はいっ!今年もやって参りました!
毎年恒例にしつつあります、高校時代の邦楽部による慰安旅行(笑
今年の参加メンバーはシブりん、イズミchan、YOーちゃん、そして拙者のカルテットv
もう皆も日々必死ですしね。互いに慰労を兼ねて("▼")("■")("▼")("■")丿゛
ゆったりまったり温泉につかって肉食べてリフレッシュ!がテーマです。
ちょっと今回は皆で奮発したので、お嬢様気分で旅を楽しみたいと思います(笑
am12:50 慌てず焦らず、ゆっくりめの出発。
電車は示し合わせて車内で合流して、
最初に足を伸ばしましたのは草津〜v
去年は城崎温泉で桂小五郎を訪ねましたが、
今回も拙者のリクエストを一つ通してもらって草津宿へ。
御目当ては、そう。
慶応元年に関東隊士募集の帰路、投宿したという草津宿本陣です。
皆〜付き合ってくれてありがと〜v←ちゃっかり布教活動してます(笑
草津の駅をおりたらすぐの商店街を通り抜けて徒歩10分程度。
実は前々日にシブりんが十云年前のガイドブックから
「本陣説明あり(要予約)」の情報を発掘して事前予約を入れてくれたので、
本陣に到着してすぐガイドのお姐さんが迎えてくれましたvシブりん御手柄っ!
というわけで、ガイドのお姐さんから聞き知ったことを覚えている限り御紹介。
ここの草津宿本陣とはなんぞや、というところからですが、
本陣とは御存知、江戸時代に大名や公卿らに利用されたVIP専用の休泊施設。
それよりちょっと格下げになるのが脇本陣で、一般人向けが旅籠。
草津宿には元々、本陣が2軒と脇本陣が2軒、そして旅籠が72軒あったそうです。
現存する草津宿本陣は正式名称は「田中七左衛門本陣」といって、
参勤交代が制度化された期に、幕府より本陣職を命じられた
田中さんの御宅だそうです。
命ぜられたといっても給与があるわけではなく、所謂「名誉職」だったそうで。
収入を補う為に、兼業で木材商も営まれたんですって。
なので敷地の裏手には土壁の木材蔵が今も残っています。
因みに敷地の広さは1305坪。今も当時のままの広さなんだって(凄っ。
で、表玄関を入ってからすぐに目を引くのが関板。
旅館なんかである「歓迎“邦楽部”御一行様」みたいな札看板のようなもの。
が、今と違って関札は宿泊する側から渡すものだったそうで、
宿泊後は旅客の旅の無事を祈って形代として本陣が大切に保管したんだそうです。
なので今現在にも沢山の関札が残されている次第とのこと。
因みにこの関札、木板の他に半紙に書かれたものもあり、
一藩意外に大きな寺院(知恩院や永平寺など…)のものもありましたよ。
さてさて、次に紹介されたのは右手から奥にざーっと伸びる畳廊下。
普段は廊下として使われるということですが、
いざ大名行列御一行様などが宿泊の際には大勢の家臣も宿泊する事になる為
この畳廊下が臨時の間切り部屋となるということで、
四畳〜六畳位ずつで仕切れるように襖の桟もちゃんと敷かれていました。
「機能的だね〜」と感心しながら畳廊下左手の座敷広間に通されましたら、
平成元年から七年かけてに行われた、
本陣の修繕工事の模様がパネル紹介されてありました。
骨組みのみを残してあとは全て修繕されたということでしたが、
建屋だけでも468坪ですからね…大工事だったでしょうよ。
で!お待ちかねv大福帳。例の頁がおもむろに開かれてありました。
大福帳とは所謂帳簿のことですが、
副業の木材商関係から宿泊記録以外のことも記されてあることから
「大福帳」の呼称を用いたそうです。
で、本題の慶応元年の大福帳ですが、ありましたよ!
慶応元年 五月九日
土方歳三、斎藤一、伊藤甲子太郎、藤堂平助
この時の新撰組は羽振りが良い時だったから、
宿代250文の他に心づけとして蝋燭20丁を置いていかれたそうです。
が、ガイドの御姐さん曰く「まだまだ新撰組嫌われてた時期ですしね〜」
と、好感触ではなかった模様です。
因みに250文という金額ですが、、、
通常二十万石以上の大大名の従者一人が支払う金額に相当とのこと。
そうと言われると現価計算してみたくなるのですが、……わからん。
と、もう一つレプリカで展示されていたのですが、
こちらの本陣には、あの浅野内匠頭・吉良上野介も泊まったそうな。
「この頃はまだ仲良かったんかいな?」と、
いつの間にやらガイド説明に便乗されてた老夫婦と一緒に次へ〜。
さらに畳廊下を更に奥に進みましたらば、一段高くなっている上座敷。
御殿様専用のビップルームです。
上座敷と廊下を隔てるのは御簾で、他の部屋とは別格扱いなわけですが、
ランク分けされているのが畳の縁。
廊下の畳の縁は無地なのに対し、上座敷のものには綺麗な刺繍が施されてありました。
で、安全対策のいろいろを紹介してもらったのですが、
まずは天井。
御殿様が寝泊りする八畳スペース「上段の間」にあたる天井なのですが、
敵襲されないように天井板が外されにくい頑丈な造りになっているそうです。
また下からの攻撃にも備えて、
槍や刀が突き通らないよう中央に分厚い畳が敷かれています。
御殿様は常にこの上にいて、
寝る時もこの上から落ちないようにしてたのだそうで…
寝相の悪い御殿様だったら凄く窮屈な思いをしただろうな…と。
んでもって次に通されたのが殿様専用の御便所。上段雪隠。
道後温泉の皇室専用便所もそうでしたが、こちらも畳敷きの御便所でした。
が、プラスポイント(?)だったのは本陣には小便用があったこと(笑
…皇室の方は“たっ○ょん”なんてなさらないのでしょうね(御下品〜。
と、一人変に納得。←こうして間違った知識となる。
で、驚いたのですが、御殿様は毎日検便チェックがあったのだとか。
旅先でも検便されてたそうです。4へぇ。
続けて御殿様専用の御風呂場を見学。
枯山水の庭園を挟んで渡り廊下の先にあるのですが、広っ。。。
10m×10m程度の湯殿。
手前に御付の人が控える板の間があって、
真ん中に直径1m半位の湯桶。
どうも、外から槍で襲われても簡単に届かないようにしてあるのだとか。
しかも、いつ襲撃されてもすぐ逃げれるように湯には浸からず、
かけ湯で汗を流す程度の入浴だったそうです。
…御殿様って危険がいっぱい(゚ワ゚(゚m゚(゚m゚(゚ワ゚;
と、どうしてそこまで執拗な用心がなされているのか、ですが、
どうも、こちらで大変な事件があったそうで。。。
天保十年(1839)、佐土原藩主島津忠徹が参勤交代で江戸に向かう途中、
体調を崩して、この草津宿本陣で亡くなられてしまったのだそうです。
当時は当主が生きている内に後継ぎを決めなければ御家断絶の時代。
忠徹の死は突然のことだったので後継ぎの手続きなどしていなかった為、
“当主の死を伏せたまま”幕府には後継者手続きをし、
国許には善後策を講じ…、と、島津家は文字通り東奔西走だったようです。
で、この時は島津家家臣だけでなく、こちらの本陣の主人も大変だったそうで。
もし“忠徹死亡”の秘密が本陣からの漏洩ともなれば、
即刻打ち首になる危険があった為。。。…連帯責任背負わされた状態です。
それでもなんとか偽装工作の甲斐あり、無事にこの問題は解決したそうですが、
今に残される諸々の用心を伺うに、必死加減が感じられました。
さてさて、次に引き返して座敷広間の向かいに当たる東広間へ。
ここにアレがありました。和宮様。
降嫁の際に昼食に立ち寄られたということで、
御昼食の品書きなど残されていました。
あとは、馬が通れるように大きな出入り口が設けられている
台所土間や表板間など見学させてもらい、
諸々の感動を味わえたので拙者達も「大福帳」に記録してきました(笑
ガイドの御姐さん、受付の奥さん、ありがとうございましたーvvv
さてさて、本陣を後にしまして斜向かいに脇本陣の石碑を確認しましたらば
PM3:00。勧めてもらった草津宿街道交流館へ。本陣から徒歩五分程度。
ここがまた面白かったですよ〜(^▼^(^―^(^▼^(^―^)
草津のよもやま話を聞かせてもらったり、道中双六ゲームをしたり。
と、ここに当時の旅籠屋の朝・夕食レシピがあったので頂きました。
御飯、汁物、焼き魚、平付、猪口といったポピュラーな膳ですが、
夜は粗食で、朝はしっかりといった具合に理想的なものでした。
そうそう、それに旅体験コーナーではちゃっかり旅装束扮装してきました(楽
シブりんは鬘装着して本格扮装。イズミchan、YOーちゃんは可愛い小町娘。
そして拙者は道中着に振り分け荷物(ツヅラ二つを紐で繋いで肩に提げるもの)姿。
皆して撮影大会してきました(大笑
それと浮世絵体験もさせて頂きました。
既に用意されている版画に色を落として刷り上げるものですが、
今月は「鬼若丸」ということで、力強い武者絵ができましたv
と、ここでグッズ販売されていたので『街道をゆく…新撰組と幕末の志士』を購入v
「街道をかける志士たち」に赤報隊が取り上げられていたので即買(笑
そしたら受付の御兄さんに「宿駅散策:近江東海道中絵巻」を頂きましたvvv
残念ながら中山道の地図はきらしているということだったのですが、
現在の地図に重ねて旧街道が記されてあるので、歩こうと思えば歩けるというもの。
「歴史ウォーク」もこちらで企画されているそうです。いつか参加してみたいなv
さぁ。遊びつかれたところで甘いものが食べたくなった御一行。
草津名物“うばがもち”を求めてうばがもちや本店まで歩きました(疲
うばがもちは永禄年間に生まれたお菓子ということで、
餅をこしあんでつつんだ一口サイズのあんこ餅です。
試食で食べてみたところ「んー、赤福と似たり寄ったりだね。」
「大きさが違うだけかなぁ。」といった感じだったのですが、即
「赤福はたかが百年程度の歴史ですが、うばがもちは四百年の歴史がありますからね」
と売り子のお姐さんからツッコミが入りました。「失礼しましたーっ」( ̄ワ ̄( ̄ワ ̄)
というわけで、御土産にうばがもちを買いつつ、
今夜は十五夜、仲秋の名月ということもあり、
月見団子やみたらし団子なども皆で買い占めましたvvv
で。日も暮れてきたので宿へ〜。PM7:00。
今日の御宿は雄琴温泉の湯元館。
着いて早々に四人揃って温泉へ〜(^▼^(^▼^(^▼^(^▼^)
一日汗だくだくだったのでサッパリさせて頂きました。
そして8階「湖望の湯」に露天があったのでリッチに月見風呂と洒落込みましたv
う〜さぎうさぎ、なにみてはねる、十五夜お〜月様、みては〜ね〜る♪あービバビバ♪
で!夕食は近江牛!!それもチャンピョン牛を頂きました!(オッス!!
ちょっとリッチに会席をお願いしたらサービスで
チャンピョン牛のスネとバラ肉もしゃぶしゃぶで出して貰えてました(嬉v
しかも「近江牛チャンピョン牛賞味認定書」なるものまで頂きました(笑。
なかなか面白いです湯元館。
たらふく食して「もー苦しいー。」「お腹一杯ー。」と御満悦なところで
恒例、大富豪大会〜。おもむろに始められるトランプゲーム。皆真剣である(笑
そして私は一生忘れないでしょう。この日の大富豪七連勝記録を!
残念ながら最後は富豪に蹴落とされて大貧民で二連敗してしまいましたが…(泣
カード運ごと引っ繰り返されてしまうのが大富豪の面白いところです。
と、買ってきた月見団子やみたらし団子を別腹にて食し
「至福〜v」「贅沢〜v」「最高〜v」「むお〜(お腹苦し…」と寛ぎ、
深夜に6階「近江八景」展望露天風呂で月見風呂を満喫しました。
つもる夜話もそこそこにAM1:00就寝。
そしてAM5:30〜AM7:30。のそのそ起き上がって一人ずつ朝風呂をば。
↑皆朝起きれる時間が違うのです(笑
因みに拙者はAM6:00起きだったのですが、朝日が眩しかったです。←頭起きてない。
11階「月心の湯」は最上階の露天で昨晩は男専用になってたのが悔まれましたが、
晴天の朝風呂もなかなか良かったです。熱い湯で目を覚まさせてもらいました。
シャキっとしての朝食もまた格別で、皆しておかわりしました。
やはり旅先での朝食はモリモリ食べれちゃいますね!…摩訶不思議なり。
さぁ!今日も一日はりきっていきましょう!と宿を出て最初に向いましたのは
長等山 園城寺。通称、三井寺。西国三十三箇所の十四番札所ですね。
天台寺門宗の総本山ということで、広〜い敷地を散策です。AM11:30。
徳川家康が慶長六年(1601)に甲賀の常楽寺より寄進されたという
仁王門をくぐって階段を登りつめれば総本堂の金堂があります。
残念ながら改築工事中ということで(今年はこんなんばっか…)
表面は白テントが張り巡らされていたのですが中は見学可能でした。
霊像秘仏を拝見させて頂いているとボーン…ボーン…という鐘の音が…。
金堂手前にある鐘楼(梵鐘)の音だったのですが、
鳴る度に音が違ったので「おや?」と思っていると、
いろんな人が鐘を鳴らしていたようで。因みに一突き三百円だったかと(笑
この梵鐘、宇治の平等院、高尾の神護寺と共に日本三名鐘として
「三井寺の晩鐘」で知られているものですが、、、
鐘の音も突き手如何だということが分かった次第です(笑
さらに上っていくと霊鐘堂に「弁慶の引摺り鐘」がありました。
三人で一抱えするくらいの大きな梵鐘なのですが、
確かに傷痕や破目などがゴリゴリとありました。
が、こんなの引き摺った弁慶ってどんな人だったのかと想像し、
「怖っ…」「でかっ…」「熊…?」「人間じゃねぇ…」謎である。
さらに上ると孔雀が沢山飼われていました。
三井寺のしおりには書かれてなかったので寺のじゃないのかな?
その孔雀の飼育檻を左手に行くと一切経蔵があり、中を見学。
照明や窓が無いので堂内は暗くて怖かったですが、
一切経を収める大きな八角輪蔵は迫力でした。これ、回転するらしいです。
三井寺の五別所の一つで移築されたという微妙寺では
本尊の御開帳がされているということで御堂にあがらせて頂きました。
十一面観音で、湖国十一面観音霊場の一番札所になってるそうです。
それを聞いて「霊場巡りとか楽しそう」と、帰ってから母上に感想をもらすと
「そんなのは老後にしたらいいのっ。婆くさいこと言わないでっ。」と
嘆かれてしまいました。。。えー、満願達成したいじゃん( ̄д ̄)ぷー。
最後に、西国十四番札所観音堂に辿り着いた時にはもう足ふらふら。
けど階段を登りつめて山上から望む景色は気持ちよかったですv
しばしベンチに腰掛けて景色を楽しみながら風に吹かれて休憩。
ネンキの入った観音堂では真言を唱えてきました。
「おんはんどめい、しんたまに、じんばら、うん」
御参りもできたところで、いい運動もできてお腹がへったので
ランチタイムは円満院門跡・勅使門横にある「開運そば」へ。PM1:15。
細めの蕎麦に、三井の湧き水を使ったというダシが特徴ということで、
野菜の天ぷらと一緒に美味しく頂きましたvvv
さてさて、お腹も満たしたところで浜大津駅の方までバスで戻って
次に向ったのは三井寺力餅本家〜。食事の後はデザートをばvvv ←まだ喰う!
PM2:00。弁慶の怪力に由来するという三井寺力餅の老舗。
ふよふよのわらび餅に似た御団子に黄粉と蜜がかかってて旨々でしたv
さーて。美味しいもの沢山食べて大満足ですが、
今回の旅行の締め括りはっ、ミシガンクルーズ(^▼^(^▼^(^▼^(^▼^)
チケットの日付間違いなどハプニングがあったもののなんとか乗船v
いやー、なんとかなるなる(笑 PM3:30。
すごくメルヘンな船でドキドキしながらデッキに上がると、
出航の際にはフラッグ隊が見送ってくれました。メルヘーンv
乗船前にコンビニで買い込んだ御菓子をパクついていたら←まだ喰ってる。
陽気なクルーが記念撮影をしてくれました。
「粋なサービスだねー。」なんて感心していたら、
日付入りで可愛い額に入れて販売されました。おぉ、商売上手。
四人揃ってリッチな気分を満喫していたので、
揃って購入したら凄く喜んでもらえたのがまた嬉しかったです(笑
他にもハックルベリーカフェでクイズ大会に参加してみたり、
イベントも楽しませて頂きました。
比叡山って天然記念物なんですか!?←クイズより。
約一時間のクルージングでしたが、夕日が湖面に光ってとても綺麗でした。
そんな具合で一泊二日の慰安旅行。今年も大変楽しませて頂きました。
なにより今回はよく食べた。いやー、ほんと、よく食べました(悦
シブりん、イズミchan、YOーちゃん、今年も御疲れ様でしたvvv
また来年をお楽しみにー(^▼^(^▼^(^▼^(^▼^)いぇ〜いv
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