巡察

2004.10.10〜11

邦楽部慰安旅行 : 城崎


拙者ったら幸せ者v というのも二週続けて温泉旅行してきました〜♪
一週目は連休で高校時代の邦楽部(琴部)仲間で城崎温泉へ。
そして二週目は会社の慰安旅行で高山・上高地へ温泉ツアーですv

というわけで、まずは一週目の城崎温泉レポです。
こちら、桂小五郎所縁の地…って御存知でした?
拙者は旅行パンフレットを見て始めて知ったんですが、
桂小五郎が潜伏していたという旅館に突撃取材行って来ましたよー!
残念ながら予算の関係でこちらに御泊りすることはできなかったのですが(残念。
(邦楽部の皆〜、つき合ってくれてありがとーv)

城崎温泉一日目。PM4:00。拙者達は宿に着くなり早速浴衣に着替えて、
「温泉入りまくるぜっ!れっつらごー!!」と繰り出したるは外湯巡り
拙者は外湯巡りは初体験だったんですが、着替えが面倒なことを除けば
すごく楽しいですねvvvそれにサウナがなかなかよかったです♪嵌りそうv

どうにもサウナは熱い空気で息苦しくなってしまうので
いけないと思っていたのですが、塗らしたタオルを
鼻と口にあてていたら12分耐えることが出来ました。
って、我慢しちゃ体にはわるそうですね。。。

で、普段サウナと無縁なので今回始めて知ったのですが、12分間計。
12分で一回りするというもので、サウナを利用する際に
時間の目安になっているようですね。ちょっと物知りになった気分(゚ワ゚)

湯あたりしないまでも、二度三度と温泉に入ったりサウナに入ったりで
なかなかいい運動になりました♪ 夕飯はカニ付きの豪勢な御料理を頂いて
至福の時をまったり味わい、気分は修学旅行のようなもので、
夜は恒例の恋話なんぞで盛り上がりました(笑v まだまだ若いよ私達(大笑v

一夜明けて城崎温泉二日目。AM11:00。
さてさて、お待たせしました桂小五郎史跡巡りですv
どうも禁門の変の後に隠れていたところらしいのですが、
投宿していたという旅館へ駄目もとで突撃取材に伺いましたら
突然の訪問にも関わらず御主人自ら御案内してくださいましたvvv
ありがとうございますっありがとうございますっ(゚▼゚)ヾ

当時のままではないものの、桂小五郎が投宿していたという
二階の奥の部屋や、そこで司馬遼太郎も『竜馬がゆく』の執筆を
手掛けたということで原稿(額入り)も見せていただきました。
『竜馬がゆく』の「希望」のくだりを滞在中にお書きになったそうです。

宿の表に司馬遼太郎記の碑文があります。
「往昔、当地は但馬国城崎郡湯島村といい、
 幾内貴顕の湯治場であった。
 桂小五郎、蛤御門の変ののち遁れてここに潜み、
 当館にて主人母娘の世話を受けたという。」

元治元年七月、蛤御門の変にて長州藩は会津・桑名連合軍と戦い敗走。
桂は但馬へ逃れ、京の都を出て路々諸藩の関所を経て出石に着くも、
会津藩士が桂の行方を探索するので、桂はここ城崎に移りました。
時に元治元年九月のこと。

当時ここの旅館は女戸主で、この一人娘で「たき」という方がいて、
桂の身のまわりの世話をされたそうです。
…で、身重になり流産したというエピソードがあるそうなのですが…桂さんっ!?

閑話休題。
そして、こちらの先代の御主人が趣味で集められたという
西郷、大久保、木戸、竜馬らの書(掛け軸仕立て)も見せて頂きました。
なにやら凄く素敵な空間でしたよv 御存知なお方はもうお気付きですねv
こちらのお宿は「つたや旅館」!
今度城崎に泊まりに行くなら「つたや旅館」ですな!!

で、幕末話もさることながら、こちらは志賀直哉も利用した御宿
ということで志賀直哉の面白いことを御主人に教えてもらいました。
直哉のサインの特徴。直哉の「哉」の字の最後の一画「ノ」は
サインには書かない特徴があるということでした。5へぇ。

そんなわけで、まさかに友達との温泉旅行で史跡巡りをかねることができるとは
思っていなかったので、拙者としては二重に美味しい旅になりましたv
今回の温泉旅行で味を占めた我ら。「また来年も企画しようっ」なんて言ってるので
拙者、また幕末所縁の地であることをこっそり願ってます。皆〜よろしくね〜♪


2004.10.10〜11

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