巡察

平成十七年九月十八日〜十九日

はいっ!今年もやって参りました!
毎年恒例にしつつあります、高校時代の邦楽部による慰安旅行(笑
今年の参加メンバーはシブりん、イズミchan、YOーちゃん、そして拙者のカルテットv
もう皆も日々必死ですしね。互いに慰労を兼ねて("▼")("■")("▼")("■")丿゛
ゆったりまったり温泉につかって肉食べてリフレッシュ!がテーマです。
ちょっと今回は皆で奮発したので、お嬢様気分で旅を楽しみたいと思います(笑

am12:50 慌てず焦らず、ゆっくりめの出発。
電車は示し合わせて車内で合流して、
最初に足を伸ばしましたのは草津〜v
去年は城崎温泉で桂小五郎を訪ねましたが、
今回も拙者のリクエストを一つ通してもらって草津宿へ。
御目当ては、そう。
慶応元年に関東隊士募集の帰路、投宿したという草津宿本陣です。
皆〜付き合ってくれてありがと〜v←ちゃっかり布教活動してます(笑

草津の駅をおりたらすぐの商店街を通り抜けて徒歩10分程度。
実は前々日にシブりんが十云年前のガイドブックから
「本陣説明あり(要予約)」の情報を発掘して事前予約を入れてくれたので、
本陣に到着してすぐガイドのお姐さんが迎えてくれましたvシブりん御手柄っ!

というわけで、ガイドのお姐さんから聞き知ったことを覚えている限り御紹介。
ここの草津宿本陣とはなんぞや、というところからですが、
本陣とは御存知、江戸時代に大名や公卿らに利用されたVIP専用の休泊施設。
それよりちょっと格下げになるのが脇本陣で、一般人向けが旅籠。
草津宿には元々、本陣が2軒と脇本陣が2軒、そして旅籠が72軒あったそうです。

現存する草津宿本陣は正式名称は「田中七左衛門本陣」といって、
参勤交代が制度化された期に、幕府より本陣職を命じられた
田中さんの御宅だそうです。
命ぜられたといっても給与があるわけではなく、所謂「名誉職」だったそうで。
収入を補う為に、兼業で木材商も営まれたんですって。
なので敷地の裏手には土壁の木材蔵が今も残っています。
因みに敷地の広さは1305坪。今も当時のままの広さなんだって(凄っ。

で、表玄関を入ってからすぐに目を引くのが関板
旅館なんかである「歓迎“邦楽部”御一行様」みたいな札看板のようなもの。
が、今と違って関札は宿泊する側から渡すものだったそうで、
宿泊後は旅客の旅の無事を祈って形代として本陣が大切に保管したんだそうです。
なので今現在にも沢山の関札が残されている次第とのこと。

因みにこの関札、木板の他に半紙に書かれたものもあり、
一藩意外に大きな寺院(知恩院や永平寺など…)のものもありましたよ。

さてさて、次に紹介されたのは右手から奥にざーっと伸びる畳廊下
普段は廊下として使われるということですが、
いざ大名行列御一行様などが宿泊の際には大勢の家臣も宿泊する事になる為
この畳廊下が臨時の間切り部屋となるということで、
四畳〜六畳位ずつで仕切れるように襖の桟もちゃんと敷かれていました。

「機能的だね〜」と感心しながら畳廊下左手の座敷広間に通されましたら、
平成元年から七年かけてに行われた、
本陣の修繕工事の模様がパネル紹介されてありました。
骨組みのみを残してあとは全て修繕されたということでしたが、
建屋だけでも468坪ですからね…大工事だったでしょうよ。

で!お待ちかねv大福帳。例の頁がおもむろに開かれてありました。
大福帳とは所謂帳簿のことですが、
副業の木材商関係から宿泊記録以外のことも記されてあることから
「大福帳」の呼称を用いたそうです。
で、本題の慶応元年の大福帳ですが、ありましたよ!
慶応元年 五月九日
土方歳三、斎藤一、伊藤甲子太郎、藤堂平助

この時の新撰組は羽振りが良い時だったから、
宿代250文の他に心づけとして蝋燭20丁を置いていかれたそうです。
が、ガイドの御姐さん曰く「まだまだ新撰組嫌われてた時期ですしね〜」
と、好感触ではなかった模様です。
因みに250文という金額ですが、、、
通常二十万石以上の大大名の従者一人が支払う金額に相当とのこと。
そうと言われると現価計算してみたくなるのですが、……わからん。

と、もう一つレプリカで展示されていたのですが、
こちらの本陣には、あの浅野内匠頭・吉良上野介も泊まったそうな。
「この頃はまだ仲良かったんかいな?」と、
いつの間にやらガイド説明に便乗されてた老夫婦と一緒に次へ〜。

さらに畳廊下を更に奥に進みましたらば、一段高くなっている上座敷。
御殿様専用のビップルームです。
上座敷と廊下を隔てるのは御簾で、他の部屋とは別格扱いなわけですが、
ランク分けされているのが畳の縁。
廊下の畳の縁は無地なのに対し、上座敷のものには綺麗な刺繍が施されてありました。

で、安全対策のいろいろを紹介してもらったのですが、
まずは天井。
御殿様が寝泊りする八畳スペース「上段の間」にあたる天井なのですが、
敵襲されないように天井板が外されにくい頑丈な造りになっているそうです。
また下からの攻撃にも備えて、
槍や刀が突き通らないよう中央に分厚い畳が敷かれています。
御殿様は常にこの上にいて、
寝る時もこの上から落ちないようにしてたのだそうで…
寝相の悪い御殿様だったら凄く窮屈な思いをしただろうな…と。

んでもって次に通されたのが殿様専用の御便所。上段雪隠。
道後温泉の皇室専用便所もそうでしたが、こちらも畳敷きの御便所でした。
が、プラスポイント(?)だったのは本陣には小便用があったこと(笑
…皇室の方は“たっ○ょん”なんてなさらないのでしょうね(御下品〜。
と、一人変に納得。←こうして間違った知識となる。
で、驚いたのですが、御殿様は毎日検便チェックがあったのだとか。
旅先でも検便されてたそうです。4へぇ。

続けて御殿様専用の御風呂場を見学。
枯山水の庭園を挟んで渡り廊下の先にあるのですが、広っ。。。
10m×10m程度の湯殿。
手前に御付の人が控える板の間があって、
真ん中に直径1m半位の湯桶。
どうも、外から槍で襲われても簡単に届かないようにしてあるのだとか。
しかも、いつ襲撃されてもすぐ逃げれるように湯には浸からず、
かけ湯で汗を流す程度の入浴だったそうです。
…御殿様って危険がいっぱい(゚ワ゚(゚m゚(゚m゚(゚ワ゚;

と、どうしてそこまで執拗な用心がなされているのか、ですが、
どうも、こちらで大変な事件があったそうで。。。
天保十年(1839)、佐土原藩主島津忠徹が参勤交代で江戸に向かう途中、
体調を崩して、この草津宿本陣で亡くなられてしまったのだそうです。

当時は当主が生きている内に後継ぎを決めなければ御家断絶の時代。
忠徹の死は突然のことだったので後継ぎの手続きなどしていなかった為、
“当主の死を伏せたまま”幕府には後継者手続きをし、
国許には善後策を講じ…、と、島津家は文字通り東奔西走だったようです。

で、この時は島津家家臣だけでなく、こちらの本陣の主人も大変だったそうで。
もし“忠徹死亡”の秘密が本陣からの漏洩ともなれば、
即刻打ち首になる危険があった為。。。…連帯責任背負わされた状態です。
それでもなんとか偽装工作の甲斐あり、無事にこの問題は解決したそうですが、
今に残される諸々の用心を伺うに、必死加減が感じられました。

さてさて、次に引き返して座敷広間の向かいに当たる東広間へ。
ここにアレがありました。和宮様
降嫁の際に昼食に立ち寄られたということで、
御昼食の品書きなど残されていました。

あとは、馬が通れるように大きな出入り口が設けられている
台所土間や表板間など見学させてもらい、
諸々の感動を味わえたので拙者達も「大福帳」に記録してきました(笑
ガイドの御姐さん、受付の奥さん、ありがとうございましたーvvv

さてさて、本陣を後にしまして斜向かいに脇本陣の石碑を確認しましたらば
PM3:00。勧めてもらった草津宿街道交流館へ。本陣から徒歩五分程度。
ここがまた面白かったですよ〜(^▼^(^―^(^▼^(^―^)

草津のよもやま話を聞かせてもらったり、道中双六ゲームをしたり。
と、ここに当時の旅籠屋の朝・夕食レシピがあったので頂きました。
御飯、汁物、焼き魚、平付、猪口といったポピュラーな膳ですが、
夜は粗食で、朝はしっかりといった具合に理想的なものでした。

そうそう、それに旅体験コーナーではちゃっかり旅装束扮装してきました(楽
シブりんは鬘装着して本格扮装。イズミchan、YOーちゃんは可愛い小町娘。
そして拙者は道中着に振り分け荷物(ツヅラ二つを紐で繋いで肩に提げるもの)姿。
皆して撮影大会してきました(大笑

それと浮世絵体験もさせて頂きました。
既に用意されている版画に色を落として刷り上げるものですが、
今月は「鬼若丸」ということで、力強い武者絵ができましたv

と、ここでグッズ販売されていたので『街道をゆく…新撰組と幕末の志士』を購入v
「街道をかける志士たち」に赤報隊が取り上げられていたので即買(笑
そしたら受付の御兄さんに「宿駅散策:近江東海道中絵巻」を頂きましたvvv
残念ながら中山道の地図はきらしているということだったのですが、
現在の地図に重ねて旧街道が記されてあるので、歩こうと思えば歩けるというもの。
「歴史ウォーク」もこちらで企画されているそうです。いつか参加してみたいなv

さぁ。遊びつかれたところで甘いものが食べたくなった御一行。
草津名物“うばがもち”を求めてうばがもちや本店まで歩きました(疲
うばがもちは永禄年間に生まれたお菓子ということで、
餅をこしあんでつつんだ一口サイズのあんこ餅です。
試食で食べてみたところ「んー、赤福と似たり寄ったりだね。」
「大きさが違うだけかなぁ。」といった感じだったのですが、即
「赤福はたかが百年程度の歴史ですが、うばがもちは四百年の歴史がありますからね」
と売り子のお姐さんからツッコミが入りました。「失礼しましたーっ」( ̄ワ ̄( ̄ワ ̄)

というわけで、御土産にうばがもちを買いつつ、
今夜は十五夜、仲秋の名月ということもあり、
月見団子やみたらし団子なども皆で買い占めましたvvv

で。日も暮れてきたので宿へ〜。PM7:00。
今日の御宿は雄琴温泉の湯元館
着いて早々に四人揃って温泉へ〜(^▼^(^▼^(^▼^(^▼^)
一日汗だくだくだったのでサッパリさせて頂きました。
そして8階「湖望の湯」に露天があったのでリッチに月見風呂と洒落込みましたv
う〜さぎうさぎ、なにみてはねる、十五夜お〜月様、みては〜ね〜る♪あービバビバ♪

で!夕食は近江牛!!それもチャンピョン牛を頂きました!(オッス!!
ちょっとリッチに会席をお願いしたらサービスで
チャンピョン牛のスネとバラ肉もしゃぶしゃぶで出して貰えてました(嬉v
しかも「近江牛チャンピョン牛賞味認定書」なるものまで頂きました(笑。
なかなか面白いです湯元館。

たらふく食して「もー苦しいー。」「お腹一杯ー。」と御満悦なところで
恒例、大富豪大会〜。おもむろに始められるトランプゲーム。皆真剣である(笑
そして私は一生忘れないでしょう。この日の大富豪七連勝記録を!
残念ながら最後は富豪に蹴落とされて大貧民で二連敗してしまいましたが…(泣
カード運ごと引っ繰り返されてしまうのが大富豪の面白いところです。

と、買ってきた月見団子やみたらし団子を別腹にて食し
「至福〜v」「贅沢〜v」「最高〜v」「むお〜(お腹苦し…」と寛ぎ、
深夜に6階「近江八景」展望露天風呂で月見風呂を満喫しました。
つもる夜話もそこそこにAM1:00就寝。

そしてAM5:30〜AM7:30。のそのそ起き上がって一人ずつ朝風呂をば。
↑皆朝起きれる時間が違うのです(笑
因みに拙者はAM6:00起きだったのですが、朝日が眩しかったです。←頭起きてない。
11階「月心の湯」は最上階の露天で昨晩は男専用になってたのが悔まれましたが、
晴天の朝風呂もなかなか良かったです。熱い湯で目を覚まさせてもらいました。

シャキっとしての朝食もまた格別で、皆しておかわりしました。
やはり旅先での朝食はモリモリ食べれちゃいますね!…摩訶不思議なり。

さぁ!今日も一日はりきっていきましょう!と宿を出て最初に向いましたのは
長等山 園城寺。通称、三井寺。西国三十三箇所の十四番札所ですね。
天台寺門宗の総本山ということで、広〜い敷地を散策です。AM11:30。

徳川家康が慶長六年(1601)に甲賀の常楽寺より寄進されたという
仁王門をくぐって階段を登りつめれば総本堂の金堂があります。
残念ながら改築工事中ということで(今年はこんなんばっか…)
表面は白テントが張り巡らされていたのですが中は見学可能でした。

霊像秘仏を拝見させて頂いているとボーン…ボーン…という鐘の音が…。
金堂手前にある鐘楼(梵鐘)の音だったのですが、
鳴る度に音が違ったので「おや?」と思っていると、
いろんな人が鐘を鳴らしていたようで。因みに一突き三百円だったかと(笑

この梵鐘、宇治の平等院、高尾の神護寺と共に日本三名鐘として
三井寺の晩鐘」で知られているものですが、、、
鐘の音も突き手如何だということが分かった次第です(笑

さらに上っていくと霊鐘堂に「弁慶の引摺り鐘」がありました。
三人で一抱えするくらいの大きな梵鐘なのですが、
確かに傷痕や破目などがゴリゴリとありました。
が、こんなの引き摺った弁慶ってどんな人だったのかと想像し、
「怖っ…」「でかっ…」「熊…?」「人間じゃねぇ…」謎である。

さらに上ると孔雀が沢山飼われていました。
三井寺のしおりには書かれてなかったので寺のじゃないのかな?
その孔雀の飼育檻を左手に行くと一切経蔵があり、中を見学。
照明や窓が無いので堂内は暗くて怖かったですが、
一切経を収める大きな八角輪蔵は迫力でした。これ、回転するらしいです。

三井寺の五別所の一つで移築されたという微妙寺では
本尊の御開帳がされているということで御堂にあがらせて頂きました。
十一面観音で、湖国十一面観音霊場の一番札所になってるそうです。
それを聞いて「霊場巡りとか楽しそう」と、帰ってから母上に感想をもらすと
「そんなのは老後にしたらいいのっ。婆くさいこと言わないでっ。」と
嘆かれてしまいました。。。えー、満願達成したいじゃん( ̄д ̄)ぷー。

最後に、西国十四番札所観音堂に辿り着いた時にはもう足ふらふら。
けど階段を登りつめて山上から望む景色は気持ちよかったですv
しばしベンチに腰掛けて景色を楽しみながら風に吹かれて休憩。
ネンキの入った観音堂では真言を唱えてきました。
「おんはんどめい、しんたまに、じんばら、うん」

御参りもできたところで、いい運動もできてお腹がへったので
ランチタイムは円満院門跡・勅使門横にある「開運そば」へ。PM1:15。
細めの蕎麦に、三井の湧き水を使ったというダシが特徴ということで、
野菜の天ぷらと一緒に美味しく頂きましたvvv

さてさて、お腹も満たしたところで浜大津駅の方までバスで戻って
次に向ったのは三井寺力餅本家〜。食事の後はデザートをばvvv ←まだ喰う!
PM2:00。弁慶の怪力に由来するという三井寺力餅の老舗。
ふよふよのわらび餅に似た御団子に黄粉と蜜がかかってて旨々でしたv

さーて。美味しいもの沢山食べて大満足ですが、
今回の旅行の締め括りはっ、ミシガンクルーズ(^▼^(^▼^(^▼^(^▼^)
チケットの日付間違いなどハプニングがあったもののなんとか乗船v
いやー、なんとかなるなる(笑 PM3:30。
すごくメルヘンな船でドキドキしながらデッキに上がると、
出航の際にはフラッグ隊が見送ってくれました。メルヘーンv

乗船前にコンビニで買い込んだ御菓子をパクついていたら←まだ喰ってる。
陽気なクルーが記念撮影をしてくれました。
「粋なサービスだねー。」なんて感心していたら、
日付入りで可愛い額に入れて販売されました。おぉ、商売上手。
四人揃ってリッチな気分を満喫していたので、
揃って購入したら凄く喜んでもらえたのがまた嬉しかったです(笑

他にもハックルベリーカフェでクイズ大会に参加してみたり、
イベントも楽しませて頂きました。
比叡山って天然記念物なんですか!?←クイズより。

約一時間のクルージングでしたが、夕日が湖面に光ってとても綺麗でした。
そんな具合で一泊二日の慰安旅行。今年も大変楽しませて頂きました。
なにより今回はよく食べた。いやー、ほんと、よく食べました(悦
シブりん、イズミchan、YOーちゃん、今年も御疲れ様でしたvvv
また来年をお楽しみにー(^▼^(^▼^(^▼^(^▼^)いぇ〜いv


平成十七年十月二十一日〜二十二日

さぁ、秋の旅行三昧。締め括りは会社の慰安旅行v
今年は四国金毘羅参り(^―^)拙者、初登りなのでどきどきです。
天気は良好!一泊二日のバス旅行、はりきって行きましょう!

さて、毎年ながら朝早くに出発。AM8:30。
山陽自動車道で岡山を経て、瀬戸大橋を渡っての香川入りルートということで、
おもむろにバス内で配られる御菓子袋。
毎年これが楽しみになりましたvなんか小学校の修学旅行みたいで(笑。
早くも封をきってジュースと一緒にパクつきつつ、
バスガイドさんに赤穂や桃太郎さんのお話を聞かせてもらいました。

で、桃太郎さんですが。
桃太郎さんの歌って5番まで歌詞があるって知ってましたか!?
「もーもたろさん、ももたろさん、お腰につけたキビ団子、一つ私に下さいな」
だけだと思ってたんですが。←無知。
バスガイドさんが歌ってくれて驚きました。歌が物語になってんだー(゚■゚;

で、もひとつ教えてもらったんですが、
桃太郎さんのお供になったサル・キジ・イヌですが、なぜサル・キジ・イヌなのか。
御存知でしょうか皆さん。拙者は驚きの連発だったんですが、
鬼門にあたる丑寅の逆、裏鬼門にあたる申酉戌に起因するのだとか。5へぇ。

そんな桃太郎さんの岡山で、途中、昼食となりました。AM12:00。
岡山ファーマーズマーケット・サウスビレッジで
バーベキュー(^ワ^(^▼^(^ワ^(^◆^(^◆^(^ワ^(^▼^)わーいv
他のテーブルは8・9人掛けだったのですが、
陣取ったテーブルは7人掛けでゆっくりまったりできてラッキーでしたv
なによりお肉の取り合いにならなかったので良かったです(大笑

て、上司お姉様方々と同席させて頂いたので
末席の自分が動かねばならないところだったのですが、
お肉焼いたり、ご飯盛ったり、お肉焼いたり、お肉焼いたり、
気付けば全部して下さって、、、ありがとうございましたー(T▼T。
美味しかったですーvvvナスは切り目に沿って噛み切るべし(教訓。

さて、お腹ぽんぽこりんで、再びバスに揺られて一時間。
PM2:00。瀬戸大橋を渡る途中で立ち寄った与島P、
京阪フィッシャーマンズ・ワーフ。
瀬戸大橋をバックに集合写真を撮るというとこで下車したのですが、
いきなり目をひいたのが「咸臨丸」の文字。(゚―゚)きょとーん。。。
幕末の匂いがする…幕末の…っ―――。("■"。ぐはぁっ。

どうも咸臨丸を模した遊覧船で、瀬戸大橋と塩飽諸島をめぐる
クルージングがされている模様。←早速情報収集。
「あれ?咸臨丸って勝海舟やんなぁ?」
と先輩が話し掛けてくださったのですが、拙者ってばもう
「話振らないでーっ(我を忘れちゃいますーっ(T■T;」ってなもんで両耳塞ぎました。
だって、だって。これが社員旅行じゃなけりゃ、もう一人で旅立ってますよ。
そんな、ここで幕末話始めさせたら、明日まで幕末漬けですぜ?
つーか、会社の人にそんなイタイ自分を曝け出せやしませんて。あたー(TワT。

でも、ちょこっとだけでも?乗ったり?しないのかな??なんて、
淡い期待もしてたんですが。本当に集合写真撮るだけでした。残念!!
「おお、咸臨丸。いつかまたくるぜよ…」と、後ろ髪引かれながら
その場を後にしました。「おお…咸臨丸〜…」←引き摺ってます。

さて、再びバスに揺られて一時間。
途中、道すがら遠くに見えた丸亀城のお話をバスガイドさんから聞きました。
ちょこっと飛び出た御灸みたいな小山の上に、
ちょこんと天守閣があるのが見えたのですが、亀山城ともいわれる丸亀城。
日本一高い石垣と、日本一深い井戸で有名なのだとか。

江戸期に城主が変わり、石垣の修繕を行った際、
羽坂重三郎という石垣の名人がそれを手掛けたそうです。
石垣の上に別の石垣を築く多段構造で、
石垣の累積の高さは日本一高いものとなりました。

「この石垣なら敵が攻めてきても誰も登ることは出来ない」
と、城主に胸をはれる物だったのですが、
「ただし、一箇所だけ登れることができる場所があります」
と、羽二重さんはするすると登って見せたそうです。
が、これがまずかったんですね。。。
「それが敵に知れては一大事」と、羽二重さんは暗殺されてしまいました。
それは地下深く掘られた井戸に生き埋めにされてしまったということです。
まだ戦国期の影がよぎる悲話にゾゾッとした次第(T■T。

が、一変して。次に「金毘羅船々」の歌を教えてもらいました。
「こんぴらふねふね おいてにほかけて シュラシュシュシュ〜♪」
これも歌詞が5番まであるそうで。香川民謡らしいですね。
いやぁ、今回のバスガイドさんはよく歌います(笑。
拙者、今回初知りものが多くてウキウキしてるのですが、
大河『組!』で左之助が領事館で歌ってた歌がコレだと
この時初めて気付いた次第です。シュラシュシュシュ〜♪(^з^)

PM3:30。やっと宿に到着。今日の御宿は「こんぴら温泉紅梅亭」。
今回部屋割りは当日まで知らされてなかったので驚いたのですが、
毎年の如く、同年代組になるのかと思いきや、
今回は縦割りでマネージャーや先輩方々と同室でしたv
て、気付けばほぼ昼食で同席だったメンバーだったので
その偶然に驚いた次第です(笑。7人部屋で賑やかでしたv

と、ゆっくりする間もなく『中野うどん学校』に向う一行。
手打ちうどん教室ということで、約1時間、さぬきうどん体験です。
マツケンサンバなどのリズムに合わせてうどん踏みしました(笑
なんか、スピーディーな授業で呆気…でしたが(^ワ^(^ー^(^ワ^(^ー^;
最後は自分たちで作ったうどんを御土産にしてもらい、
うどん学校卒業記念に秘伝帳・めん棒・卒業証書も頂きました♪
(家に帰ってから、秘伝帳の通りに調理したらめちゃ美味でしたよv)

さて、そんなわけでもう日も暮れかかったPM4:15。
これから金刀毘羅宮参拝です。うおっす!気合!(゚■゚(゚■゚;
200段あたりまではまだヘッチャラだったのですが、
300段あたりからもう息は上がるは、足は重いは…。
汗だくになりながら、宴会前にいい運動になりました(疲。

が、階段途中、神馬にお尻向けられたり、写真撮影したり
ふらふらしながらも30分程度で上っちゃいました。
悩まないよう、悩む(786)一歩手前の785段の階段制覇〜。
もっと早く上った方は奥社まで行かれたそうですが、
日も暮れたところで本宮の手前で入山を止められました。

んでもって、社務所も既に閉められていたのですが、
ドドっと最後の入山者が押し寄せたところで神主さんに開けてもらい、
幸福の黄色いお守り」を購入v
それと、こちらももう仕舞われていたのですが
犬の御神籤もひかせてもらいました。ありがとうございます。
開けて幸運v今回は大吉(^▼^)駄目もとで聞いてよかった!
それに金色のちっちゃいワンちゃんが入ってましたv

一服してPM5:20。下山開始。上るときも怖かったですが、
急な階段は下りる方がもっと怖かったです。うえーん。
因みに先週末から調子が悪かった膝。治りかかっていたのですが再負傷。
でも大吉でしたしv大丈夫でしょうv←御気楽能天気。

もう麓に戻った時にはあたりは真っ暗。
金毘羅名物「灸まん」は本店で御土産に買うことが出来たのですが、
登る前に先輩と目をつけていた地酒屋さんは既に閉まっていたので
「よしっ!明日朝一番で買いに来よう!」と
カツカツのスケジュールと睨めっこして宿に戻りました。

PM6:30。1Fホールで先輩と抹茶を頂きながら
人間ウォッチングを楽しみ、PM7:00。待ってましたv大宴会v
2mくらいの大きな船盛がゴーン、ゴーンとあったのには驚きました。
うどん打ちのデモンストレーションがあったのですが、
司会の御兄さんに勧められて、社長が包丁を握った際の
皆で味わったあの緊張感、、、まだ忘れられません(笑

それと技術チームが用意してくれたラジコンカーレース。
カメラを取り付けたラジコンを走らせるのですが、
リモコンを握る人が見るのはカメラ映像が映し出されるテレビ画面。
まるで本当に運転しているように見えるのですが、
視界がそのままなので、スピンしたりコースアウトすると
位置感覚や方向が分からなくなる為、
チームで「左だ」「右だっ」と応援するのが愉しかったです(笑

んでもってジャンケン大会v今回は勝っちゃったvやったぁv
景品にゆず酢とへそ饅頭貰いましたよ(^ワ^)わーいvvv

そんな具合に、御酒は飲めなくとも楽しめるイベント
盛りだくさんの宴会で、今年も凄く愉しかったです。
んが、後で皆して「おや?」と思ったのがうどん。
「あつあつ天ぷらにうどん食べ放題」と聞いていたのですが、
うどんはお椀に一杯ちょろっと食べただけだったので、
後日「御当地で食べれなかったーっ」と皆して嘆いた次第です。。。
ま、食べきれないくらい他にも沢山ありましたしね(^д^)丿

PM9:00。続けてなだれ込む二次会。カラオケ〜♪
今回も方々のの意外な一面を見せて貰えましたv
んでもって、うちの会社には歌うまい人が多いです。
ジャニーズはいるし、韓流はあるし、おまけに今年はキシダンまで(笑
皆さん振り付きですからね。本格的です。楽しませて頂きましたv
因みに拙者は今年も帝国歌劇団でした(ようこそ花組へ!笑。

PM11:20。二次会もお開きになり、温泉へ直行!
楽しみにしていたのが花露天(バラ)だったのですが、
先輩方と一緒にぷっかり浸かっていると、
「24時で終わりですよ〜」と、仲居のおばちゃんが
先に花を回収して行っちゃいました。。。あれれれれー。
「もうちょっとお嬢様気分でいたかった…("■"("■"("■")」
と、駆け足での入浴でしたが、ほっこり気持ちよかったですv

んで、夜はこれからですがv今回は技術チームの上司から
丸秘話を沢山聞かせて頂けて「むふふ」な一夜でした。
遊び疲れているのに夜更かしするものだから、最後は皆して
うだー…となってたのですが、愉しかったですvむふふv←素直に寝ろ。

というわけでAM2:00頃消灯。んでもってAM6:30起床!
はた…と気付いたら窓を打つ激しい雨音。
「えーっ(゚■゚)大雨っすか!?」「まじでっ(゚■゚)!?大雨っ!?」
先輩と一緒に「傘なんて持ってきてないよーっ」と嘆いていたのですが、
身支度していたら次第に止んでくれました。ラッキーv
が、相変わらず怪しい空模様。
仕方がないのでとりあえずホテルのフロントで傘を貸してもらい、
約束どおり、先輩と一緒に宿抜け出して地酒を買いに繰り出しましたv

AM7:45。訪ねたのは「金陵の郷」。
フロントでも一応確認したのですが…、やはりちょっと早かったようで
固く閉じられた門の前で唸る二人。「うー…。(-_-(-_-;」
私は下戸なので諦めようとしたのですが、
「地酒はここでしか呑めないんだからっ!」と
ねばる先輩の願いを叶えてあげたい一心で、拙者もねばってみることに。

「もしもーし、何方かいらっしゃいませんかー??」と門前でウロウロ。
駄目もとでコンコン、とノックをしてみると、
パっと店の奥の電気がついたので、すかさず「すいませーん!!」と
呼び掛けたら出てきて下さったお店の御主人。(T▼T(T▼T)神様〜v

「朝早くにすいませんっ、実はカクカクシカジカ―…」とお願いすると
「いいよ。美味しい御酒、買ってきな」と招き入れてくれましたv
すいませーん。ありがとうございますーっ。(T▼T(T▼T)vvv
先輩は念願の地酒を購入できて御満悦でしたv良かったですねv

もうあと1時間ばかり朝の自由時間があれば
呑象楼」に行きたかったのですが、←日柳燕石と高杉晋作・桂小五郎会合の場
残念ながらタイムアップ間近だったので、
そのまま金倉川沿いを散歩がてら宿に戻りました。うー。残念。

AM8:30。急いで朝食を掻き込んで、AM8:45。
二日目バス出発!向いますは大歩危小歩危。川下りをしますv
山道を進みバスに揺られること2時間。
山間で一気に下がった気温に震える一行。←皆薄着でした(泣。

AM10:40。川下り開始。20人乗りくらいの小船で
ゆっくり船頭さんの御話を聞きながら大歩危小歩危の大岩鑑賞。
「おおぼけ・こぼけ」って名前ですが、
足場の石の間隔が狭く大股で歩いては危ない大歩危、
足場の石の間隔が広く小股で歩いては危ない小歩危、
というのが由来なのだとか。…て、この岩の上歩くんだ!?

深緑色の鮮やかな水面と白い岩肌のコントラストが凄く綺麗でした。
それに道路から見下ろす川と違って、
水面近くから見あげる大岩は迫力がありました(゚■゚(゚■゚(゚■゚;凄。

20分位の川下りを楽しんで、次に向いましたのは祖谷
平家の隠れ里ということで、AM12:00、山奥に到着。
「ホテルかずら橋」で郷土料理を昼食に頂きましたv
小雨に吹かれて寒かったので温かい蕎麦が美味しかったですvvv
それにアメゴの塩焼きと蒟蒻団子の串焼きなどなどv大満足v

さて、お腹を満たしてからホテルのボンネットバスに乗り込み、
皆でトトロ(ジブリ)の雰囲気を味わいながら、
田舎のバスはオンボロバスよ〜♪」とゴトゴト揺られて5分。
そこから徒歩で山道を下ること3分。
かずら橋を渡りに行くのですが、「…痛い。( ̄m ̄;」
石の階段を降りながら痛む膝に焦る拙者。
やはり昨日の785段のツケがまわってきたようで。。。
ビッコながらも、かずら橋初渡りの為に前進あるのみ。←必死。

PM1:30。じゃじゃーんv祖谷のかずら橋といえば、
平家の落人が追っ手を絶つ為に考案したという自然のつり橋ですね!
んが、どうも最近は安全考慮でワイヤーが中に走らせてある模様。
しかーし!やはり一度は渡ってみたいものでしてv
渡橋500円で一方通行。ドキドキしながら渡ってきました(゚▼゚)丿

て、既に拙者の前に40人位が一気に橋を渡っていたので
「落ちないでねー…」と心配しながらゆっくり歩いてきました。
怖いもの見たさで下を覗き見てみたり、
歩く度に揺れて軋むツタにしがみ付きながら写真撮影も頑張っていると
渡り終えた先輩方に「D×Iさん余裕やなぁ…」と呆れられました。
「私だって怖かったですよー(T▼T)でも楽しかったですー(悦」

さて、渡り終えたらその奥にあるのが琵琶の滝
バスガイドさんの紹介によると、この滝の下で
平家の落人が都での華やかな暮らしを懐かしみ、
琵琶を奏でて互いを慰めあったのだとか。しんみり。

平家繋がりで、この近くの平家屋敷(民俗資料館)にも行けたら
よかったのですが、残念ながら今回はコース外ということで残念。
帰りは別の橋を渡って、またしても振り出した小雨に急かされながら
ボンネットバスに引き返し、山道に揺られてホテルに戻りました。

これにて一連の旅程は終了。あとは帰るだけです。
もう皆も遊ぶだけ遊び倒したので、帰りのバスは熟睡。
途中、鳴門大橋を渡って淡路ハイウェイオアシスで休憩をしたのですが、
そこで皆が起きた隙を逃さず、最後のイベント、ビンゴ大会!
今年も残念ながらビンゴはトリプルリーチまで迫りながらも
景品は逃しました。むー。残念。

って、この時既に、遠い技術チームの上司の耳に、今朝方の拙者と先輩の
地酒購入”店主叩き起こし”武勇伝の話が届いていたことを知り、
先輩とたじろいだ次第です。「…話が大きくなっている(どきどき…(゚▼゚(゚▼゚;」
最後の最後でドッキリでしたが、今年も御疲れ様でしたー!!

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