さて今回は『新撰誠覇』の大阪オフ会に参加しました(^ヮ^v
当初は一人旅の楽しさに酔っていましたが、最近はオフ会の楽しさに開眼(笑
エスコート役は誠覇の管理人、ぺー輔さん。
そしてそら太さん、雪乃さん、ひなきさん、拙者の五人で行ってきました。
ぺー輔さんから伺うところ、今回のオフ会コンセプトは誠覇らしく(?)
『個人ではなかなか行かないところ』巡りとのこと。ドキドキですv
今回は移動時間短縮の為に電車移動が主ということなので
大阪市内「地下鉄・バスの一日乗車券¥850」を利用(^―^)
AM11:15。適塾前にて皆さんと合流。
早速、洪庵先生の銅像前で記念撮影。
前回もそら太さんと訪ねた適塾でしたが、再参観、¥250。
今回はぺー輔さんの解説付きですごく勉強になりました!
拙者はこの時もまた大鳥圭介が適塾生だったことをど忘れていて
「どうして大鳥さん関係のものが〜(以下略)」とボケボケ。
…どうしても拙者は大鳥さんを適塾生にしたくないらしい(謎。
三十分ほど適塾を楽しみ、まずは腹ごしらえをと近くのお店で昼食タイム。
ペー輔さんより御手製のオフ会のしおりを頂き、
旅程の説明を受けて、改めて皆で自己紹介(^―^)丼をつつきつつ
新撰組・幕末話に花を咲かせ、一息ついたところで巡察再開!
今回はぺー輔さんの完全ナビ。…なので振り返ってみれば
何処をどう歩いたのか…さっぱり(゚ヮ゚;)レポで説明できない…う〜(泣
なので以下は場所の名前だけで、行き方は省略して綴ります。
詳しくは別箇史跡地図など利用して調べましょう。。。
というわけで梅田まで移動してPM1:00、本伝寺到着。
谷三兄弟のお墓参りです。お寺の周辺がこれまた如何わしい場所で
情緒とかの欠片もないのでご注意を(' ヮ ';)
お墓は墓地の中程にあり谷三十郎、万太郎、昌武の名前は墓碑に
ちゃんと名前を確認することが出来ます。
PM1:30。本伝寺を後に、電車移動して南森町駅下車。
次に向かったのは竜海寺。緒方洪庵と、その先生、それに
大村益次郎の大腿骨埋葬の地です。駅から徒歩で10分程度。
門前に「緒方洪庵墓所」の碑がたっています。
右側が洪庵緒方先生墓、左側が奥様のお墓です。→
ここでペー輔さんより「墓石に姓と名が逆転して刻まれるのは何故か」
などの講義を受け、それぞれに手を合わせてきました。
PM2:25。玉造駅へ電車移動。次に向かったのは心眼寺。
京都見廻り組の桂早之助、渡邉吉太郎の墓所です。
竜馬ファン因縁の地ですね。。。どちらも今では無縁仏となっていて、
墓石の山から両者を見つけるのはちょいと骨が折れますが、
ペー輔さんがすでに桂さんのお墓(左手下段)は発見されていたので、
渡邉さんのお墓を探すことしばし。。。
拙者「あれではっ!?」と左手上段に「渡邉」の姓が刻まれた墓石を発見。
皆して頑張って手を合わせてきました。
で、帰り際気になったのは心眼寺の紋。六門銭だったんです。
何かあるのかな?
PM3:00。電車で四天王寺前夕陽丘駅へ移動して、四天王寺へ。
桜田門外の変の首謀者、高橋多一郎、庄左衛門父子のお墓がある
というので連れて行ってもらいました。桜田門外の変は御存知、
今の警視庁前での事件ですが、彼らは逃亡の末ここで切腹したとのこと。
そんな彼らのお墓はどんなものかとお参りしてみれば、、、
墓碑銘に一同引きました。「怨霊消滅」…(゚―゚)。
仏教用語か何かあるのかしら??
墓石は新しくて、向かって右側面に
両者の名前がしっかり刻まれています。
次に一心寺へ。こちらは拙者何度も訪ねていたのに
気付かずスルーしてました…、高橋泥舟の筆による
「東軍殉難者慰霊碑」が本堂正面左手側にあります!
そして本堂正面塀の裏手にあります
会津藩士の御墓参りをしてきました。
そうそう。以前の巡察でも触れた一心寺で有名な「酒封じ祈願」。
家康四天王の本多忠勝の第二子で、酒を過ごして大阪夏の陣において
戦没したという本多忠朝。彼が自己反省から
「酒で身をあやまるものを助けん」と遺言したとかで禁酒を願う
参拝者が多いということなのですが、この日目に付いたのは
絵馬ならぬ杓文字。。。杓文字に禁酒祈願が願掛けされていたのですが
これってどういう意味なんでしょう。。。(゚ヮ゚;)
色々お寺としてはちょっと風変わりな一心寺を後に、さらに南下して
次に訪ねたのは統国寺。門前にあるインターホンでお寺の方にお参りの
許可を頂き、応対があると同時に自動で開く門…。ハイテクです。
入ってすぐ左手脇にベルリンの壁が二枚あり、「どうして??」と
一同首を傾げつつ墓地へ。(今日は不思議だらけだ…(゚ヮ゚)ほえ〜。)
こちらには藤井藍田と、その師匠の広瀬旭荘のお墓があります。
藤井藍田とは慶応元年五月二十六日に新撰組に捕らわれて
新撰組の大阪の屯所とされていた万福寺の牢に入れられて
拷問の末、牢死したといわれている人物。。。町人勤王家です。
さて、日も暮れてきたところで本日最後の阿倍野墓地へ。
五代友厚のお墓と長州藩士の墓地へお参りに行きました。
五代友厚とは高杉晋作とともに上海へ密航したり、生麦事件では
グラバーを通じて和平工作などを行ったという薩摩藩士。
初代大阪商工会議所会頭で、今のマイドームおおさかの建物の
正面左脇に立派な銅像も立ってます。
そして長州藩士の墓碑は全部で48。禁門の変で亡くなった46名と
別件で亡くなった2名のお墓ということで、
ちょっとせつなかったのはお墓にランク付けがされていたこと。
身分によって墓石の高さが異なっているんです。
それを教えてもらって時代を感じました。。。
そんなわけで今回の大阪巡察も予定通りに無事終了!
その後は天王寺で飲み会となり、拙者下戸ながらも御酒に挑戦。
皆でもりもり食べながらペー輔さんの歴史考察(他言厳禁話)
などで盛り上がりました!今回もとっても楽しかったです!
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