※城巡りの際の詳しい情報ページは準備中 
夏休みということもあって、里帰りという遠出の機会を利用して遠方巡察です★
行ってきましたのは越前は丸岡、遠江は浜松、三河は岡崎、播磨は姫路へ★
里帰りの第一目的は祖父の墓参りだったので、
まず越前福井では永平寺まで行ってきました★
(↑分骨しているので毎年御参りは永平寺なのです)
あいにく台風の時期と重なってしまい…
天気は芳しくありませんでした(ー▼ー)
その分観光客(参拝客)も少ないだろうと踏んでいたのですが…
さすが曹洞宗の大本山なだけあって人は多かったです…★
永平寺へは北陸自動車道の福井北IC.から車で15分程度★
…が結構山奥にあるバカデカイ山寺です…★
山の斜面に築かれてあるので自然と建物には急で長い階段だらけ…
高齢者には不親切な建物です…
(参拝客は高齢者が多いので気の毒なくらい…)
しかし景観は最高(^▼^)
周囲が山なので一番上まで上り詰めたら
パノラマで景観を楽しむことができます★
また景観の他に、この建物を観察すると面白いです★
とにかく階段が多いのですが、
階段脇に視線を送るとこんなものが所々穿たれています⇒
何だかわかりますか?
修行僧の一人を捕まえて伺ってみたところ
これ、通気口らしいです★
立地条件から湿気の多い場所らしく永平寺は木造なので
建物を腐らせない様、至る所にこういった通気口を設けているのだとか★
あと面白いのはゴミ箱★ “御美箱”と表示されてあります★
はじめ何て読むんだか判らなくて中覗いてやっと合点したのでした…(ー▼ー;)>
(他にも面白い物・部屋がいっぱいv 訪れた際にはcheckしてみてv)
永平寺で一通り参拝しましたら帰り際には“ごまどうふ”の御土産を★
永平寺の修行僧も食する精進料理の代表格として賞賛されているものですね★
今回…拙者、販売所と勘違いして大本山永平寺御用達のごまどうふ製造所に
ずうずうしくも直撃訪問してしまいました…(+◆+)きゃぁぁ恥っ★
が、製造所の方は快くごまどうふを売って下さいました(受付窓口から…)
そんな御馬鹿なことをしつつ…
旅館に向うべく山から海へと車を走らせること二時間…
(ばっちり地図を見ていたにもかかわらず市中で迷子になり…
途中区役所の方、三人掛りで道を教えてもらいました(謝)
丸岡藩城下町を抜けて日本海へ★
…台風の影響が日本海まで及んでいるのか海は大シケ…
旅館の人も「まるで冬の日本海ですよ」という位、高波が酷い状態…★
次の日の天気を心配するも翌日は快晴★
息巻いて丸岡藩砲台址へと足を運びました(^▼^)
…何やら想像していた砲台址とは違い、えらく貧相な代物でした★
大砲そのものは残されてはいなかったのですが、
小さな石垣を築いた幾つかの砲台址が一箇所に集中してありました★
「ほぉ、昔はここから海防を果たしていたのねぇ?」と感慨にふけりつつ
砲台門から海を伺ったのですが…思わず感動しました…(゚o゚)
海が素敵だったこともあるのですが、こうやって見たら
昔、丸岡藩士もこうやって海を見たのだろうなぁ…と★
幕末、黒船来航の折に他藩でもこんな風に
砲台から海を眺めたのかなぁ…なんて★
丸岡藩についての知識は乏しい拙者なので詳しくは分かりませんが、
「我が藩を、日本国を守るぞ!」という気概が
そこに残されているような感じがしました★
そして次に足を向けたのは東尋坊★
砲台址からは海岸線を南下すれば車で10分程度★
東尋坊といったら断崖絶壁で有名な観光名所ですよ★
…も一つオマケに身投げの名所でもあります…(ー◆ー;) ご〜ん…★
そもそも東尋坊という名前の由来からして悲劇な場所ですからね★
■ 東尋坊伝説
昔、勝山の平泉寺に東尋坊という憎まれものの僧がいて、
あや姫という美 しい娘に思いを寄せておりました。
が、同じ寺に真柄覚念という寺侍がおり、
彼 もまた姫を好いていた為に、二人は犬猿の仲でした。
ある日、覚念は酒宴に東尋坊を誘い出し、
酒に酔わせて大海へ突き落としてしまいました。
その日が寿永元年の四月五日だったということで、
以来、旧暦四月五日にな ると東尋坊の怨霊が荒れ狂い
海は大シケになったそうです。
その後、幾十年か歳月が流れたある日、
諸国行脚の偉い坊さまがやってきて東尋坊を哀れみ、
“沈む身のうき名をかえよ法の道 西を尋ねて浮かべ後の世”と
供養の歌を海 に流してからは、怨霊もとけてシケも無くなったということです。
…といった具合に、東尋坊そのものは悲劇な坊さんの名前なのですよ★
…訪れたこの日、観光ガイドのお話を集団に混じって聞いていたのですが
なにやらつい三日前に今年十三人目の身投げがあったとかで…(ー▲ー;) え゛?
昨日大シケだった余波があるようで風がものずごく強く、
東尋坊目玉の断崖絶壁を写真に収めようにも足がすくんで身動きできず…
手前でパチッと撮るのがやっとでした…(マジ足取られそうで怖かったです…)
東尋坊と斜向かいになっている断崖には
大きな空洞がいくつも見受けられました★
中にまで入っていけるのかしら?
ちょっとした洞窟っぽくなってるみたいですよ★
海から次は昨日とは逆に城下町へと繰り出し、
丸岡城へ行ってきました★
地元の人には「あんな古臭いお城、見てどうするの?」と
尋ね返されてしまったのですが…
丸岡城!これは一見の価値ありですよ!!
なんせ丸岡城は現存する天守閣の中で最も古い建築★
昭和二十三年の福井大震災で倒壊するも重文指定された
昔の趣がぷんぷんなお城なのです★
※丸岡城について詳しくはこちら ⇒ click here ★ 
丸岡城は柴田勝家の甥、勝豊が築いた城で“霞ヶ城”の別名を持ち、
戦国時代には難攻不落の城として其の名を広く轟かせた名城★
城がある霞ヶ城公園には約四百本の吉野桜が植えられています★
残念ながら夏の訪問だったので桜花は拝めなかったのですが…
(代わりに毛虫の熱烈歓迎をうけましたよ…ぎゃぁぁぁぁぁっ!!)
桜の名所百選にも選ばれているので、
春には最高な御花見ができるでしょうね★
天守閣の足元には歴史民俗資料館もあります★
丸岡藩にまつわる品々や当時の遺品(武器・鎧・絵巻物 etc.)が展示されています★
他のお城では天守閣内にそういった品々が展示されていますが
丸岡城は木造な上、小規模なので天守閣内には展示品は少ないです★
天守閣に上る為に購入するチケットでこちらも見学可能なので
訪れた際には是非足を向けてみては如何でしょう(^〜^)
次に訪れたのは全く毛色を異にして福井県立恐竜博物館へ★
山越えして416号線をひたすら一時間…
銀色のでっかいドームが見えてきたら
道のあっちこっちで恐竜が御出迎えしてくれました★
山奥にまぁよくこれだけの博物館を造ったものだなぁ…とあきれるくらい★
中に入ってビックリ…いきなり地下まで誘導されて
地下三階から見て上がって来るという造り★
まさに地層から遺跡を発見して年代順に辿って来るといった趣向(゚o゚)

父上の提案で行ってきたのですが
拙者もドキドキして楽しんできました★
この近郊で発掘された化石も展示されていました★
(現在も発掘中とか)
…が、よくよく見てみれば輸入したものが殆ど…
少々御間抜けな感じ?
それでもやはり恐竜の骨格標本は
直に見ると大迫力ですね!
特にT−レックスには感動っ★
そうそう、御土産物屋さんも館内にあって、
小さい貝の化石やプラモデルみたいな
恐竜の骨格標本なんかも売ってました★
中には本物の(小さいものだけど)恐竜の化石も組み立てたものが!
小学生たちが欲しそうにしていました…値段? ●万円単位ですよっ★

興奮冷めぬまま元来た道を戻って、越前竹人形の里へ★
ここは観光客の御土産処ですね★
駐車場も大きいので観光バスが何台も停まってました(^_^)
建物の外は竹林が生い茂っており、
馬くらいの大きな竹人形が駐車場に据えられています★

店内も賑やかなもので、竹細工のオンパレード★
笹団子や竹の筒に入った葛きりといった食べ物も置いてありました★
拙者は面白そうだったので竹酢液配合洗顔石鹸なんてものを購入★
竹細工の一輪挿も欲しかったけど…御値段高めの為断念(T▼T)る〜♪
続いて御土産処へ寄り道したのが、和紙の里会館★
北陸自動車道で武生IC.に出てから車で10分程度★
(本当はもう10分掛けて小丸城跡へ行きたかったのですが…
旅仲間の多数決でこちらに行くことに…悔しひっ(>■<)

一つの通りに面して和紙の御土産屋さんや
紙すきの作業工程を見せてもらえる館、博物館が立ち並んでおり、
実際に紙の原料になる“コウゾ”や“ミツマタ”を手に取って見ることが出来ました★
和紙も色々な使い方があるようで、物によっては鞄や服にも利用されるのですね★
和紙で作られた行燈が魅力的でした(>▼<)…が御値段高めの為、
生き方十訓を綴ってある巻物で手を打ちました+他、便箋・栞等★

そんな具合に御土産買占めの時間を過ごし越前を後にしました★
日も改めてから次に参りましたのは遠江の国、浜松でありますっ★
浜松っといえばっ徳川家康公(/^▼^)/
浜松城★ 行ってきましたよ!
※浜松城について詳しくはこちら ⇒ click here ★ 
武田信玄との三方ヶ原の合戦で有名な
三方ヶ原台地はすでにコンクリートジャングル★
本当にここで戦があったのか?と思うような街中の国道を抜け、
浜松城公園の広い敷地の一角に浜松城天守閣があります★
…浜松城公園へは国道沿いに進めば辿り着けるのですがっ
駐車場を探すのに手間取り、公園の周りをぐるぐるすること三周…
公園北側の派出所で駐車場を教えてもらいました★
(地図頂けました←迷う人多いらしい…)
しかしラッキーだったのは拝観料無料で天守閣に上れたこと(/^▼^)」
どうも尋ねた日は“県民の日”だとかで無料拝観日だったんですよっ★
家康公の御導きねっなどと勝手にこじつけてバシバシ写真撮ってきました★
が、天守閣の足元にある家康像を写真撮影する時は恐怖でした…
この季節故か…血に餓えた薮蚊が熱烈歓迎してくれましてっ(T◆T)
家康像の写真を二枚撮る間に両足で計八カ所も食われました…
父上も拙者位の頃、城巡りで浜松城は訪れていたらしいのですが
昔は浜松城公園内に動物園があったそうです★
丁度、今は中央芝生広場になっているあたりにあったとか★
そこにも時の移り変わりを見た思いでしたよ★
そして天守閣に上って一望した三方ヶ原台地★
三方ヶ原の合戦場となった台地なのですが…
ここから肉眼でとらえられる位置まで
武田信玄が繰り出してきていたのですよねぇ…
これは怖いぞっ(+■+) 本当に目と鼻の先なのですからっ★
一度上って実際に見てみれば実感できますよ★
で!続けて登城しましたのは三河は岡崎の岡崎城★
家康繋がりですな(^_^)
(別に家康繋がりを計った訳ではなく…MAPを眺めながら
東名自動車道を西へ向っていたら
岡崎IC.から岡崎城が近かったので…)
「行ってみるか〜(゚〜゚)」 と行き当りばったりで…
※岡崎城について詳しくはこちら ⇒ click here ★ 
家康繋がりというのも、天分十一年に
岡崎城内で家康は生まれたのです★
浜松城へ本拠を移転したのは元亀元年、家康三十路位のこと★
岡崎城天守閣の周囲には、当時の堀がそれとなく残っています★
が、その堀の深さには驚かされました…
水が張られていないので草木茫々な状態なのですが…
底が深くて恐ろしかったです(+◆+)
しかし、毎度城廻をして堀を見掛けると観察してしまいます★
堀とは守りの城に穿たれるものなのなのは御存知ですよね★
また一様に城と堀はセットといった感覚ですよね?
だから昔は、京の都に赴いた武士は一様に驚いたといいます★
王城の都、京の御所には堀が無いのですから★
これはつまり、誰にも侵略されることの無い絶対の権力を現しているのです★
言わば堀は外敵に対して侵略されるという恐れから造られたものだからです★
上等かつ立派な堀を抱える城はそれだけ外敵を恐れているということ★
だから戦国期に建てられた城の堀は上等なものだったと思います★
それを思うと丸岡城に堀の跡が見れなかったのが残念至極っ(T■T)
難攻不落の城というくらいの立地条件をもっと観察したかった〜★
で、岡崎城天守閣ですが、五階の展望室まで上ると三河平野を一望できます★
江戸幕府が開かれてからは東海道が城下に引き入れられて伝馬町ができ、
岡崎は東海道有数の宿場町として繁栄した町です★
天守閣内の展示品にはその宿場町の名残品が多く展示されていました(^〜^)
と、まぁ〜わたわたと行き当りばったりながら城巡りをしていたら…
当初予定していた彦根城に行きそびれてしまいました…(T◆T) ちょ〜ん…
(丁度、先頃『井伊直弼』を読んだばかりだったので楽しみにしていたのですが…)
仕方ないので日を改めてから姫路城へ登城することにしました★
(色々と用事のあった場所からついでとして城巡りをしていたので彦根までっ)
彦根城といえば日本を代表する
最も完成された城郭建築ですよ★
それも長い歴史の中で一度も
戦や火災に巻き込まれること無く
保存・整備されてきた城なのですっ★
世界大戦でも壊れなかったんですよ!
※姫路城について詳しくはこちら
⇒ click here ★ 
…というのも、大戦時には彦根城も
兵の駐屯所とされたそうなのですが
カモフラージュして
「ここには何もありませんよ〜」的に
敵を誤魔化し爆撃をやり過ごしたのだとか★
(本当にばれていなかったのだろうか…
京都同様御情けだったのでは?)
とはいえ、彦根城は日本を代表するなりの城郭様式であります★
他の城のほとんどは天守閣や石垣、堀を残すのに留まっているのに対し、
彦根城は天守閣をはじめとして二の丸、西の丸といった建築物を
形に留めていることにより城郭規模も大きく「これぞ城じゃ!」といった風合★
しっかし天守閣だけでも外観五層、内部地上六階・地下一階★
見応え抜群ですよ★ …その分上がったり下ったりと階段は少々キツメ…
その他にも二の丸・西の丸、壁や石垣、井戸に門に柱にと見るとこは尽きず…
一応モデルコースや見学所要時間約一時間半といった目安があったのですが…
拙者は駐車場の位置から“との四門”東門登閣口の搦手から入っていったので
モデルコースに沿うこともかなわず…(ちゃんと正門登閣口から入りましょう)
なんと全部見終わって出てこれたのは入ってから二時間半後…(+◆+)
しかも城内ばかりか堀などもふらふら見廻っていたので
三時間は有しました★ …つ、疲れたよ〜(+◆+;)
で! 堀でビックリ! 父上が静かに来い×2と手招きする先には!
体長一メートル五十は裕にあろうかというでっかい鯉を発見★
父上は興奮のあまり堀に落ちそうになっていたのですが、
そんな馬鹿デカイ鯉が大群をなして目の前を横切っていったのには
思わずシャッターを切らざるを得ませんでした…衝撃的写真⇒
「ちっ、手元に竿があればっ」←口惜しがる親子の姿がそこに…
(堀で魚釣りは禁止?)
(どうでもいい余談なのですが…あまりにもこの大きな鯉のインパクトが激しかったせいか、
この夜、馬鹿デカイ鯉に丸呑みにされる夢を見ました…こっ怖かったよ〜〜〜(/T■T)/)
そんなこんなで一週間に渡る遠方巡察の旅でした<(^▼^;) ふい〜★
今回は父上に散々御尽力頂きました★
娘の巡察(我侭)に付き合ってくれてありがとうっ父上っ★
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