■ 井上 源三郎 : 忠義者


信頼―――――

文政十二年三月一日生まれで、近藤勇より五つ年上の彼。
八王子千人同心、井上藤左衛門の三男で、
武芸熱心に天然理心流で剣の腕を磨きました。
腕の程は確かだったようで、免許を貰っています(^〜^)
が、新撰組の活動の中で彼の腕の程を窺うような
エピソードが無いのは…どういうことでしょう??

近藤・土方・沖田はその存在感を十二分にアピールするほどの
活躍劇を演じて幕末から今にかけてもなお語り継がれる
エピソードを幾つも残しているのに対して、
彼はいまひとつパッとするものがありません…
人一倍美男だったわけでも人を斬ったわけでもないからでしょうか?

残念ながら、華々しく注目を浴びていないように感じられる彼…
世の若い女性達は、やはり若い男に魅力を感じる為か
人気は土方・沖田に集中してしまうようです…
(実際…拙者も土方さん大好きですし…("〜")>)

で、ただミ〜ハ〜に土方さんや沖田さんを追っかけているだけだと
きっと知らないであろう、彼らと源さんとの関係
(あ、井上さんって“源さん”の通称が親しみを感じさせますよネ v)
源さんは沖田さんの親戚でもあるんですよ?
加えて、土方さんとは同郷ですしね。

試衛館でもずっと一緒に近藤・土方・沖田達と共に修行して、
彼らとは同士として以上に深い信頼関係にあったはず。
試衛館から浪士組に参加して京に上るにあたっては
源さんが一番の年長者だったのから
近藤・土方らにとって気持ち的に頼りになる存在であったでしょうし、
源さんも「しっかりせねば!」と思ったことだとでしょうね。

京に上って隊を結成してから新撰組の活動に励む中で、
そんな具合に幹部とは信頼関係厚い源さんの
アッ!というような活躍が突飛して語り残されていないのは
偏に源さん自身の人柄だったのでしょうか?

司馬遼太郎氏の新撰組を描いた作品などでは
近藤・土方にしてみれば同郷で信頼する源さんだからこそ
決して死なすわけにはいかない…といった心理が働いていたのでは?
という様に見受けられましたが、これって熱い人情が伺えるものですね。

武士として!男として!…というような見方からだけだと、
「みくびるな!」というようにも解釈されてしまうかもしれませんが、
源さんなら「ありがとう」と近藤・土方に応えるんでしょうね…(゚_゚)
そういう源さんの人物像が拙者の中では描かれています。
生来の忠義者で誠実家で人情厚くて…

土方・沖田に比べてパッとしないのは、ただただ
内に秘めた力を表現する機会が与えられなかっただけのことなのでしょう。
そこがまた魅力的だと拙者は思うのですよ。
斬りあいに参加していなかったのかと言えばそうではなく、
しっかり池田屋騒動でも活躍して報奨金を下されているし、
鳥羽・伏見の戦いでは決死の覚悟で薩摩の陣へ斬り込みました。

そう、新撰組は淀の千本松原に布陣して官軍を迎え撃った時、
銃撃戦の中で源さんは弾丸にあたって即死したのでした。
普段は無口でおとなしい源さんだったからこそ、
戦の中で散ったその最期には土方や沖田とはまた違う感慨深さがあります…。


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