と、あっちでもこっちでも記念撮影。
なかなか楽しかったですよ(笑

そして今日は、とある方からの紹介で前川邸へ御邪魔させて頂きました。
前川邸は一般公開されていないので、この巡察での報告の許可は頂きました。
御主人が蔵を案内して下さいましたので、覚えているだけ綴りますね!

前川邸の蔵、といえば。御存知、古高俊太郎の拷問蔵です。が、
屋敷内に蔵は二つあります。南手が天保八年、東手が天保十年に
作られたもので、古高俊太郎拷問の蔵は天保十年に作られた方。
共に扉の上や瓦などに三重の輪が見られますが、これは
前川家公用の紋ということで、家紋と併用されたものだそうです。
さてさて、重く分厚い三重の扉を開けて頂きました古高蔵(略)。
今も当時のまま土壁の蔵が残されています。
ただ残念ながら、ご主人に伺いましたところ、蔵の支柱すべてが
シロアリにやられてしまい、また地盤が傾いてきているということで
蔵を残す為に、先頃大掛かりな修復工事をされたとのことです。
なので丸々当時のものというわけではありませんが、
それでも往時を偲ばせるそこここを拝見させて頂きました。

修復されて内部は綺麗に仕上げられたものでしたが、
いきなり床板を剥がし始める御主人。「???」と覗き込めば、
そこには床下に掘られた深さ1.7m 程の溝。
入り口の方まで横に2m 位同じように溝が掘られているのですが、
どうも、重い千両箱なんかを出し入れし易いように造られた物
ということで、金蔵にはよくある構造だそうです。

そして次に紹介して頂いたのが寸分の隙もない階段箪笥
よくよく見ないと気付かないしっくい型の鍵も開け閉め
させて頂きましたが、この階段箪笥は当時のものということで、
今でもつっかえなく開閉できるひきだしには匠の技を見せられました。

では、いよいよ二階へ参ります。
頭上に気を付けながら階段箪笥を上り詰めましたら
わりと高い天井に滑車が引っ掛けられ縄が垂らされてあります。
よく資料で見てます例の光景がそこにありました(゚―゚;本物だ

この滑車。例の拷問では古高さんを宙吊りにするのに
使われたものですが、当然本来の目的は蔵の荷降ろし用。
なので、滑車のある下の床板は、横に張られた梁に
置かれているだけで取り外し可能な仕組みになっています。
ここでご主人、粋な計らいにも床板をまんまと外して下さいました。
どんどん情景が当時とシンクロしていってドキドキしました〜(゚―゚;

今回は残念ながら、丁度新撰組展が催されていて所蔵の
「近藤落書きの雨戸」であったり「刀傷の出窓枠」であったりが
出張中で直に見せて頂くのはまた次回ということだったのですが、
一般に未公開の場所を見せて頂けたこの幸運には大感謝です。

さて、感動も一入のところ本日最後の〆とばかりに
パレード参加者一同で打ち上げに参加してきました。
所は大宮駅北にあります、新撰組ファン出入りの屯所。
御座敷を借りて新撰組のように(?)ドンチャン騒ぎしてきました。
またの機会を楽しみに、今回も御疲れ様でしたー!!



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