今年も総司忌に参加してきました。
前日の二十一日夜、一人夜行バスに乗り込んで、いざ東京へ。
丁度この時期は梅雨の最中で、ここ一週間も連日雨続きで
総司忌当日の天気が心配されたのですが。。。
天気予報では曇り。雨さえ降らなければOKさっと
弱気に携帯折畳雨傘を鞄に詰め込んで行きました。
が、明けて二十二日。AM6:30過ぎに新宿へ無事到着してみれば
目も細めるくらいの晴天快晴っ(0◆0)傘が荷物になってしまいました。。。
しかし梅雨時期にこれはしてやったりと思い直し、早速今回も巡察開始です。
まずは西武新宿線の新宿駅に向ってそこから沼袋駅まで。
今回、多忙続きで事前に巡察経路の下調べが十分に出来ず、
前日の昼に資料をひっくりかえして急遽仕立て上げた計画。。。
向う先は貞源寺。片手百人斬りの伝説を持つ伊庭八郎さんのお墓参りです。
伊庭八郎さんといえば遊撃隊。
慶応二年(1866)新設の遊撃隊に参加して、
鳥羽伏見の戦いにも参戦して奮戦するも、
この時胸部に甲冑の上から銃弾を受け負傷。。。
しかし奇跡的な軽症で助かったといいます。
その後、戦に敗れた幕軍と共に海路江戸へ戻りましたが、
同僚、人見勝太郎らと共に江戸を脱走し上総に逃れ、
兵を率いて船で相模国真鶴に上陸した新生遊撃隊は、小田原から
熱海・韮山・三島・御殿場・甲府・沼津・小田原と転戦。
一度は箱根の関門を占拠して小田原藩と同盟を結ぶも、
小田原藩が新政府軍を恐れて同盟を破棄した為、湯本で再戦。
この時、八郎は小田原藩のどっちつかずの態度に立腹。
「反復再三、怯惰千万、堂々たる十二万石中、復一人の男児なきか」
そう痰呵をきって、小田原を去ったのだとか。
この箱根山崎の戦闘中、八郎は湯本三枚橋で左手に重傷を受けて敗退。
しかし三枚橋で敵に遭遇した時、左手を失いながらも
群がる敵を一蹴させ勇名を馳せました。これが片手百人斬りの伝説。
「伊庭の小天狗」とも称された文武両道の八郎さん。
そんな彼は「清秀なるなかに和気ありて一個の美丈夫なり」、
「ごく優しい美男子で…」と当時の人が証言を残してますので
美剣士だったようですねv まだまだ拙者は伊庭さんについては
不勉強なのですが美剣士と聞いては勉強せずにいられません(笑
左手の重傷で戦線を離脱せざるを得なかったものの、
後に沼津から幕府艦隊で榎本武揚とともに箱館を目指し
松前に駐屯中の遊撃隊に合流。
函館戦争において新政府軍と各地で戦い、
ついには木古内の戦いで肩と腹に銃創をこうむり陣没。
五月十一日、箱館総攻撃にさらされて
陸軍歴戦の土方歳三が戦死。
海軍も破れ、旧幕軍の敗色が決定的となり
恭順か自決かの選択を迫られるのみとなった箱館戦争終局間際。
一説には榎本自らが病室の八郎を訪ね、榎本が薦めたモルヒネを
完爾と笑って飲み乾して眠るように息を引き取ったといいます。
享年二十六歳。遺体は五稜郭内に土方歳三の遺体の側に埋められたそうです。。。
で、お墓参り。沼袋の駅からは貞源寺のHPから入手したMAPを頼りに
駅から徒歩でひょこひょこ15分程度。住宅内を縫うように行く為、
しっかり迷子になりました(笑 それでもなんとか辿り着き、
AM7:30。朝一の訪問でしたが門が開いてましたので御邪魔してきました。
入ってお釈迦様に挨拶の後、墓地は本堂のすぐ裏手にあったので
伊庭さんのお墓を探してうろうろ。…うろうろ…。。。…(ーー;)見つからない。
これはマイッタなぁ…と思い、お寺の方に伺うことに。
朝早くから申し訳ありませんと訪ねると御婆さんが迎えてくれました。
伊庭さんのお墓参りがしたいのですが、と伺えば大阪から朝一に
訪ねたことを喜んでくれて、お墓を案内してくださった上に
御線香まで用意してくださって。
自分で用意してくる余裕がなかったことに恥じつつ
お線香をあげさせていただきました。前日にも何方かお参りされた様で
顕花されてありました。伊庭さんのお墓は直接の繋がりではないものの
御弟子さん達に囲まれてあったので、とても幸せそうなものでした。
御天気が良かったせいもあるかもしれませんがv しばし手を合わせて
伊庭さんに語らっていると、そこに一匹の蜂が。
←虫(特に刺す虫)嫌いなので
驚きついでにひっくり返りそうになったのですが(笑
蜂になって八郎さんが迎えてくれたようです(^_^)
ゆっくりお墓参りさせてもらった後、お礼を言いに引き返せば
御住職の御内儀が御茶と茶菓をご馳走してくださいました。
そして一服ついでに色々な御話を聞かせていただきました。
拙者は貞源寺のHPを窺って伊庭さんのお墓参りに
来ることが出来たのですが、HPはつい先月あたりから
開設されたものだということで、すごくタイミングの良いものでした。
そしてお寺で行われた御能の御話を伺ったのですが、
なんと敦盛(あつもり)を三人で演じられたというのです。
なんとも新しい試みだということで今度の秋には實盛(さねもり)を
演じられるとのことです。本堂の仮設舞台で演じるということで
写真も頂いたのですが、凄くアットホームな感じがしました(^―^)
それもそのはず。全ては「御縁」で集られた方々だというのです。
「御縁」の御話はとても新鮮に感じられました。めぐり合わせというものの
素敵な幸運を伺えたのです。こうして拙者が御話を伺えたのも御縁。
新撰組に出会ってそこから色々な人と交流が出来るようになったのも
全てが御縁だと言うのですから、なんとも感無量な感慨に耽りました(笑
そんなことで、御住職様にはお会いできなかったのですが
伊庭八郎忌の御話なども伺えて素敵な御縁に恵まれた朝。
すがすがしい気分でAM9:00貞源寺を後にしました。
気付けばすごく長い時間御邪魔してましたよ。。。(^_^)
で、沼袋駅に立ち戻り、次に目指したのは浅草!
昨年、時間がなくなってしまい訪ねそびれた今戸神社訪問の為に!
この時、先輩隊士の東氏から連絡が入り今戸神社で合流することに。
AM10:00。浅草駅に辿り着いた拙者はまずは雷門を拝みに浅草寺へ。
が…どうも改修工事(?)ということで丁度この時雷門が取り外されてまして…
観光客がっかりさせないでよ。。。と肩を落としてから
隅田川の方へ足を向け直しました。浅草寺前の人力車の御兄さんから
今戸神社の場所を窺えば隅田公園を通って行くと良いよ?ということだったので
てくてく公園内を散策。青々と茂った桜の木の下を毛虫を警戒しながら進み(笑
グラウンド手前で通りに出て待乳山聖天を過ぎ本龍寺を過ぎれば
今戸神社はすぐです。駅から徒歩15分程度でしょうか。
この今戸神社。縁結びの神さまとして知られているそうですね。
イザナギノミコトとイザナミノミコトが祀られており、
子孫繁栄の男女の神ということで縁結びが謳われるようになったとか。
それと応神天皇とその母である神功天皇も祀っており、
安産の神としても崇敬されてるんだそうですよ。
そして今戸焼き発祥の地でもあるということで、
二匹が一体となった今戸焼き招き猫が授与されてました。
で、沖田総司の終焉の地碑。ありましたよ。
今戸焼き発祥の地碑の横に。こちら松本良順の私邸跡だということで、
沖田さんの終焉の地説は此方と千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅説がありますが、
この地で療養したことは確かだと思われます。神社は元は小高い山の上にあり、
山を切り崩して平地にしたということで位置は同じでも当時とは高さが違うそうな。
そうこうして沖田さんに想いを馳せるも、東氏を今戸神社で待つも
時間が惜しかったのでもう一移動。
江戸へ引き上げてきた新選組の隊士達が、
松本良順の治療を受ける為にしばらく滞在したという称福寺を探しに。
が。事前にしっかり調べていかなかったサーチ不足に足を引っ張られ
消防署の方に場所を窺ったまでは良かったものの東氏との待ち合わせに
時間が惜しまれ結局行けず終いでした。また来年でござる(笑
そんなこんなで東氏とは無事に合流できたので早速六本木へ向うことに。
総司忌で沖田さんのお墓参りができる時間は限られているので遅刻はできません。
六本木駅から専称寺まで、気持ち早足で先を急ぐも、去年工事していた
六本木ヒルズが行くてを阻み(方向音痴)あっち?…こっち…?と
ヒルズの案内板と睨めっこしながら専称寺に向いました。(無事辿り着けて良かった。
今年は去年(ギリギリだったので)より早めに参ったので混雑の最中でした。
墓地の脇に連なる行列。。。沖田さんの墓参りに参じた方々。
その数、ざっと30(は下らないでしょう)。。。すげ〜(@▼@)
この時、外気温はどのくらいあったでしょうか?
快晴も真夏日並の晴れ具合で、日向で並んでいると
ノースリーブでも汗ばむ陽気。日焼け対策をしてなかった為
待っている間、鼻の頭や首の後ろがジリジリ焼けて暑かったです〜。。。
そして待つこと20分程度。ゆっくり順番待ちの間、
気持ちを落ち着けていたのですが。。。
実は朝食抜きで巡察していた為、
拙者の腹はぎゅるぎゅる鳴りっぱなし。
沖田さんの前で恥ずかしいなぁ…と思いながら
手を合わせてきました。一年ぶりの再会(‘―‘)
大河ドラマで新撰組が報じられることなど語らってきました。
で、無事お墓参りも済ますことができたので総司忌講演会参加の為に渋谷まで移動。
しなければならなかったのですが、電車で移動すると、時間がかかる上に遠いので
去年同様タクシーを拾うことに。が、今年は先輩隊士の一人が都合がつかず
東氏と二人だけだったので、二人でタクシーを使うのは勿体無い。。。
ということで一緒に講演会参加される方と同乗しようと思い立ち、
お墓参りで後ろに並ばれていた方をナンパしました(笑
「タクシーご一緒しませんか?」と口説くと(笑 快く承諾してくださいリ、
一緒にお昼御飯をコンビニで買い込んで講演会も一緒に参加することに。
HN、蒼川侃さん。会場で改めて挨拶を交わしました。蒼川さんは総司FANということで
なんと静岡から御一人で参加しに来られたとの事でした(凄っ ←人のこと言えない(笑
PM1:30。いつものように朗読から始まって、
今回は山村先生の講談。今度のNHK大河ドラマ「新選組!」で
時代考証をご担当されている方ということで、大河作成の
裏話や今現在の脚本の進み具合、それに掻い摘んで内容紹介など
面白おかしいネタ話をてんこもりで聞かせてくださいましたvvv
時代考証という御仕事は、脚本の舞台設定に無理がないかとか
(その時点にいる筈のない人物が登場してないかとかいったCHECK)
舞台の情景や衣装、小道具などを考証するというものだそうです。
提灯一つにしても、模様の入れ具合にもちゃんと理屈があるのだとか、
池田屋騒動の本当の突入経路や戦闘模様がどんなだったかなど
図解などを示して頂き、大河の時代考証にあたっている様を伺いました。
キャスト発表で「いいかげんしたらあかんよ?」と思わされたりもしましたが
大河作成の裏舞台では皆さん真剣に(…御遊びな所もありますが)
取り組まれている様を紹介して頂けて「やっぱNHKやもんね」と思い直さされ
「新選組!」が本当に楽しみになってきましたv ちょっと脚本の触りを綴りますと、
第一話からして近藤・土方・桂・龍馬がひょんなことから出会い…
しかも四人つるんで黒船を見に行っちゃったり!!って豪華メンバー(笑
加えて佐久間象山も出てきて(第一話からして話の展開がよく分からないっ)
近藤さんを「鬼瓦」、土方さんを「木綿豆腐」呼ばわり!!
百歩譲って鬼瓦は許しましょう。。。けど誰を捕まえて木綿豆腐ですって〜!!
んもうっ(T▼T)掴みはOKですね〜(笑 しかも今の時点で脚本は10話まで
綴られているのだそうです。(歳三忌の折に伺った時は8話だったので一ヶ月で2話…)
遅筆と言われている通りスローペースなのだそうです。が、驚いたのはこの10話。
舞台が全て江戸とのこと。。。まだ京都に出てないんですよ彼らはっ(@■@;)
…いいんですか?タイトル「新選組!」ですよ?まだ新撰組の「し」の字もありません。
函館まで描かないという理由が見えました(笑 大河、新撰組は一年じゃ短いよっ!
といった具合に、気の抜けない講演内容でした(笑 また去年同様、士道塾の
方々が殺陣を披露してくださいました。拙者は最前列に陣取っていたので
目の前で間近に殺陣を拝見することが出来て大興奮しましたv かっこいい〜vvv
で。。。毎度最後に行われる抽選会。今回も(これで三回連続っ)空クジでした(T■T)
こうもすり抜けてゆく籤運。呪われているのでしょうか?
蒼川さんはまんまと新撰組キティのストラップが当選v 今回キティグッズが多かったです。。。
が、いつか番傘当てたいです!民宿THE土方の宿泊券も魅力的です〜vvv
好い加減御開きとなって拙者と蒼川さんは渋谷で御買い物を楽しんで
帰路、新撰組・幕末維新TALKに熱中しました(笑 やはり好き物同士、気が合う(嬉
東京駅から新幹線は「こだま」と「ひかり」で蒼川さんと御一緒できなかったのですが
朝方伺った「御縁」を蒼川さんとの出会いにも見つけることが出来て幸せでした。
事前に調べる余裕がなく、急拵えの総司忌旅行でしたが、今回も無事行って来れました。
また来年に向けて勉強しなくっちゃv …来年は大河の影響で凄いことになりそうね(0_0;)
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