■ 土方 歳三 : 身ノ丈


166.5cm―――――

かの方の身長であります。 御存知でしたか?
どうにもしっくりこないのですが… どうでしょう (゚_゚)?
『燃えよ剣』でバッチリ土方FANと化した拙者…
五尺五寸の身長が当時では長身とされていたとあり、
当時の標準がどれくらいかも知らないのに
「ほぉ〜v やはりカッコ良いしね〜v 背も高いんだぁvvv 」
なんてウットリしながら、今の感覚で言えば180cm位を想定して
想像を膨らましつつ彼の活躍を堪能していたのですが…
なんてこったい!?
五尺五寸たぁ拙者と同じくらいではないか…(゚■゚;)

尺貫法は聞き及んでいても、実際、
一尺の長さ・一貫の重さは結構知らないもので…
今じゃ普段の生活でそうそう耳にしないですからね。

一尺は30.3cm、一寸は一尺の十分の一の3.03cm。
明治に15sが四貫とされたので一貫は3.75sということになります。

当時の日本人って小柄だったとは聞くものの…
まさかに大好きな方の身長を自分と照らし合わせて
どっこい×2だったとは…どうにも意外ですね。
現代じゃ女子でも165cmなんてザラですものね。

と、まあ意外性に驚きつつ親近感を覚えもしました。
物語や映画で描かれる土方さんを見ていると、
どうにも世界が違う人のように思えてしまうんですよ…
いえ、確かにあの時代あんなことをやってのけた人ですから
そう思えてならないのは無理からぬことですよ?
でもね、「ああ、やっぱり人なんだな…」と思えたわけですよ。
たかだか身長のことなんですが、
そこにも日本人らしさを感じれて、この同じ地に生きた人なんだなぁ…とね。

して、かの方の身長でありますが、きっと普通に生活していたら
もっと高くなっていたかと思われます(゚_゚)☆
剣術をやるとどうしても踏み込みで体重を支える足に負荷がかかり
その足が短くなるから…(極端ではありませんが)
が、鬼のように足が速いと言われているところを考えれば、
歩幅のインターバルが長かったのでしょう…
つまり足が長いということですよ!うむ!
…小回りがきいて回転数が多かったという考えなら
タンソク(なんですと!?)ということにもなりますかねぇ?
しかし、しかし。現存の写真を伺う限りでは均整のとれた体付きv
当時では背も高かったのですから、たいそうモテタことでしょうねぇ…("▼")


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■ 土方 歳三 : 散華

七日―――――

土方歳三戦死から七日後に五稜郭陥落…
蝦夷共和国の消滅…
七日……? …たったの…七日?
…この日数に唖然とするのは拙者だけでしょうか?

「これを義兄、佐藤彦五郎のもとへ届けてくれ」
土方はそう言って小姓の市村に写真と手紙、
そして愛刀の和泉守兼定を手渡しました。
「土方さんについていきたい」
そう言って日野へ向かうことを拒む市村を
「命令違反は許さない」
と怒鳴りつけ…
蝦夷に来てからずっと一緒にいた十六歳の少年を
土方は戦場から離脱させたのでした…
時に明治二年五月三日―――

この時点で戦局はかなり悪化していたと言います…
明治二年四月九日、政府軍が乙部へ上陸してから箱館進行は進み、
各要所要所を確実に攻め込まれてしまいます。
幕府軍は戦いに備えるも、政府軍の圧倒的戦力の前に連戦連敗…
その中で土方率いる一軍のみがもちこたえて
二股口で十六日間も政府軍を足止めします。

しかしついには箱館も政府軍の手に落ちてしまい、
弁天台場と五稜郭の間に位置する箱館は三日三晩戦火に包まれ、
孤立した弁天台場を救援するために土方は僅かな手勢で出陣しました。
このとき弁天台場にはかつての新撰組の仲間達が詰めていたのでした。
これが明治二年五月十一日――――

無謀にもこの戦いに土方は奮戦し…
戦いに明け暮れた日々の終止符として銃弾を受けて戦死。
享年三十五歳。

綴りながら涙が止まらないのですが、
土方さんの死は謎です…
まず、何処で死んだのかが分からないんです…
一本木関門か鶴岡町か異国橋か…??

加えて遺体も何処に埋葬されたのやら…
五稜郭の何処かに埋葬されたという説もあれば、
七重村閻魔寺という説もあるそうで…??

みんな記録はバラバラで、証言者も直接目撃してはいないというものばかり…
はっきりしているのは五月十一日に死んだということだけ…
(因みにこのHP立ち上げはこの日に引っ掛けさせて頂きました)

三日後の五月十五日、弁天台場が降伏。
新撰組も政府軍に降伏したのでした…
続けて明治二年五月十八日、五稜郭陥落。
土方さんの死から一週間で箱館戦争が終結したのでした…

拙者はこの一週間というのが気に入りません…
いえ、戦争は早く終結するに越したことはありませんが、
土方さんは戦死したのに、榎本武揚氏は降伏して生き長らえたばかりか
あまつ反乱の首謀者だったにもかかわらず新政府に登用されて
外務大臣、清国大使、大臣歴任に加えて子爵の位まで授かって…
むっき〜〜〜理不尽なんじゃないの〜〜〜<(>■<)>みたいな?

確かに榎本さんの個人能力と身に付けた最新技術は
時代的にも貴重なものだったから、この待遇だったというのは承知…
戦況だって不利だったのだから、皆して討ち死にしたほうが格好良いじゃない!
なんてことは言いませんけど!!(命は大切!!)
欧米列強がよだれをたらしている中で、
長々と内戦している場合じゃなかった状況でもあったわけですし…
―――なんだけど! 感情がそれを納得できないんです〜(T■T)!!
だからこの一週間という日数に不満タラタラっ!!


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