巡察

平成十四年 八月十八〜二十四日
※城巡りの際の詳しい情報ページは準備中もうちょっと待って下さ〜いっ(せっせ×2)

夏休みということもあって、里帰りという遠出の機会を利用して遠方巡察です★
行ってきましたのは越前は丸岡、遠江は浜松、三河は岡崎、播磨は姫路へ★

里帰りの第一目的は祖父の墓参りだったので、
まず越前福井では永平寺まで行ってきました★
(↑分骨しているので毎年御参りは永平寺なのです)
あいにく台風の時期と重なってしまい…
天気は芳しくありませんでした(ー▼ー)
その分観光客(参拝客)も少ないだろうと踏んでいたのですが…
さすが曹洞宗の大本山なだけあって人は多かったです…★

永平寺へは北陸自動車道の福井北IC.から車で15分程度★
…が結構山奥にあるバカデカイ山寺です…★
山の斜面に築かれてあるので自然と建物には急で長い階段だらけ…
高齢者には不親切な建物です…
(参拝客は高齢者が多いので気の毒なくらい…)
しかし景観は最高(^▼^)
周囲が山なので一番上まで上り詰めたら
パノラマで景観を楽しむことができます★

また景観の他に、この建物を観察すると面白いです★
とにかく階段が多いのですが、
階段脇に視線を送るとこんなものが所々穿たれています⇒
何だかわかりますか?
修行僧の一人を捕まえて伺ってみたところ
これ、通気口らしいです★
立地条件から湿気の多い場所らしく永平寺は木造なので
建物を腐らせない様、至る所にこういった通気口を設けているのだとか★

あと面白いのはゴミ箱★ “御美箱”と表示されてあります★
はじめ何て読むんだか判らなくて中覗いてやっと合点したのでした…(ー▼ー;)>
(他にも面白い物・部屋がいっぱいv 訪れた際にはcheckしてみてv)

永平寺で一通り参拝しましたら帰り際には“ごまどうふ”の御土産を★
永平寺の修行僧も食する精進料理の代表格として賞賛されているものですね★
今回…拙者、販売所と勘違いして大本山永平寺御用達のごまどうふ製造所に
ずうずうしくも直撃訪問してしまいました…(+◆+)きゃぁぁ恥っ★
が、製造所の方は快くごまどうふを売って下さいました(受付窓口から…)

そんな御馬鹿なことをしつつ…
旅館に向うべく山から海へと車を走らせること二時間…
(ばっちり地図を見ていたにもかかわらず市中で迷子になり…
途中区役所の方、三人掛りで道を教えてもらいました(謝)
丸岡藩城下町を抜けて日本海へ★
…台風の影響が日本海まで及んでいるのか海は大シケ…
旅館の人も「まるで冬の日本海ですよ」という位、高波が酷い状態…★
次の日の天気を心配するも翌日は快晴★
息巻いて丸岡藩砲台址へと足を運びました(^▼^)

…何やら想像していた砲台址とは違い、えらく貧相な代物でした★
大砲そのものは残されてはいなかったのですが、
小さな石垣を築いた幾つかの砲台址が一箇所に集中してありました★
「ほぉ、昔はここから海防を果たしていたのねぇ?」と感慨にふけりつつ
砲台門から海を伺ったのですが…思わず感動しました…(゚o゚)

海が素敵だったこともあるのですが、こうやって見たら
昔、丸岡藩士もこうやって海を見たのだろうなぁ…と★
幕末、黒船来航の折に他藩でもこんな風に
砲台から海を眺めたのかなぁ…なんて★
丸岡藩についての知識は乏しい拙者なので詳しくは分かりませんが、
「我が藩を、日本国を守るぞ!」という気概が
そこに残されているような感じがしました★

そして次に足を向けたのは東尋坊★
砲台址からは海岸線を南下すれば車で10分程度★
東尋坊といったら断崖絶壁で有名な観光名所ですよ★
…も一つオマケに身投げの名所でもあります…(ー◆ー;) ご〜ん…★
そもそも東尋坊という名前の由来からして悲劇な場所ですからね★

■ 東尋坊伝説

昔、勝山の平泉寺に東尋坊という憎まれものの僧がいて、
あや姫という美 しい娘に思いを寄せておりました。
が、同じ寺に真柄覚念という寺侍がおり、
彼 もまた姫を好いていた為に、二人は犬猿の仲でした。
ある日、覚念は酒宴に東尋坊を誘い出し、
酒に酔わせて大海へ突き落としてしまいました。
その日が寿永元年の四月五日だったということで、
以来、旧暦四月五日にな ると東尋坊の怨霊が荒れ狂い
海は大シケになったそうです。
その後、幾十年か歳月が流れたある日、
諸国行脚の偉い坊さまがやってきて東尋坊を哀れみ、
“沈む身のうき名をかえよ法の道 西を尋ねて浮かべ後の世”と
供養の歌を海 に流してからは、怨霊もとけてシケも無くなったということです。

…といった具合に、東尋坊そのものは悲劇な坊さんの名前なのですよ★
…訪れたこの日、観光ガイドのお話を集団に混じって聞いていたのですが
なにやらつい三日前に今年十三人目の身投げがあったとかで…(ー▲ー;) え゛?
昨日大シケだった余波があるようで風がものずごく強く、
東尋坊目玉の断崖絶壁を写真に収めようにも足がすくんで身動きできず…
手前でパチッと撮るのがやっとでした…(マジ足取られそうで怖かったです…)

東尋坊と斜向かいになっている断崖には
大きな空洞がいくつも見受けられました★
中にまで入っていけるのかしら?
ちょっとした洞窟っぽくなってるみたいですよ★

海から次は昨日とは逆に城下町へと繰り出し、
丸岡城へ行ってきました★
地元の人には「あんな古臭いお城、見てどうするの?」と
尋ね返されてしまったのですが…
丸岡城!これは一見の価値ありですよ!!
なんせ丸岡城は現存する天守閣の中で最も古い建築★
昭和二十三年の福井大震災で倒壊するも重文指定された
昔の趣がぷんぷんなお城なのです★

※丸岡城について詳しくはこちら ⇒ click here ★ もうちょっと待って下さ〜いっ(せっせ×2)

丸岡城は柴田勝家の甥、勝豊が築いた城で“霞ヶ城”の別名を持ち、
戦国時代には難攻不落の城として其の名を広く轟かせた名城★
城がある霞ヶ城公園には約四百本の吉野桜が植えられています★
残念ながら夏の訪問だったので桜花は拝めなかったのですが…
(代わりに毛虫の熱烈歓迎をうけましたよ…ぎゃぁぁぁぁぁっ!!)
桜の名所百選にも選ばれているので、
春には最高な御花見ができるでしょうね★

天守閣の足元には歴史民俗資料館もあります★
丸岡藩にまつわる品々や当時の遺品(武器・鎧・絵巻物 etc.)が展示されています★
他のお城では天守閣内にそういった品々が展示されていますが
丸岡城は木造な上、小規模なので天守閣内には展示品は少ないです★
天守閣に上る為に購入するチケットでこちらも見学可能なので
訪れた際には是非足を向けてみては如何でしょう(^〜^)

次に訪れたのは全く毛色を異にして福井県立恐竜博物館へ★
山越えして416号線をひたすら一時間…
銀色のでっかいドームが見えてきたら
道のあっちこっちで恐竜が御出迎えしてくれました★

山奥にまぁよくこれだけの博物館を造ったものだなぁ…とあきれるくらい★
中に入ってビックリ…いきなり地下まで誘導されて
地下三階から見て上がって来るという造り★
まさに地層から遺跡を発見して年代順に辿って来るといった趣向(゚o゚)

 

父上の提案で行ってきたのですが
拙者もドキドキして楽しんできました★
この近郊で発掘された化石も展示されていました★
(現在も発掘中とか)
…が、よくよく見てみれば輸入したものが殆ど…
少々御間抜けな感じ?
それでもやはり恐竜の骨格標本は
直に見ると大迫力ですね!
特にT−レックスには感動っ★

そうそう、御土産物屋さんも館内にあって、
小さい貝の化石やプラモデルみたいな
恐竜の骨格標本なんかも売ってました★
中には本物の(小さいものだけど)恐竜の化石も組み立てたものが!
小学生たちが欲しそうにしていました…値段? ●万円単位ですよっ★




興奮冷めぬまま元来た道を戻って、越前竹人形の里へ★
ここは観光客の御土産処ですね★
駐車場も大きいので観光バスが何台も停まってました(^_^)
建物の外は竹林が生い茂っており、
馬くらいの大きな竹人形が駐車場に据えられています★

店内も賑やかなもので、竹細工のオンパレード★
笹団子や竹の筒に入った葛きりといった食べ物も置いてありました★
拙者は面白そうだったので竹酢液配合洗顔石鹸なんてものを購入★
竹細工の一輪挿も欲しかったけど…御値段高めの為断念(T▼T)る〜♪

続いて御土産処へ寄り道したのが、和紙の里会館★
北陸自動車道で武生IC.に出てから車で10分程度★
(本当はもう10分掛けて小丸城跡へ行きたかったのですが…
旅仲間の多数決でこちらに行くことに…悔しひっ(>■<)

  

  










一つの通りに面して和紙の御土産屋さんや
紙すきの作業工程を見せてもらえる館、博物館が立ち並んでおり、
実際に紙の原料になる“コウゾ”や“ミツマタ”を手に取って見ることが出来ました★
和紙も色々な使い方があるようで、物によっては鞄や服にも利用されるのですね★
和紙で作られた行燈が魅力的でした(>▼<)…が御値段高めの為、
生き方十訓を綴ってある巻物で手を打ちました+他、便箋・栞等★

そんな具合に御土産買占めの時間を過ごし越前を後にしました★
日も改めてから次に参りましたのは遠江の国、浜松でありますっ★
浜松っといえばっ徳川家康公(/^▼^)/
浜松城★ 行ってきましたよ!

※浜松城について詳しくはこちら ⇒ click here ★ もうちょっと待って下さ〜いっ(せっせ×2)

武田信玄との三方ヶ原の合戦で有名な
三方ヶ原台地はすでにコンクリートジャングル★
本当にここで戦があったのか?と思うような街中の国道を抜け、
浜松城公園の広い敷地の一角に浜松城天守閣があります★
…浜松城公園へは国道沿いに進めば辿り着けるのですがっ
駐車場を探すのに手間取り、公園の周りをぐるぐるすること三周…
公園北側の派出所で駐車場を教えてもらいました★
(地図頂けました←迷う人多いらしい…)


しかしラッキーだったのは拝観料無料で天守閣に上れたこと(/^▼^)」
どうも尋ねた日は“県民の日”だとかで無料拝観日だったんですよっ★
家康公の御導きねっなどと勝手にこじつけてバシバシ写真撮ってきました★
が、天守閣の足元にある家康像を写真撮影する時は恐怖でした…
この季節故か…血に餓えた薮蚊が熱烈歓迎してくれましてっ(T◆T)
家康像の写真を二枚撮る間に両足で計八カ所も食われました…

父上も拙者位の頃、城巡りで浜松城は訪れていたらしいのですが
昔は浜松城公園内に動物園があったそうです★
丁度、今は中央芝生広場になっているあたりにあったとか★
そこにも時の移り変わりを見た思いでしたよ★

そして天守閣に上って一望した三方ヶ原台地★
三方ヶ原の合戦場となった台地なのですが…
  ここから肉眼でとらえられる位置まで
武田信玄が繰り出してきていたのですよねぇ…
これは怖いぞっ(+■+) 本当に目と鼻の先なのですからっ★
一度上って実際に見てみれば実感できますよ★

で!続けて登城しましたのは三河は岡崎の岡崎城★
家康繋がりですな(^_^)
(別に家康繋がりを計った訳ではなく…MAPを眺めながら
東名自動車道を西へ向っていたら
岡崎IC.から岡崎城が近かったので…)
「行ってみるか〜(゚〜゚)」 と行き当りばったりで…

※岡崎城について詳しくはこちら ⇒ click here ★ もうちょっと待って下さ〜いっ(せっせ×2)

家康繋がりというのも、天分十一年に
岡崎城内で家康は生まれたのです★
浜松城へ本拠を移転したのは元亀元年、家康三十路位のこと★
岡崎城天守閣の周囲には、当時の堀がそれとなく残っています★
が、その堀の深さには驚かされました…
水が張られていないので草木茫々な状態なのですが…
底が深くて恐ろしかったです(+◆+)

しかし、毎度城廻をして堀を見掛けると観察してしまいます★
堀とは守りの城に穿たれるものなのなのは御存知ですよね★
また一様に城と堀はセットといった感覚ですよね?
だから昔は、京の都に赴いた武士は一様に驚いたといいます★
王城の都、京の御所には堀が無いのですから★
これはつまり、誰にも侵略されることの無い絶対の権力を現しているのです★
言わば堀は外敵に対して侵略されるという恐れから造られたものだからです★
上等かつ立派な堀を抱える城はそれだけ外敵を恐れているということ★

だから戦国期に建てられた城の堀は上等なものだったと思います★
それを思うと丸岡城に堀の跡が見れなかったのが残念至極っ(T■T)
難攻不落の城というくらいの立地条件をもっと観察したかった〜★

で、岡崎城天守閣ですが、五階の展望室まで上ると三河平野を一望できます★
江戸幕府が開かれてからは東海道が城下に引き入れられて伝馬町ができ、
岡崎は東海道有数の宿場町として繁栄した町です★
天守閣内の展示品にはその宿場町の名残品が多く展示されていました(^〜^)

と、まぁ〜わたわたと行き当りばったりながら城巡りをしていたら…
当初予定していた彦根城に行きそびれてしまいました…(T◆T) ちょ〜ん…
(丁度、先頃『井伊直弼』を読んだばかりだったので楽しみにしていたのですが…)
仕方ないので日を改めてから姫路城へ登城することにしました★
(色々と用事のあった場所からついでとして城巡りをしていたので彦根までっ)

彦根城といえば日本を代表する
最も完成された城郭建築ですよ★
それも長い歴史の中で一度も
戦や火災に巻き込まれること無く
保存・整備されてきた城なのですっ★
世界大戦でも壊れなかったんですよ!

※姫路城について詳しくはこちら
 ⇒ click here ★ もうちょっと待って下さ〜いっ(せっせ×2)

…というのも、大戦時には彦根城も
兵の駐屯所とされたそうなのですが
カモフラージュして
「ここには何もありませんよ〜」的に
敵を誤魔化し爆撃をやり過ごしたのだとか★
(本当にばれていなかったのだろうか…
京都同様御情けだったのでは?)

とはいえ、彦根城は日本を代表するなりの城郭様式であります★
他の城のほとんどは天守閣や石垣、堀を残すのに留まっているのに対し、
彦根城は天守閣をはじめとして二の丸、西の丸といった建築物を
形に留めていることにより城郭規模も大きく「これぞ城じゃ!」といった風合★

しっかし天守閣だけでも外観五層、内部地上六階・地下一階★
見応え抜群ですよ★ …その分上がったり下ったりと階段は少々キツメ…
その他にも二の丸・西の丸、壁や石垣、井戸に門に柱にと見るとこは尽きず…
一応モデルコースや見学所要時間約一時間半といった目安があったのですが…
拙者は駐車場の位置から“との四門”東門登閣口の搦手から入っていったので
モデルコースに沿うこともかなわず…(ちゃんと正門登閣口から入りましょう)
なんと全部見終わって出てこれたのは入ってから二時間半後…(+◆+)

しかも城内ばかりか堀などもふらふら見廻っていたので
三時間は有しました★ …つ、疲れたよ〜(+◆+;)
で! 堀でビックリ! 父上が静かに来い×2と手招きする先には!
体長一メートル五十は裕にあろうかというでっかい鯉を発見★
父上は興奮のあまり堀に落ちそうになっていたのですが、
そんな馬鹿デカイ鯉が大群をなして目の前を横切っていったのには
思わずシャッターを切らざるを得ませんでした…衝撃的写真⇒
「ちっ、手元に竿があればっ」←口惜しがる親子の姿がそこに…
(堀で魚釣りは禁止?)

(どうでもいい余談なのですが…あまりにもこの大きな鯉のインパクトが激しかったせいか、
この夜、馬鹿デカイ鯉に丸呑みにされる夢を見ました…こっ怖かったよ〜〜〜(/T■T)/)

そんなこんなで一週間に渡る遠方巡察の旅でした<(^▼^;) ふい〜★
今回は父上に散々御尽力頂きました★
娘の巡察(我侭)に付き合ってくれてありがとうっ父上っ★


平成十四年 十一月三日

三ヶ月ぶりの京都巡察☆ やっぱり京都は素敵♪
別に何もなくても京都の街にいるだけで空気が違うんです★
「嗚呼…千年の都、京都〜♪」と胸が躍りっぱなしです★

さて、今回の巡察は拙者と先輩隊士二人に民間人(笑)一人という
四人連れ立っての行動だったので史跡巡りもそこそこに、
甘味処・鍵善へ葛きりを食べに行きました♪

まだ時期的に紅葉には早い京都だったのですが、
観光客の多さはあいかわらずでした( ̄▼ ̄;)
鍵善に辿り着くまでも人ごみに揉まれ、
辿り着けば辿り着いたでお客さんの長蛇の列。。。
それでも30分待って席に着けたのは幸運でした★
オーダーストップに間に合って好かったよ〜。。。

拙者と民間人の友人は黒、先輩隊士方は白で注文★
色は蜜の色のことね(^ x ^)
待つこと数分。来た来た来た来た来ましたよ〜vvv
でんっでんっででんっ!!
四つも並ぶと机にいっぱい×2です★

拙者は食べる時、御椀の黒蜜に映った
自分の顔を覗くのが好きです♪
だってすっごく幸せそうなんですものv
黒蜜は黒砂糖の濃厚な蜜で、
まったり好きな方にお勧めですよ★
白蜜も交換して食べさせてもらったのですが、
こちらはしつこくない甘さでスッキリ味★

「総司は確か黒蜜派だったよね〜」

「16杯半、食べますか?」

某新撰組の漫画読者なら「ははん♪」と思われることでしょう★
彼が16杯半を完食したという、ここの葛きり★
1杯でも相当お腹がふくれるものですが…16杯半。。。
完食したら伝説になることでしょう。。。葛きり伝説。。。
ということで先輩が伝説に挑戦っ!!(冗談)
せいぜい一杯半がやっとでしたよ私達(^_^)>
一杯じゃないんだ。。。

こちらの葛きりは吉野の本葛を使用されている
とのことですが、吉野葛とは
吉野(奈良県)で産する上等葛粉★
葛の葉は家畜の餌とされるので
葛粉になるのはその根の部分です★
で、この葛の薬効って皆さんご存知でしょうか?
葛根湯は初期の風邪に効きますし、
葛湯は下痢止めになるんですよ★
←意外に知られてませんよね?
しかも葛きりは宿酔(いわゆる二日酔)を
覚ますのに効果があるんです★

で、感覚的に葛って平安時代の頃から食されていたように
思っていたのですが、(無知って怖い)
なんと採集にあたったのは江戸時代のこと★
上記の葛根の滋養と薬効分を知って最初に採集したのは
元和二年(1616)大和(奈良県)の農夫、与右衛門さん★
だから吉野葛は古く「与右衛門葛」と呼ばれていたんですって★

大変美味しく頂いて、葛についてマメ知識を得たら
帰り垳には御土産を購入してゆきましょう♪
日本のスイートポテトならぬ芋饅頭「おひもさん」GET★
シナモンがアクセントに美味しい一品です★

。。。と帰り際、百貨店に来ていた地方物産展で
伊予松山藩の御菓子なるものを発見して此方も購入★
藩主が長崎で食した西洋菓子のレシピをアレンジして
ロールケーキに餡をまいたという江戸時代の一品★
足軽身分だった原田さんは食せなかったかなぁ?
どちらも帰宅後美味しく頂きました♪ 。。。今回は食べてばっか。。。


平成十四年 十一月十日

大阪は門真南の“なみはやドーム”(多目的ホール)で開催されました、
幕末オンリーイベント『ARE YOU ENEMY ?』に
石田の地名存続を呼び掛けるべく署名運動で参加しに行きました★

署名運動というのは、東京は日野市の町名地番整理事業の一端で
新撰組副長・土方歳三の故郷である石田の地名が存続の危機に晒され、
「石田の地名を守ろう!」をスローガンに、500年の歴史を持つ
石田の地名を後世に残して欲しいという呼び掛けの運動です★

日野の石田は土方歳三の生まれ育った地であり、御墓も石田寺にあり、
新撰組縁の地として有名な日野には石田の土方歳三資料館や石田寺をはじめ
全国から新撰組FANが訪れ、墓前には香華が絶えることがありません★
再来年からは大河ドラマに新撰組が放映予定されており、
一層の新撰組旋風が全国に吹き荒れることと予想されます★
このような時に石田の地名が永久に消え去られてしまうのは忍びないっ★
そこで地名存続を呼び掛けるべく先々月から署名運動が展開されました★

D×Iもネット上でこの石田の地名問題を知り、新撰組・土方歳三をはじめ、
日野における歴史と伝統のある石田の地名を、後世に残したい!
という考えに新撰組・土方歳三FANのD×Iも即賛同っ★
そこで早速私も署名活動の御手伝いが出来ればと思い
【狼斬】でも石田の地名問題を紹介し、署名運動の呼び掛けを行いました★

が、署名というのは捺印も必要なものなので、
ただ新選組FAN、歳三FANというだけでは参加し辛いものですよね?
ですが、このことについて広く知ってもらうことで署名活動に限らず、
これ自体から考えたり行動したりできるきっかけになるのではと考えました★
そこで不肖ながら当新撰組FANサイト【狼斬】でも石田の地名問題から
ゆりこさんが行っている署名活動についてHP「ぶらりんこ」様を紹介させて頂き、
石田の土方家御当主様の御手伝いをなさるゆりこさんのそのまた応援として
実際にD×Iも新撰組・土方歳三FANの一人として署名運動に奔走★

友人・知人を頼り、ゼミ仲間や稽古仲間に石田の地名存続を呼び掛けて
署名運動を展開しましたところ、10月〆として日野市長宛42名、
日野市議会議長宛45名分の署名を集めることが出来ました★
その間に、大阪で幕末オンリーイベントが開催されるという情報をCATCHし、
この場をお借りして署名運動をさせてもらえないでしょうか?と
主催者の鴻さんに即嘆願メールを送らせてもらったところ、
いきなりの申し出にも拘らず快く承諾して下さいまして今回の運びとなりました★

さて、イベント当日★ 幕末オンリーイベントというものには初参加ということで
少々緊張しつつも会場に向いました。。。が、入り口が分かんないっ<(+◆+;<)
周辺を5分くらい一人で彷徨って(怪っ)案内掲示板を見つけ
なんとか約束の時間に会場へ辿り着くことが出来ました。。。セ〜フ。。。

会場へ入ってすぐイベント主催のスタッフの方々に案内されてスタンバイ★
皆様とてもフレレンドリーな方々で、特に主催者の鴻さんはとても気配りのある方で
今回のイベントがどのようなものなのかも教えて頂きました★

関東では幕末オンリーイベントなるものは沢山ある様子★
サークルさんや一般参加者の方も云百単位で盛大にされるようですが、
なんと関西は幕末オンリーイベントを開催する事も希だと伺いました★
だから今回を封切りに毎年開催していきたいとのこと★
頼もしいその御言葉にスタッフ一同大興奮でしたっ(/^▼^)/

。。。新選組FANからしてみれば、関西こそ(京都も近いし)
盛大に幕末関係のイベントがあってもよさそうなものなのに。。。
と思いますけどね☆ が、意外に関西圏で幕末で活動されている方は
少ないようなのです。。。今回も委託参加で関東の方が多かった様子★
大河ドラマも迫ってきてますし、起爆剤になってくれればよいのですが★

さて、署名運動の方ですが、数人の方に署名して頂けました★
主催スタッフの方をはじめ、愛知や三重など遠方から
コスプレをしに来られた方々が署名してくださいました★
やはりオフラインでは石田の地名変更問題は知られていない様子。。。
でも「幕末祭」で署名運動を知ったという方もいらして
新選組話で盛り上がりましたよvvv 好き者同士、話がつきません。。。

実際に居合をされている方もいらして、脇差を見せて頂いたり、
とにかくコスプレに力が入ってらっしゃる方が大勢いらしたので
ここぞとばかりに持参したデジカメで思いっきり撮影させてもらいました♪

※添え書きは大幅に脚色が施されておりますのでご注意を。

いきなり竜馬さんに遭遇。
(この日唯一の竜馬さんでした。)
しかし、嗚呼…私は新撰組サイド。

そうと知れるや竜馬さんピストルで
威嚇射撃…しようと思って懐を探るも、
ピストルを持ってくるの忘れてしまったぁ!

おっちょこちょい竜馬さん、
「ええいっ剣じゃ、剣じゃ!」と真剣勝負っ!!
って、私丸腰ですよ〜!!きゃ〜!!

「あいや、待たれいっ!」

はっ、その声は!!
イベント主催者の鴻さんっ!!
美しい新撰組隊士として登場です。

助太刀に来て下さったのですねっ?

(実は長州の間者である鴻さん)
会場内巡邏中、
騒動を聞きつけて懸け付けた次第。

「お?何やってんの?」

と、続けて加勢に来てくださったのは永倉さん(PM)!
慌てて来たのか下駄を履き忘れて来てしまったようでした。しかも脇差一本。

「大刀、重いから置いてきちゃいました」

手に持たせて頂いたのですが、脇差だけでもかなりの重さ。。。大刀はもっと重いのだというのも納得。
そして、どうも大刀は腕の長さが足りず、抜刀するのも一苦労な代物なのだとか。
私も購入するなら身長に見合ったものを選ばなければと黙考していると。。。

「どうしたんすか〜?」

ぞろっ。。。っと新撰組隊士。
箱館土方さんもご一緒です。

「あっ!坂本竜馬っ!!」

「御用だっ御用だっ!!」

状況一変、形勢逆転。
竜馬さん、多勢に無勢と判断するや、
きびすを返してスタコラッシュ!!

「待ちやがれっ!!」

逃がしてなるものか、
とばかりに箱館土方さん、
抜刀して竜馬さんを追い詰める。 が、

「あ―!!あんなところにそんなものがっ!」

と、竜馬さんが指差した方向に土方さんが気を取られている隙に、竜馬さん再び逃亡。。。

侮り難し、坂本竜馬。。。

署名運動もそこそこに(当初は任務一筋っの心意気だったのですが・・・)
めいいっぱいイベントを楽しませてもらったのですが。。。
クイズ(→)や抽選、そしてちゃっかりイラストコンテスト等にも参加させてもらい、
景品にマグカップや新選組のだんだら羽織を頂いてしまいました(+◆+)
ああ。。。遊びほうけていた自分が恥ずかしい。。。
だって本当に楽しかったんですものv

今回、イベントの場を御借りして署名運動をさせて頂きましたので
こちらもなにかしらの形でイベントに協力させてもらいたく思い、
後片付けには大奮闘させてもらしました(^_^;)>イイ汗かきましたよっ★
その後も打ち上げの夕食会などにも御一緒させてもらいまして
沢山の方々と交流をもつことができましたvvv
思い切って署名運動の御話を持ち掛けてみて良かったです★

11月〆として日野市長宛28名、日野市議会議長宛15名の署名を
集めることが出来ました★ 10月〆の分と合計すると。。。
6・70名の方々に御協力頂いたことになります★ 凄っ★
当初はまさか自分の呼び掛けに、これほど反応が返ってくるとは
思ってもみなかったので、改めて一人感激しましたっ★

本当にこの署名運動を通して多くの経験をさせてもらいました★
D×Iなりの土方歳三流を実行してみたのですが
かなり体力勝負な上に思い切りが必要でしたね(^〜^)>
でも、何もないところから隊を結成した新撰組と一緒で
こうやって個人個人が実際に動くことで
何かができるのだということを身をもって学べた思いです★

最後に、署名に御協力くださいました皆々様、ありがとうございました(拝)


平成十五年 二月十九日

今年最初の京都巡察です★今回の巡察は急遽計画立てられました★
しかも今回は先のイベントで御近付きになれました新撰組サイト[そらいろのダンダラ]の
そら太さんと御一緒です★思い立ってから三日、前夜までチャットで打ち合わせでした(笑

さて、巡察当日★生憎と朝からすっきりとしない御天気★
空模様を気にしながらAM9:30に大阪駅でそら太さんと待ち合わせ、
金券ショップで買った格安のJR切符
(梅田⇔京都駅¥330…阪急で四条河原町に出るより¥60御得)の
使用可能時間AM10:00になるまで改札口前で時間をつぶしました★
3月に予定している、そら太さん主催の卒業旅行を兼ねた長州ツアーに
拙者も同行させて頂くので、そのサワリや長州事情に疎い拙者の為に
そら太さんが用意してくださった勉強道具一式(資料本の数々)を借り受け、
前日までに計画しきれなかった巡察経路を話し合っていたら30分はアッという間★
移動中にも計画を練り練り、ドキドキワクワクしながら京都駅へ★

拙者はこれまで京都巡察はすべて自らの足が頼りだったのですが、
今回はそら太さんのススメもあってバスを利用することに★
京都駅前のチケット売り場で、京都洛中のバスを一日乗り放題できる
市バス専用一日乗車券カード(¥500)を購入★一緒に観光マップも貰えます★
これを片手に、さっそくバスに乗り込み、最初に向ったのは泉涌寺★
藤堂さん達の御墓参りです★初めて行くには分かり難いと聞いていたのですが
そら太さんが道案内をして下さったので迷うことなく行けました(^_^)


バス停[泉涌寺道]下車で東山手のわき道を
10分程のぼって行って総門が見えたら左手側★
見落とさないように注意です★
関係者以外立ち入り禁止といった感じで閉まっている門→
御墓参りですよ〜(-▼-)と、こっそり進入(笑
藤堂さん達のお墓は門を入って正面すぐでした★
手を合わせて思うのは油小路の決闘★
彼らの前で口にすべきではなかったかもしれませんが、
思わず、あんなことしてる時じゃなかったのに…と
悔しい思いで言葉をついてしまいました。。。謝


拙者達が御参りに行った時には既にお墓に献花されていました★
感慨深く伺わせて貰えば、伊東さんの墓碑左側面★
左から、内海忠利、加納正通、阿部隆明、
新井一業、秦林親、鈴木忠良とありました★
彼らは新撰組時代の名内海次郎、加納鷲雄、阿部十郎、
新井忠雄、篠原泰之進、三木三郎さん達ですってね★
この伊東さんのお墓は三木三郎さんがたてられたんですか?

墓碑右上に播州赤穂之人と刻まれている服部武雄さんの御墓★
服部さんといえば京洛随一の剣の腕前と言われ、
油小路の変では二刀流を使って獅子奮迅の戦いぶりだったといいます★
お墓に手を合わせて、やっと現実味を覚えたのですが不思議な感じがしました★
やはりどこかで物語の中だけの存在で認識している分があるからでしょうか?

一人変に複雑な心境でお墓を伺いつつ写真資料を撮り、
そして、ここにも用意されてあった来訪ノート等を覗き見★
魚釣り道具でも入れるようなBOXの中にあるので、
来訪される折りには手前足元をCHECKしてくださいね★
御墓参りもそこそこに、続けて戒光寺へ★
そら太さんが御朱印を集めているということで行ってきました★


拙者も小学生の頃から訪問先のスタンプ帳など
集めているので用意するつもりだったのですが
忘れてしまったので残念無念(+◆+)
京都はお寺も多いですし、何より幕末関係でエピソードのあるものが多いので、それ関係で御朱印収集するのも楽しそうですよね★
今度から拙者も倣わせてもらおうvvv
因みに御朱印は¥300です★

京都駅に着いたのがAM11:00過ぎだったので、この時点でもうお昼間近★
折角なのであそこに行こう!と昼食を食べに向ったのは幾松★
毎度、高瀬川沿いの史跡巡りをすれば目にするものの、
小心者ゆえに一人では入れず脇を素通りしていたのですが、
今回は常連のそら太さんに連れて行ってもらいました(^〜^)>笑っ


が、バス停裁判所前下車で幾松に向う途中、
偶然にして松菊前を通ったので木戸孝允邸を発見★
前回一人で探した時には見つからなかったので
この偶然には驚きました(^_^)
ちょっと入り組んだところにありますからね★

面白く木戸孝允(桂小五郎)繋がりになった幾松★
御品書きにはかの人達の名前がつけられた御膳★
御弁当とは言うものの立派な御食事でございます★
拙者は初めてだったので桂小五郎御膳をv
そら太さんは何度目かにして佐久間象山御膳を注文★
もうテーブルに乗りきらないくらいで、ドキドキしながら食しました★
京都らしい薄味で、かなりのボリュームに大満足でした★


お腹も満たされたところで
次に向ったのは黒谷さん★
金戒光明寺です★
前回一度訪れた時には知らないもの同士が知らない道をあっちへふらふらこっちへふらふら…
あっちらへん?こっちへん?とやって行ったので脇門から入って正門から出て帰るというヘンテコリンな訪問でしたが、
今回はそら太さんのナビもあって正門からしっかり入れるだろうと思い切っていました★

が…前回同様、道無き道を上って駐車場から入るという、これまたヘンテコリンな訪問をしてしまいました★
あそこらへん道がよく分かりません〜(T▼T)


で、まずは本道を訪ねて御朱印を貰ってから
会津藩殉難者墓地へと足を運びました★
そら太さんのナビで、本堂向かって左手側の
車が出入りできる道を真っ直ぐ進み、
10分程歩いてから右手側のわき道をのぼって行きました★
道はお寺の裏にある墓地の間を通っているのですが、
その壁は石垣になってまして、不自然に真四角な石が
所々に使用されていることに気付きます★
伺えば、それらは無縁仏の墓石を使用したものだそうで
よくよく見れば御線香や御花を供える穴が穿たれていたり
墓標に刻まれた文字がそのまま表に向けられていたりして…
一人で歩くにはかなりビビリそうな演出効果抜群な所です★

そんな道をのぼり続けて面白い道案内を見つけたら右折★
面白い道案内というのは見てのお楽しみ★
あまり役に立ちそうもないような案内が綴られています★
一例:静岡まで300km←もっと酷いのがあります(笑


いくらかも歩かないうちに会津殉難者墓地に到着★
聞き及んで想像していたものより、
かなり立派な墓地だったので驚きました★
ずらっと並んだお墓の数にも圧倒されましたが、
そのどれもが綺麗にされていたのでよかったです★
ずっと気になっていた柴司さんのお墓にも
手を合わせてくることが出来ました★
写真で伺っていたより大きかったので驚きましたよ★

お墓からの帰り道は本道を通って戻ったのですが、
会津藩殉難者墓地ってすごい山の上に位置しているので下りの階段が長かったです★
イコール本道で下からのぼるとこの階段はかなりきついと思われます★
本道で上ろうとされるなら覚悟してくださいな(^_^)
けど道案内板がしっかりあるので迷わずには行けるはずです★

さて、黒谷さんを後にして次に向ったのは京都御苑★
堺町御門の写真を撮ろる目的で行ったのですが、せっかくだからと御苑中も歩いて
蛤御門にもまた足を運んできました★やっぱり弾痕跡を見たりするとぞくっとしますね★
御所まで本当にもうちょっとな所まで攻め込まれていたというのが、
実際に歩いてたらその距離間が実感できると思います★


御苑の次は長遠禅寺に向いました★千本出水の西入★
遊撃隊の人見勝太郎さんのお墓参りに伺ったのです★
閉ざされた門の手前で入ってよいものか迷ったのですが、
そろりそろりと入らせてもらい、人見さんのお墓を探していると
お寺の方がいらしたので御話を伺い、正面の新しいお墓に
入ってらっしゃると教えてもらえたので手を合わせてきました★
これを機会に遊撃隊についてもっと勉強しようと思いました★

既にこの時点でPM4:00過ぎ★御土産を買って帰りたいと思い、
向うは壬生★四条大宮までバスで出て、屯所餅を買いに★
新撰組GOODSもあったので見てきたのですが、幹部と流派を書いた暖簾に、
斎藤一の流派が示現流とあったのにビックリ★「え…(+_+)薩摩…?」みたいな(笑
「斎藤さんは一刀流だよねぇ…?」と二人して首を傾げました★

壬生寺にも寄ってきたのですが、出来ていました★やたら新しい建物★
これからは新撰組慰霊碑を伺うにも¥100が必要★
折角なので芹沢さん達にも会ってきたかったのですが、もう閉館5分前だったので
こちらはまた今度★時間がある時にゆっくり訪問したいと思います(T▼T)くぅぅ

なので壬生共同墓地へと足を運んで来ました★
そら太さんの案内で平隊士の何方かのお墓があるという記憶を頼りに行ったのです★
他の方達のように改葬されることなくここに眠っていらっしゃるというので★
が、結局見つけることが出来ず、残念無念★今度は下調べしてから行きませう★

壬生寺に戻り、屯所餅と一緒に買ったモナカを食べて小腹を満たしてから
本日最後に足を向けた先は六角獄舎跡★首洗いの井戸を探しにっ★
先の京都巡察で訪ねた時に見つけることが出来なかったので、そら太さんに伺えば
隠してあるらしいとのことでしたので「確かめに行こう!」と鼻息荒く向いました★
既に日も傾いてきてから“首洗い”の井戸を探しに行こうだなんて…二人だからできること★
ドキドキしながら探したのですが。。。ない…見つからないっ(+_+;)

六角獄舎跡は今はマンションの谷間に位置しているのですが、
建物の隙間や奥にまでずかずか入り込んで行ったり、周辺をぐるっと廻ったりしてみました★
小一時間ほど粘りましたが…見つからない★近くに神社があったのでそこでも
建物の裏っ側に廻ったりもしたのですが。。。あれ〜???ないのでしょうか?
いい加減歩き疲れてもいたので断念しました(残念無念)また再チャレンジしますか★

最後は四条河原町まで戻って、そら太さんがまだ中岡慎太郎寓居跡に行った
ことがないということでしたので、あぶらとり紙専門店の「象」に立ち寄って
御土産も購入してから帰路につきました★いやぁ〜今回の巡察はバスを利用したとはいえ
洛中をぐるっと廻って、たくさんの初訪問に初体験が出来たので興奮疲れ致しました★
そら太さん、御疲れ様でした(~―~)>また行きましょうねv



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