金曜日、東京出張と相成りました( ̄m ̄;
木曜日の夕方に突如東京出張の指令が下り、金曜日朝一で東京へ―…。
いきなりで木曜日夜はバタバタでしたが、、、
なんとか切り抜けれたので結果オーライです。ブイブイッv
作業は滞りなく。定時後は東京営業所の上司に連れられて
渋谷の素敵なバーで一杯奢ってもらいました♪「門」ってお店v
そこでオリジナルの「クレーマークレーマー」というショートの
白いお洒落なカクテルを御馳走になりましたv美味(>▼<。
上司には大変御世話になったので今度何か大阪名物贈りますね♪
…とまぁそんなわけで。せっかくはるばる上京したんだし、
上司にも「せっかく東京行くんだし、“遊んでおいでv”」
と言われちゃいましたし、、、
な ら 遊 ぶ し か な い じゃ な い か !
ちゅーことで金曜日は浅草で一泊。←カプセルホテル初体験。
鰻の寝床の中で(上司には穴蔵と言われました…笑。)
土曜日一日史跡巡りすべく、夜必死になって地図と睨めっこ。
何も資料を持参しなかったのでメールで友達から情報提供
協力してもらいました。皆ありがとー(>▼<。
ということで明けてAM8:30。
今回は赤穂浪士を偲ぶべく朝一で泉岳寺へ!
初めて御参りしに行きました。
浅草線泉岳寺駅A2出口の坂を上ればすぐ。
大きな山門が迎えてくれます。
本堂に向って左手前の脇から義士墓地へは
真新しい参道が奥に伸びているのですが、
参道右手には色々ありましたよ。
浅野内匠頭が切腹した際にその血がかかったという
血染めの梅と石、(あの田村右京太夫邸の庭先にあったものですね。)
吉良上野介の首級を洗ったという首洗いの井戸など。
ちょうど先の歳三忌の際に田村さんの御話を伺ったばかりだったので
血染めの石を前に、「田村さんもとんだ貧乏籤でしたよね…」と
しんみり思ってみたり。。。留守番してただけなのにねー。
(詳しくは平成十七年五月八日歳三忌の巡察にて。)
さてさて。奥の階段を上りきると義士墓地入口の門があり、
そこで門番のおじさんに御線香を頂き、いざ方々の御墓参りです。
朝一番のお参りだったからか他に誰もいなかったので
まずは四十七士、一人一人手を合わせてきました。
大石内蔵助はもちろんですが、今回拙者は萱野さんと寺坂さんには
念入りに手を合わせてきました(>n<。なむなむー。
というのも萱野三平さんは所縁の地が家の近くなこともあり、
親近感がある方だったので(^^)
萱野三平といえば浅野内匠頭が刃傷事件を起こし、
即日切腹となったことを国許に知らせた方ですが、
その道中、自分の母の葬列に出会うも、
御家の大事が先と籠を急がせたといいます。
また、敵討ちに参加したいと願うも父の許しが得られず、
忠と孝の狭間で切腹したのが二十七歳だったというのが
もう切ないったらないです。。。
そして寺坂吉衛門さんはといえば、
NHKの金曜時代劇『最後の忠臣蔵』で知り得ていたので。
本懐成就後、引揚げ途中に寺坂吉右衛門は出奔。
関係者に討入りを報告して廻り、後に江戸に戻って自首するも赦され、
天寿を全うした方ですが、その後半生も大変なものだったと
上川隆也演じる寺坂吉衛門に感化されていたのでホロホロでした。
そんなわけで一時間半ほどかけてじっくりゆっくりお参りしてきました。
あと、義士墓地の裏手には明治戊辰播州赤穂藩戦死者墓もありました。
やはり赤穂の聖地たる場所なのでしょうね。
義士の御墓参りの後に改めて浅野内匠頭と瑤泉院にもお参りしてきました。
因みに今回服装は出張ついでだったのでスーツ姿だったのですが、
なにやら気が引き締まる思いでした。朝からピリッ!パシッ!
んが、折から照りつける太陽に汗だくで悩まされることに…(泣
さて、お参りもすんだところで泉岳寺発行の義士銘々簿など買い求め、
御土産物屋さんでも会社用に忠臣蔵グッズ諸々を買い漁りましたv
←会社でも一緒に語れる人を探そうという目論みです(笑
荷物も重くなったところで、次に向いましたのは東禅寺。AM10:15。
日本初のイギリス領事館が置かれたところで東禅寺事件が有名ですね。
文久元年五月、初代イギリス公使のオールコックを
水戸浪士が襲撃した事件ですが、ここは坂が多くて参りました。
地図を見る限りでは泉岳寺からすぐ近くだと思っていたのですが、
桂坂、洞坂、と上ったり下ったり、、、大変な行程でした(汗
東禅寺で一服させてもらい、次に向ったのは興禅寺。
神保修理さんと萱野権兵衛さんのお墓参りに。
とりあえず電車で移動すべく浅草線高輪台駅を目指すものの、
これまた東禅寺から遠かった。。。上り坂ばっかだしさー(T▼T)
この時点でへっとへとになりながら地下鉄を乗り換え乗り換え、
日比谷線広尾駅下車。これがまた…遠かったよ〜迷子になったよ〜(大泣
なぜかって、これまたショッキングだったのですが、、、
家をでる時に引っ掴んできた父の地図が1993年のもので情報が古すぎて、
地図ではあるはずのない駅がいっぱいできてて、、、
今なら電車があるので歩かずにすんだ所を必死になって歩いてました…
後で気付いてショック、、、( ̄■ ̄|||汗だくになって歩いてたのにっ!
都市開発って凄い。。。地下鉄って伸びるんですねー…ははは。(迂闊。
今なら三田・南北線の白金台駅か白金高輪駅が便利なようですね。
そんなわけで、広尾駅からえっちらおっちら歩き続け、
至る所で道を尋ねながらプラチナ通りを上り、明治坂を上り、、、
そのまま更に坂を下ったところにあったクリーニング屋さんで道を尋ねたら、
「あら、坂の上を左に行くのよ?」と丁寧に教えて下さいました。
「今下りてきちゃった坂ですねー(T▼T。ありがとうございますー。」
てなぐあいで、上ったり下りたり上ったり…いい運動になりました(滝汗。
道標のポイントは「明治坂」の杭がある所で坂を下らずに分岐を曲がることです。
分岐を曲がっればすぐ、鉄柵に囲われた興禅寺がありました。AM11:45。
玄関先のインターホンで会津藩墓地をお尋ねすると、奥様が案内して下さいました。
玄関左手すぐの躑躅が咲き乱れる一画。
階段を上って手前が萱野権兵衛さん、奥が神保修理さん。お隣同士でした。
神保修理さんは鳥羽伏見戦後、萱野権兵衛さんは会津戦争後、
時期は違えども共に主君の為に、藩の為に切腹自刃して果てた会津藩士。
忠義のなんたるかを体現している方々のお墓参りが続いて、
手に汗握る合掌でお墓参りをさせて頂きました。なむなむー(深々。
因みに興禅寺は米沢藩上杉家の菩提寺ですので、
幕末期の米沢藩藩主上杉斉憲、上杉茂憲のお墓もあります。
会津藩墓地よりもっと奥の木々が鬱蒼と茂っている箇所に
大きな墓石がゴーン、ゴーン、と二つ並んでありました。
苦労して辿り着いただけに名残惜しみながら興禅寺を後にして、
AM12:40、次に向いましたのは有栖川宮記念公園。
有栖川宮熾仁親王の銅像があるというので見にいってみることにv
広尾駅の方へせっせと戻ります。とほほ〜。
南部盛岡藩の下屋敷だった所が維新後に有栖川宮の邸宅になり、
昭和九年に公園になったということなのですが、ちょっとした山で驚きました。
沢山の人が遊びに来てたり寛いでいたりと賑やかな公園だったので
拙者も木陰でちょっくら休憩させてもらいました(^〜^;あー涼しい〜。
10分程休憩して、汗もひいたところで次ー行きますっ。
また地下鉄を乗り換え乗り換え、三田駅下車。PM1:25。
行きたいと思った順番で動いているので、場所的には行ったり来たりですが、
近年作られたという「西郷・勝会見之地碑」を見にいきました。
日比谷通り沿いのA10番出口近くにありました。
江戸総攻撃を前に東制軍参謀西郷隆盛と陸軍総裁勝海舟の
会談が行われたという薩摩藩蔵屋敷跡ですね。
そして続けて近くに薩摩藩邸跡に藩邸跡碑もあるというので探してみることに。
PM1:40立派な日本電気本社ビルの前を行ったり来たり。。。
「あらへんし…(゚■゚;」
ビルの北側に碑が立っていると聞いていたのですが、
「北ってどっちやねん…(゚▼゚;」
ようやくビルの脇にあった地図で方角を確認して碑を見つけることが出来ました。
が、あっちへウロウロ、こっちへウロウロしていたので
警備員のおじさんには怪しまれただろうな…失礼致しました。
因みにこの薩摩藩邸跡碑は供養塔だったらしいですね。
今日は朝から初めての場所ばかり歩いているのでドキドキしっぱなしですが、
久しぶりに一人旅の楽しさを思い出しましたv
気をよくして次に向ったのは板橋。やはり東京に出たからには御挨拶をば(^▼^)
「一ヶ月もしないうちにまた東京に来れるだなんて思いませんでしたよ」
なんて、ホクホクしながら合掌してきました。
そこで出会った方々とも歓談させてもらい、楽しい一時を過ごせましたv
お昼ぬきで動いていたので「お腹減ったな〜」と思いながらも、
御茶を飲んで誤魔化しながら次へ〜。後楽園駅へ移動して伝通院へ。
…て、また上り坂。今日何度目の上り坂でしょうか…(ぱたり。
が、日が高いうちに清河八郎さんと沢宣嘉さんのお墓参りをしようと
頑張って歩き続けました。PM3:40。
この日は何か法要が営まれていたようで、沢山の人で賑わっていました。
それに乗じて拙者も安心して墓地を廻って来れました。
沢宣嘉さんといえば、八・一八の政変の際の七卿落ちの一人ですが、
先の歳三忌の際には残念ながらタイムリミットでお参りできなかったので
早々にお参りできる機会が巡ってきてよかったです(^ワ^;
お墓は墓地の本堂裏手奥の方にあり、
一風変わった墓石ですぐわかりました。
特命全権行使の字が立派ですよ。なむなむー。
そして清河八郎さん。こちらにも「一ヶ月もしないうちにー(略」と合掌。
と、他にも徳川家所縁の女性方々のお墓もお参りしてきました。
徳川家康の生母、於大の方。二代将軍秀忠の娘、千姫。
共にめちゃくちゃ大きい墓石に圧倒されました。
そんなわけで、今回は初訪問・初御参りがメインでしたが、
最後の〆は(拙者の中で)今が旬なあの方で(笑。
PM4:30。移動しました先は護国寺。山田顕義さんでございます。
山縣有朋さんまで足を伸ばす勇気はなかったので山田さんのみ御参りv
「今日も一日頑張れました」と、遠い山田顕義さんに向って合掌し、
歩きつかれた足を引き摺りながら護国寺を後にしました。
ほんと、今回もよく歩きました。スーツ姿で。。。←無茶し過ぎ…。
護国寺から一度池袋に出て御土産を買い漁り、無事帰路につきましたが、
家に帰ったら親に「あんた仕事より頑張ってきたんじゃないの?」
って一刀両断されました…。両方頑張ってきたのっ!(`■´;ぷんぷん!
おあとがよろしいようで。
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