やってまいりましたGW!ついにっ、ついにっ、、、念願の蝦夷旅行です!
長州オフでも御世話になりましたが、今回も『そら色のだんだら』より
蝦夷オフというわけで、二泊三日の旅程で行ってきました!!
今回ご一緒したのは毎度お馴染みのそら太さん、鉄っちゃん、三太さん、
そして諸々の諸事情によりスケジュールを合わせれず初日のみ御一緒できた
みるきぃさん。そして拙者の五人であります。それでは、れっつらごー!
初日、朝11時にそら太さん、鉄ちゃん、三太さんと伊丹空港に集合。
皆時間より早めに集まって、軽く昼食を食べてから展望デッキで
照りつける太陽の暑さにへろへろしながら、今回も当日直前まで頑張って
作ってきてくださったそら太さん御手製のしおりに感激しつつ、
AM12:40伊丹を出発。何年かぶりの飛行機だったので内心びびって
いたのですが、無事にPM2:15函館空港に到着。ほー(TワT)ヾ
「北海道は寒いからっ!」と言われて上着を何枚も持たされてきたのですが、
空港に降り立つや、それほど寒くもなく涼める程度でした。
早速、空港を出れば、そこでみるきぃさんと合流。
レンタカーを手配して迎えにきてくださってました(^ワ^)ありがとうございます!
逸る気持ちを抑えつつ、まずは今日の宿、
湯の川温泉「湯の浜ホテル」に荷物を預けて、
改めて函館市内へ探索に乗り出しました。
今回は函館の専門家みるきぃさんの完全ナビ!
見事な車捌きで私達を案内してくださいました!
PM3:10。最初は土方歳三最期の地へ。
以前は道路真ん中のグリーンベルトの場所に
碑があったということなのですが、
そこでは訪問者が危ないというわけで道脇の一角を
公園にして、そこへ移動させたということでした。
みるきぃさんに頼んで事前に用意してもらった百合の花束を添えて
御線香もあげて、皆で記念撮影もしてきました。
どうも、こちらでは御花の管理もして下さるそうですね。
PM3:20。続いて函館山を背に移動して、
次に向かったのは亀田八幡宮。
函館戦争の降伏交渉が行われた場所ということで、
丁度陶器市が開かれていたのですが、
その駐車場の脇にとめさせてもらいました。
お宮さんの社殿は文久三年に改築された
市内で最も古い木造建築で、函館戦争時に受けた
銃弾の跡があるというので、皆して社殿の周りを
うろうろ。。。「これ…かな?…これ、かぁ??」
と散々嘗め回したのですが(怪)虫食いか朽ちた跡か
銃弾の跡がどれだか見分けがつかず断念。。。残念。
さて、次に向かったのは五稜郭。丁度桜の季節で辺り
一面春爛漫の御祭モードだったのですが、それ故に
花見客があいまって酷い交通渋滞。あげく駐車場が
空いていなかったので、ここは後回しにしてそのまま
北上して権現台場跡へ。PM3:55。
ここは五稜郭の鬼門に当たる位置で、これを鎮護すべく
慶応元年に東照宮が建てられました。
箱館戦争時にはは、四稜郭と五稜郭を結ぶ防御線上の
重要地として旧幕府軍が砲台を設けて立てこもり、
権現台場と呼ばれた次第です。
明治二年(1869)五月十一日、新政府軍の攻撃を受け
東照宮の社殿は焼失。それでも御影石の大鳥居は残されて、
現在は神山稲荷神社が建っています。
この大鳥居、五稜郭や弁天台場の石垣造りを担当した
石工井上喜三郎の作ということです。凄いですね!
石段で子供達が遊んでいたのですが、拙者達が熱心に
史跡を撮影しているのを面白がっていたので
一緒に写真撮影してやりました!元気がいいぞボウズ共っ(^ワ^)
PM4:05。そして次に足を伸ばして四稜郭へ。
土塁が目に見える形で残っています。
身の丈程度の土手といった感じです。
今は公園として整備されており、拙者達が訪ねた時にも
この土塁脇の広間でジンギスカンをしている方達がいて
楽しそうでした(^―^)当時の情景とミスマッチで可笑しかったです(笑
PM4:30。そして改めて五稜郭へ。
ぐるっと周辺を回ってみたのですが相変わらず駐車場は
満車状態だったので、「失礼しま〜す…」と、
脇の寿司屋さんの駐車場にちょこっととめさせてもらって
いざ五稜郭〜!念願の五稜郭入りに感動〜(TワT)
また桜も綺麗で、今年三度目の花見で胸を一杯にしながら
あっちでもこっちでも写真撮影しながら入っていきました。
もとは箱館奉行所が置かれていた五稜郭。
箱館奉行所は砲撃による被害を最小限にするために
地べたに這うような形をしていたということで、
箱館戦争時には港から撃ち込まれる砲弾がここまで
届いたということです。軍艦の大砲の射程距離内に
位置していたなんて、、、あいたたた〜(T■T。
中に入っていくと箱館奉行所の内玄関式台に使われていた
という屋根の一部や大砲がデデンと据えられてありました。
奉行所の建物があったであろう場所は何もないのですが、
それらの正面にあるのが函館博物館五稜郭分館。
昨年の夏に浜松の中島銃砲店を訪ねた折に、奥様から
中島登が描いた隊士絵図をこちらの五稜郭分館に
寄贈したという御話を伺っていたので、すっごく
楽しみにしてきたのですが、残念ながら今日はもう
閉館した後でした。。。しょぼぼん(゚▲゚。
しょうがないので博物館は後日を期待することとして、
武田斐三郎先生へ御挨拶。武田斐三郎とはこの五稜郭、
我が国初の西洋式要塞を設計した方です。
佐久間象山の推挙で幕府に出仕し、安政元年(1854)に
蝦夷地出張を命じられて、要塞建設の一切を任され、
そこでオランダ式の築城法を取り入れ、
弁天台場やこの五稜郭を築城したのです。
顕彰碑があるのですが、顔だけ見事に磨かれています。
どうも「斐三郎先生の顕彰碑を触ると頭が良くなる」
という噂で皆が触っていくためにツルツルになって
しまっているようで。まるで奇面フラッシュ(笑。
拙者達も右に倣えで触ってきました。
さて次に五稜郭タワーへ。
タワーの上から五稜郭を臨んだのですが、とっても美しかったです。
桜に彩られた星型の城が夕日色に色付いて素敵でした(^▼^v
三太さんと二人してきゃーきゃー♪言っていると、
「冬の五稜郭はもっと神秘的で綺麗なんだよ♪」と
みるきぃさんより雪で真っ白に染まった五稜郭の写真も見せてもらい、
「冬にもまたこなくっちゃねっ!」なんて鼻息を荒くした二人でした(笑。
加えて、タワーの上に歳さんの胸像を発見!
早速ツーショットで写真撮影♪
---------------------------------------------------------
【後日談】五稜郭タワー「歳さんと一緒にハイポーズ!」当選。
創立40周年感謝イベントにこのツーショットの写真を
面白半分で投稿したところ…、
なんと「今月の、ハイポーズ!」に見事当選(大笑っ!
タワーHPで公開されていますが、記念品として歳さんの
クリスタルを頂きました♪ 愛の力だねっ(恥。
---------------------------------------------------------
散々はしゃぎたおした挙句、タワー上での御土産をちょこちょこ
買い込み、(寿司屋さんには頭を下げつつ)五稜郭を後にして
中島親子最期の地へ。PM6:20。すでに夕暮れ間近だったので
手を合わせて急いで写真を撮り、最後に無理やり碧血碑へ!!
PM6:45。すでに碧血碑に辿り着いた時には
日が暮れてしまい、手を合わせつつ、何か出てきそうな雰囲気に
背筋を寒くしながら碧血碑をバックに皆で記念撮影。。。
みるきぃさんより碧血碑について詳しく教えて貰ったのですが、
この碑の裏側に「明治辰巳実有此事 立石山上以表厥志」と
彫られているのですが、これは「明治辰巳に実にこのことあり、
山上に石を立て、以ってその志を表す」とよむもので、
「明治辰巳に実にこのことあり」が、箱館戦争の事をさしています。
ですが建立目的を漠然と記すのみで、建立者に関しては
何も記述がありません。。。これは碧血碑建立当時でも、
旧幕軍に関わる事はまだ禁忌な時期だった為かもしれません。
他にも推測ながら碧血碑の色々な説を教えてもらったのですが、
この碧血碑の文字は大鳥さんの書をも言われているそうです。
また、ここに土方さんの遺髪が納められたという言い伝えの様な
ものもあるとか。みるきぃさん的に有力説は、
「土方さんの戦死の際の状況を考えると、敵弾に倒れた後、
首だけを五稜郭に持ち帰り埋葬。」と言うのが一番有力かなぁ?
とのこと。この機会に箱館戦争をじっくり勉強してみようと思い、
上記推察にあたり、みるきぃさんより推奨本を教えて頂きました。
新人物往来社の『誰も書かなかった箱館戦争』。
後日さっそく古本屋にて購入。頑張って勉強しますねっ(゚―゚)>
そんなわけで碧血碑を後にして、すぐ隣の東軍を祀った妙心寺
にもちょこっと顔を出してから、初日の探索を終えることに。
レンタカーを返却して、函館駅からバスで湯の川に向かったのですが、
時間ギリギリだった為にレンタカーから駅まで皆して全力疾走した
為に、もうバテバテ。。。初日最後にして体力消耗しました(疲。
が、今回は初日の宿が特別仕様♪こちらの温泉は土方歳三も
入浴したといわれる伝統的な「赤湯」。というわけで脱衣所には、
あらいやだ歳さんが…(゚ん゚)(゚ヮ゚)(゚0゚)(゚ヮ゚)(゚▲゚)
「堂々と覗き見ですかい?」なんて(笑)五稜郭戦争に関する
パネル等も展示してありました。
そして旅館ならではの料理も部屋で頂けて、凄く良かったです♪
拙者は昼食がホットケーキだけだったので御腹ぺこぺこだったのですが
「もう食べれない〜」という鉄ちゃんや三太さんから御刺身や御団子
まで頂いてしまいました。だって美味しかったんだもんっ(^ワ^ゞ
そんなわけで、初日からして全力疾走です。
そのまま勢いが落ちないように明日は松前・江差へ大移動!
2004.5.2 ⇒  |
|